温かな昼下がり 通りすぎる雨
ポッケは先ほどから、大きな布同士を丁寧に縫い合わせていた。
ふたつの肉球が器用に針と糸を遣り繰りしている。先ほども言ったが、もう一度言おう。こいつは妻であり、職人である。
こんなに細やかな動きを安安と行う肉球を、私は今まで見たことがない。
さて、ポッケの話につい集中してしまっていたが、裁縫といった私にも出来るようなことであれば、是非とも私が行いたい。
「ポッケ、それは何を作っているんだ?良かったら私にやらせてくれないか」
実のところ、私は裁縫ならば、ほんのちょっと得意だ。裁縫は料理のように、さじ加減が曖昧じゃない。既に手法が決められているし、最初に糸を固定すれば、後は簡単な作業を繰り返すだけだ。物凄く扱いやすい。
そう、ややこしい料理とは、全く、違うのだ。
「ん? これはねぇ、ナツの寝袋をつくってるの」
「……え、私の?」
「うん! 昨日ジジイに、人間用の寝袋は持っていない?って聞いてみたんだけれど、持っていなかったようだし、ボクの家にはボクくらいの大きさの寝袋しかないからね」
じゃあ、良かったら寝袋作り手伝ってくれる?そう首を傾げたポッケは、いつものようにホニャリと笑った。ポッケは私の相手をしながら、私のための物を作っていたのだ。むしろ、作り方を教えてくれさえすれば全て私がやると言ってその針を取ろうとしたが、ポッケは、ボクが作ってナツにあげたいんだ、と言って譲らない。
しばらく言い合ってから、結局今回はこちらが折れた。私は素直にお礼を言ってから、ポッケに裁縫道具を渡したり、布の端を引っ張って調節したりして、彼の手伝いを行った。
「寝袋を作りながらで悪いけど、旅に必要な知識を教えてあげるね」
ポッケは手元から目を話さず、まるで我が子に優しく言い聞かせるかのように、ゆっくりと話をし始める。
「まずは、一日の数え方ね?
ボク達は、夜の太陽が、朝の太陽を過ぎて、再び同じ位置に来るまでを、一日と数えているよ」
夜の太陽?……月のこと、だろうか。地球でいう二十四時間の話だろう。私は頷く。
「次に、ひと月の数え方。
ここでは、夜の太陽の満ち欠け……満陽が右から欠けていって、右から再び現れ満陽になるまでの二十九日間を、ひと月として数えているの」
地球では、ひと月というと約三十日であったが。どうやらこちらは違うらしい。
「ひと月は二十九日あるってこと?」
「そうだよぉ。ひと月は二十九日の周期で繰り返していて、また、それを十三回繰り返すと、一年になるんだ。
だから、十三ヶ月が経った、ということは、一年が経った、ってことと同義ね」
ひと月は二十九日ある。一年は十三ヶ月ある。少しばかりややこしい。
ポッケは続けて、私に言った。
「で、今日が、七月の二十四日」
「七月……」
こちらの世界の今の気温は、ちょうど人肌より少し上くらいで暖かかった。現在、十二月半ばの真冬である日本とは真逆だ。
ただ、日本の七月上旬の気温と比べてみると、とても近い気がする。もしかしたら、季節の流れは地球と似ているのかもしれない。
「そして、ナツとボクがあの森で出会ったのは、一昨日のこと。
だから、日付けで言うと、七月の二十二日に、ボク達は会ったんだ」
私は頷いてから、考える。
(……じゃあ、その二日前が、私がこちらの世界に飛ばされた日か)
私はどうやら、七月の二十日丁度に、こちらへ飛ばされたらしい。
それから私は、ふと気になったことを質問した。
「月日の数え方は分かったけど、時間の数え方はないのか? 一時間、二時間とか」
「時間の数え方もあるよ。簡潔に言うと、一日は二十六刻で回ってる。
でも、旅にはあまり必要ないかなぁ?時間の数え方が必要なのは、忙しい毎日を送っている王城の人達くらいだよ」
「ふぅん」
一時間、二時間ではなく、一刻、二刻か。
まったく、学ぶことが多すぎる。
今まで何ともなしに異世界に行く人を小説などから見てきたが、どうして皆あんなにも頭脳明晰で適応力があるのだ。頑固な思考回路を持つ私としては、本当に羨ましい限りである。
私にとってはこんなもの、大変だ。たまったもんじゃない。そもそもの話ここが異世界だとはそう簡単には受け入れられなかった。
……ポッケ達がいなければ、今頃私は訳もわからず発狂していたに違いない。
(まぁ、私も随分とコボルトの街に馴染んじゃってんだけどな)
先ほどあんなことを言っておいて、 ーー時間はかかった方だと思うがーー 案外私も適応力が高いのかもしれないな、と、自分で自分に苦笑しながらこめかみを掻いた。
それから私達は夕方近くまで寝袋を作り続け、その間にもずっとポッケの異世界授業が行われた。なんだかたくさん学んだ気がするが、正直なところ覚えられた気はしない。いや、実を言うと既に忘れかけている。お腹は空いたが、頭の中は満腹状態である。
