第三話 前編(2)
礼子は男を台所まで連れてくると、テーブルに座る様に促した。台所もとても広く、大型のコンロがいくつもあり、中央に流し台が四つもあるかなり大きな調理場だった。調理は台所の隅で小さなコンロを使ってされたようで、流し台の一つに洗い物が重ねてある。テーブルは部屋の端に置いてあり、その周りの本棚には料理本や掃除テクニックをまとめた本などが積んであった。
男は椅子を引くと、安心した様子で席に着いた。どうやら正座をしなくて済んだことが嬉しかったらしい。座ったことを確認すると、礼子は用意した朝食を並べだす。
「わお。フルヒトも普通の飯を食べるんだな。 てっきり動物を生きたままかぶりついているものかと思ってたぜ」
「どこの蛮族よ。 いやなら食べなくてもいいわよ」
礼子は慣れた手つきでご飯をよそい、汁物もそうした。食事はテーブルに対面するように置かれ、男には客人用の箸を渡す。あれだけ罵ったくせに食事は顔を合わせながら食べたいらしい。
「これ、全部君が作ったのかい?」
「そうよ、片付けがあるからさっさと食べてくれない」
献立は卵焼きや漬物など、どれもこれも手間のかかりそうな物ばかりだ。一部の料理を除いて、クニオにとって馴染みのある料理ばかりであった。フルヒトも変わらない食事をとることが驚きであった。どの料理も食欲をそそるもので、目の前の少女が作り上げたことに驚いた。生まれてこのかたカップラーメンのお湯を適量まで入れる事しかやってこなかった人間にとって、こっちの方がよっぽど魔法であった。
礼子が席に着くと、手を合わせて食べ始める。腹が減っていたのか、男はさっそくご飯をかっ込むと、漬物を一気に口に放り込んだ。
「おお! うまい、美味しいぞっ」
「……そう」
クニオにとって素直な称賛であった。これほどおいしい料理を、クニオは今まで食べたことはなかった。それはフルヒトや西日本の調味料が特別に優れていたわけでなく、ただ作り手の腕前が良かっただけであった。
クニオの誉め言葉を、礼子は軽く受け流した。東日本では碌な食事がとれてないのだと早合点した彼女は、一心不乱に食べる男に少し同情した。
「お箸の持ち方、下品ね。 仕方ないけど今日から橘を名乗るなら、少なくとも行儀だけは正してくれない?」
「そんなこと急に言われてもよ。 それにタチバナタチバナ言われても、朝起きて『今日から僕は橘州男だ』って納得できるかよ」
「じゃあ死ぬのかしら?」
いきなり出てきた物騒な単語に、箸の動きが止まり思わず視線を上げる。その発言をした本人は、どこ吹く風かお味噌汁をおいしそうに飲んでいた。
「し……死ぬって」
「あなたのことを『お東さん』って呼ぶのよ。 この国にお東さんは生きていけない、だって殺しても誰も咎めないもの」
男が西にいるものを化物というように、西日本では東に住む人間を『お東さん』と呼ぶのだろう。かわいらしい呼び方だが、礼子の発言にはチットモ慈愛は感じられなかった。ニュアンスは侮蔑か軽蔑に近いだろう。
「俺がその『お東さん』だと、まずいのか」
「別に私が殺しても良いのよ? 誰も文句言わないから。 むしろその方が良いわね、橘の誇りは守れるし精神衛生にも良いわ。 死体は皮を剥いでアンティークにして、残りは肥料にでもしましょう。 そういえば、あなたの名前はなんだったかしら?」
「橘州男です」
やっとフルヒトが化け物と呼ばれる片鱗を見た気がする。といっても、男にはただの脅しにしか聞こえなかった。今まで散々にフルヒトが化物であると教わってきた男にとって、朝から拍子抜けすることが多かったからだ。片手で畳に投げられたといっても、怪我をしたわけでもなかったわけだし。
「変な勘違いされると困るけど、私達は劣等人種の蛮族と違って喜々として殺しを楽しんだりしないわよ。 ただ基本的に『お東さん』は最低限度の人扱いもされないってこと」
最低限度の人扱い。男には、いったいフルヒトが行う人扱いが何なのか分からなかった。
「あなたが橘州男と名乗る以上、私も他の人たちも手はださないわ。 間違っても『お東さん』ということがバレたなら……」
「わかった、それだけは守り通す」
脅しとしても、『お東さん』ということがバレてしまえばと面倒な目に遭うことは想像できた。
朝食を終えて一通りの片付けが終わると、礼子は外を案内すると玄関に連れ出した。男に外に行けるような恰好をさせると、礼子も外套をまとう。下足箱を覗くと、母親の言った通り男物の靴があった。革製の黒い靴を掴み、男に履くようにと渡す。さすがに靴は一人で履くことが出来たので、礼子は少し安心した。今着ている着物もそうだったが、靴のサイズはピッタリで難なく履くことが出来た。しかし、和服に靴とは、なんかアンバランスの様な気もするが。
最後に礼子は親から直接渡された携帯電話を取り出す。液晶パネルの画面を触って操作できる携帯だった。千代はこれを男に渡し、いつも監視するようにと言って来たのだ。この携帯を使えば、礼子が持っている携帯からリアルタイムで位置を特定できる。それを男に渡し、家を出発する。さすがに居場所を探れることは伝えなかったので、男は怪しむこともなく懐にしまった。
橘の屋敷がある場所は、いわば高級住宅街といえる地区だった。垣根を越えて覗かせる立派な屋根瓦を持った建物がいくつも目に入る。礼子は特に橘家の家は凄いのだと誇るような態度をとっていたが、家の大きさ以外に違いの分からなかった男には伝わりづらい自慢だった。
男が住宅街を周って感心したことは、電柱の代わりに街灯が等間隔に設置されていたことだった。東日本では電柱が無秩序に乱立しており、故郷の景観が台無しだと憤慨していた男にとって、電柱がなかったことが非常に感動できるものであった。
男が次に驚いたことが、街を車が行きかっている事であった。別に車は男にとって珍しいものではなかったが、フルヒトが車を使ったり運転していることに意外性を感じたのだ。これまで男が思い描くフルヒトの生活といえば、暴力的な力や魔法の様な技で生きているようなものだった。そういった想像とは、全く異なる実態だったのだ。つまりフルヒトが文明的な生活をしていたことに衝撃を受けたのだった。フルヒトが文明的な生活をしている。それどころか東日本よりも、よっぽど優れているのではないのだろうか。
歩くにつれて、礼子以外のフルヒトとすれ違うことが増えてきた。そろって白髪だったが、身に着けている服は多様であった。派手な着物を着ていたり、スーツを身に着けているフルヒトもいる。フルヒトは、礼子や男とすれ違っても特に変わった素振りを見せなかった。何も反応しないフルヒトに疑問が沸き、男が礼子に尋ねる。すると礼子は「劣等人種は何処にでもいるから」と簡潔に答えた。男が道行く人をよく観察すると、たしかに髪の毛が黒い人間が何人かいた。
「西日本にもフルヒト以外の人間がいるんだな」
「いるわよ。 京都は少ないほうだけど」
京都という単語を、ついこないだ男が読んだ戦記物語で見たばかりだった。たしか京都は、フルヒトに攻撃され破壊された町の一つだった。
「そういえばここ、京都なのか」
「……あなた、私の説明聞いてなかったわね。 ハァ……劣等人種のために分かりやすく、慈悲の心で教えてあげてたのに」
「あっいやその……、聞き逃しちゃってさ。 どれもこれも珍しいもんばっかだからさ」
男は機嫌を悪くした礼子に、もう一度説明してくれるように頼みこむ。男にとって京都とは、ある意味興味の対象であったからだった。
「ここは京都盆地の底よ」
「京都? 京都っていうと大戦で焼け野原になったやつだよな。 こんなに綺麗なとこになったのか」
「今は帝都に一番近くて、一番人気な近郊住宅地よ」
男の感覚として京都は、旧愛知県 旧岐阜県 旧富山県の三県からなる緩衝地帯からさほど遠くない。東日本ならば緩衝地帯から近い場所は、大抵住むのは忌避される。フルヒトがいる西日本に近くなるほど危険な場所とされており、普段から自衛隊や警官がピリピリと警戒するのだった。さらに最近は失踪事件が多発しているから尚更危険とされる地域を避ける風潮が強かった。フルヒトには境界に近い場所を避ける意識はないらしい。
さらに気になった単語が『帝都』というものだった。帝都ということは、西日本の首都のことであるだろう。
「ていと? そういえば西日本の首都って何処なんだ?」
「『日本』の帝都は、そうね昔は大坂とよばれていたわ。 今は単純に帝都か帝国首都って呼ばれているけど」