異世界授業の後は、ポッケと二人でいつもの料理屋さんへと直行した。私は前回と同じくサワスの甘辛炒めを注文したが、しかしポッケは今晩、モゾムの丸焼き……ムカデを食べず、なぜか私と同じサワス料理を頼んだ。
「んー。やっぱり人間用のご飯は味が濃いなぁ」
ポッケのしかめ面を見ながら、そんなに口に合わないのなら注文しなければ良いのに、と思ったが、まあ、なんとなく人間用のご飯が食べたい気分だったのだろう。私ががつがつと食べているのを見て、少しばかり食べてみたくなったのかもしれない。
そうして穏やかな時間が流れるまま、コボルトの街に夜の帳が下りる。
今夜は、ポッケの家で過ごす最後の夜だ。
「花輪、ちょっと萎れちゃったなあ」
私は夕方に完成したばかりの寝袋に潜り、その枕元に置いてあった複数の花輪を、形が崩れないように丁寧に、順番に撫でた。
街の子ども達は、あれから外を歩くたびに私に話しかけに来てくれた。私のことをバケモノ呼ばわりした子も、「あの時はごめんね?」と、謝ってくれた。
その姿があまりにも可愛いので思わず抱きしめたら、泣かれた。すげー絶叫だった。テレビ画面を玄関口だと勘違いしちゃった日本人女性と出会ったレベルの絶叫だった。
可愛い可愛いと叫びながら鼻息の荒くなる私が怖かったらしい。申し訳ない。
……コボルトの街には三日間しか滞在できなかったが、どの思い出も暖かい。森の中で味わった恐怖を、優しく慰めてくれるものばかりだ。
「その花輪ね、乾燥させたらいいよ。明日の朝、出発する前に家の裏で干して、置いておいてあげる」
そしたら、ずっと形が残るからね?
ポッケは椅子に座り、卓上で手紙を書きながら、ホニャリと笑って言った。ポッケが書いている王都に向けての手紙に関しては、文字の読めない私は何の役にも立てない。
明日のためにも寝ていて良いよ、とポッケが繰り返し言うので、私はそれに大人しく甘えて寝袋に入った。
「あ、そうだ、ナツ」
と、ポッケは唐突に持っていた万年筆らしき筆を一振りすると、私を振り返って言う。
「その花輪のどれかひとつだけ、ナツの鞄に引っ掛けて持っていこうか!あとで鞄に紐でくっつけてあげるから。味気ない鞄も可愛くなるし、花輪を見ていると心も癒されるからね」
良い案でしょ?ポッケが笑いかけてくるから、私も思わずフヘヘと笑って頷いた。
「……そうだポッケ。魔術や魔符に、ナマモノの腐敗を阻止するものはないか? もう、花輪をこんな風に枯らしたくないんだけど」
「ん。んー、ないねぇ。あっても、禁術になっちゃう気がするなぁ」
「……? なんで禁術になるんだ?」
「だって、死んで腐っていくものを人の勝手で無理やり生かすなんて、ひどいでしょう?
花はもしかしたら、枯れたいから枯れているのかもしれないのに」
……花はもしかしたら、枯れたいから、枯れているのかも。
私は、目を見開いてポッケを見つめる。ポッケは既に卓上を見ていて、私が見つめていることに気付いていないようだった。
「……枯れたくて、枯れてる……?」
「さぁ、わかんないけどね」
花は、枯れたくて、枯れているかもしれない。
私は、目の前にある花輪に目を向けた。
お前は、そうなることを望んでいるから、そうなったのかと。
……私。
私は、どうなのだろう。ふと、そんなことを考えた。もしかしたら、私は、現代から逃げたくて、こちらに逃げて来たのだろうか、と。
孤独だと絶望して、やけになったから。
「咲く花を美しいと思うのだって、それを切って花輪を作るのだって、人の勝手だからね」
ポッケは卓上を見ながら、更に続けた。
「そうだ。人の怪我を治せる治癒魔術だって、本当は禁術に近いんだよ?」
「……治癒魔術」
「そう。治癒魔術で行って良いのは、命に関わりのない小さな怪我の治癒だけだって、王約で決まってる」
「王、約?」
「王様との約束。世界の決まり、みたいなものだね」
そう言いながらも、ポッケの右手は全く止まらない。喋りつつ手紙を書き続けるなど、物凄く器用である。もしかしたらポッケは聖徳太子かもしれない。
……先ほど思い至ったことから逃げたいのか、私の頭は、しょうもないことばかりを考えた。
「色々と教えてくれて、ありがとう」
私はこれ以上、ポッケの邪魔にならないように、そう言い訳をつくって、口元まで寝袋を引き上げる。ポッケは卓上を見ながらも、ホニャリと笑って頷いた。
「ふふ。……うん、どういたしまして」
いつから、降っていたのだろうか。
外から、雨の降る音が聞こえた。
「わぁ、雨が降ってきちゃったぁ」
明日まで続かないと良いなぁ、と、ポッケが小さく呟く。それに私は何も言わず、ただ静かに目を閉じた。
このまま眠って朝起きて、何事もなかったかのように、もとの生活に戻りたい。そう思った。
そう、思っている頭の、ほんの隅っこのほうで。
それとは、全く逆の事を思ってしまった自分が、怖くて。
私は、渦のように続く思考回路から逃避するように、その意識を手放した。