つまり西日本の首都は大坂にあり、その近隣がベットタウンとして機能している様だ。ちなみに東日本では、一応の首都は東京である。しかし行政機能は各地に点在しており、例えば自衛隊を統率する防衛省は仙台にあった。フルヒトや災害のリスクを分散するためである。
「それよりもあなた、そろそろお東さん気分もやめてくれないかしら。 西日本だなんて単語、もう使わないで」
「わかったよ。 フルヒトは良いのか?」
「それは良いわよ。 使う奴らは使うし」
男には言って良い言葉と駄目な単語が分からなかった。しだいに口数の少なくなる男を良い事に、礼子は一方的に説明やウンチクを喋りたてた。それでも男にとっては新鮮で面白い話であったし、楽しそうに頷く男のために礼子は更に話題を飛躍させた。
駅に近づくにつれて、人通りが増えていった。合わせて背の高いビルが周りを取り囲むようになってくると、やっと駅舎らしい建物が見えてきた。一面がガラス張りで前面に大きな広場を持った駅は、汚れ一つなく新築みたく輝いていた。それなりに大きな駅なのか、出入りする人影も多く、広場には沢山の人が行き来していた。
人影の中には髪の黒い人物がチラホラ見えた。フルヒトに見えない人がいる、この国にはフルヒトと非フルヒトの二種類の人種が存在している。劣等と呼ばれている彼らは、髪の色以外は大した違いが見当たらない。服装は多少貧相だったが、汚れはなさそうだった。
礼子は足早に駅に入っていくと、切符も買わずにホームに入場してしまった。男が電車の切符を買わなくて良いのかと尋ねると、礼子は携帯を改札にかざす様にジェスチャーした。男が真似をする様に、家から出るさい渡された携帯をかざすと、改札の仕切りが開いた。「なるほど、これがフルヒトの魔法か」と驚く男に、礼子は機械の仕組みを教えたが理解してもらえなかった。なにより自分も魔法が使えたと喜ぶ男に、根気よく説明することが気の毒に思えたからだ。
橘の屋敷にもっとも近いこの駅は、周辺の鉄道とのハブとしても使われている大きな駅だった。したがってホームは何本もあり、そして綺麗に整備されていた。ホームには既に電車が停車しており、行きかう人で混雑していたが、広いお陰でぶつかることはなかった。停車している電車も、十両以上が連結した長さだった。
礼子は停車している列車の前まで男を連れてくると、男に後部車両に乗る様に指さした。
「あなたは後ろの車両よ。 乗る車両は決まっているからしっかり確認しなさい。 この列車は帝都まで行くから、『終点の』駅に着いたら降りるのよ」
「なんで一緒に乗れないんだ。 これ女性専用車両か?」
「とにかく後ろよ、早く行きなさい」
フルヒトと劣等人種が乗れる車両は、厳格に分けられていた。表向きの理由は、車両事故が起きた時、丈夫なフルヒトが前に乗り、そうでない者は後ろの車両に乗せることで生存率を高めるためだった。しかし実際には同じ空間に居たくないという、差別的な意識で分けられたものであったのだ。
礼子は男が後ろの専用車両に乗り込むのを確認し、自身は前の車両に乗車した。帝都までの乗車時間は約三十分。男は電車の中から見る景色にも興奮するに違いない。電車を降りた男を宥めて、次は何処に連れて行こうか。やはり壮大なビル群を展望できる場所に連れて行くといいかも知れない。きっと東日本には高いビルなどないのだろうから。いつのまにか礼子は、男を案内することが楽しくなっていた。当たり前の光景を軽く説明するだけで、それなりのリアクションが得られたからである。きっと、この電車にも驚いているだろう。
列車が動き出すと、礼子は何となく隣国の男の故郷を想像してみた。男の反応を見るからに、恐らく劣った生活をしているのだろう。せめて屋敷にいる間でも、良い生活をさせてあげると良いのではないだろうか。男が東日本に帰ってしまえば、もう二度とこの様な生活はできないのだから。
礼子が行動プランを考えている間に、電車は終点の駅に着いた。停車すると同時にすべてのドアが開き、一斉に乗客が降りる。
礼子は人ごみの間から後方車両から降りてくる男を待った。しだいに人が少なくなり、ホームがガランとしてきても男は降りてこない。不審に思った礼子が、車両を見ると既に誰も乗っていなかった。
男は失踪したのである。




