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100% 片思い

 

 ……私が水浴びを終えてから室内に戻ると、何やらポッケが落ち込んでいた。

 その明らかな落ち込みようが心配になった私は彼のとなりにしゃがみ込み、下からポッケの表情を伺ってから、慎重に話しかける。


「ポッケ?」

「ウゥッ!!!!」


 話しかけた瞬間、可愛い唸り声を上げたポッケは、そのまま勢いよく天井近くまで飛び上がった。……恐ろしい脚力だ。さすが、例え人型であってもキツネである。


「ぽ、ポッケ、大丈夫か?」

「ッうううう、うんッ!だだだ大丈夫だよぉッ!」


 かと思うと、次は物凄いスピードでふわふわの尻尾を振り回し始めた。明らかに挙動不審だ。全然大丈夫そうじゃない。

 ジジイ、ポッケに何を言いやがった。目を細めてジジイを振り返るが、ジジイは素知らぬ振りをして、「そうじゃ!」と私に話しかける。


「ミズシェマよ。わし、お主が元々着ていた、この黒い服が欲しいんじゃ。もらってしもうても構わんかのぅ?何やら変わった素材じゃし、是非とも研究させてほしいんじゃがのぅ」


 ジジイは、先程の偉そうな態度はどこへ消えたのだと言わんばかりに腰を低くして、私に頼み込んできた。しかしだ、今の私にとって、このスーツは一番の宝物である。このスーツだけが、日本と私を繋いでいるのだ。

 ジジイにはとても申し訳なく思いながら、私はその頭を横に振った。


「ごめんなさい。これは唯一の故郷の思い出だから、これだけは手放せない。

 あ、でも、肩の部分の千切れてしまいそうな場所は全然、切り取ってもらっても全く構わないから。研究材料としてはそれで勘弁してくれないか?」


 そんな私にジジイは「そうかぁ、ならばまぁ、仕方がないのぅ〜」と、スーツの肩口の布だけを受け取って、渋々頷いてくれた。私は続けて口を開く。


「その代わりに、手伝いとか私にできるような事があればなんでもするよ。この服とか、お世話になったから」

「おぉおぉ!よし来た。……ならばじゃ、また会う時までに、魔石じゃったり、魔力を纏った無機物媒体が見つかれば、わしに全て譲渡せぃ。それでどうじゃ?」


 私は、そんなことで構わないのなら、と快く頷いた。ジジイは嬉しそうだ。


「ファッファッ!楽しみじゃのぅ!」

「ん、そういえば魔力を纏った無機物には特徴とか何か、ちゃんとあるのか?」

「うぬ、そうじゃのぅ。特徴といえば、異様に発光しておったり、触った瞬間に背筋がゾゾーッとしたりすると、その物自体が魔力を纏っている。もしくは、それを使って、誰かが何か魔術を発動させておる、という証じゃ」

「分かった。じゃあ、発光している物や背中に寒気を感じた物なんかを集めてみる。

 そういった物が希少なら、どれだけの数を見つけられるか分からないけど。できるだけ頑張って見つけてみるよ」


 服、本当にありがとう。

 私はもう一度ジジイに向かって頭を下げてから、ポッケ達と一緒に、その森を後にした。


(……そういえば、私はミズシェマではなくミズシマです、と、最初から最後までジジイに言い忘れてしまったな)


 まぁいいか、呼びやすいように呼んでもらえるならば。間違えていたからといって、別に減るものじゃないし。



 ……腹が、腹が減った。


 どうやら、こちらの世界ではお昼ご飯を食べないらしい。

 日本は裕福な国だ。ほとんどの人間が三食も腹一杯食べられる場所など、地球でも先進国や、発展途上国くらいなのかもしれない。

 一日二食の生活は、きっと地球でも珍しくはないだろう。


 幸いにも先進国が故郷である私は、さかんに訴えてくる空腹にどうにか耐えながら、ポッケに頼み込んで家の掃除をさせてもらうことにした。

 何か恩返しをさせてほしいのだ、と繰り返す私に、気を使うな、遠慮はするな、と言い張るポッケ。両者譲らず言い合ったが、結局はポッケが折れてくれた。

 勝負というわけではなかったのだが、ポッケが折れた時には思わず「おっしゃ!」と言って立ち上がってしまった。そんな私に、ポッケは声を出して笑っていた。


 ポッケの手が届かないような天井近くまで、丁寧に拭き掃除をする。ちなみに雑巾として使っているのは私のストッキングである。

 ポッケの「まだ使えるのに、捨てるなんて勿体ないよぉ!」という立派な主婦魂には感服だ。私が男だったなら、ああいう人を妻にしたいと思う。


 丁度、私がそんなたわいもない事を考えていた時、ポッケが「お茶にしない?ジジイの家から人間用の茶葉を少しだけ貰ったんだぁ」と笑顔で話しかけてきた。妻にしたいケモノランキング、ナンバーワンである。

 私は、うん、と言って頷いてから、外にある置き水で両手を洗い、ポッケの座る椅子の近くの床に、その身を置いた。


 ……クルッポと、彼のポーニとは、つい先ほど別れたばかりだ。

 何やらポーニが私に懐いてくれてしまい、クルッポが首輪をどれほど引っ張っても、外壁の拭き掃除をしている私の側からなかなか離れてくれなかった。

 羊のような瞳孔をじっくり見てしまうと少しだけ恐怖を感じるが、そのサイズは生まれたばかりの子牛ほどだ。そんなミニサイズな多毛動物に頬ずりされるなど、ポッケのモフモフ尻尾でニヤつく私としては鼻血ものである。可愛くないわけがなかった。

 まあ、私のどこに懐ける要素があったのかは全く分からないが。



「……ナツ。あのね、実はね?ボクの知り合いに、王都で酒屋をやっている人がいるの」


 そう唐突にポッケが切り出したのは、二人でお茶の香りと味わいを楽しんでから、その沈黙が心地よくなってきた頃だった。

 王都、という言葉に反応して、私は思わずポッケを見上げる。ポッケは自分から口を開いておきながら、その先が言い辛い、とでもいうように顔を歪めていた。


「でね。……その酒屋がね、近頃とっても忙しいらしくてね。でも、都会の娘は酒臭いのを嫌がって働いてくれないから、接待をする人出が足りないって、すっごく困ってるって、言ってたんだ」

「……そうなのか」


 私はなんとなく、その先に続く言葉の予想がついた。


「それで。その、ここから少し、距離があるし、泊り込みで、ってことになるだろうけど。良かったら……。そこで、働いてみない?」


 そう、予想は、ついていたが。それでも、頭の中が真っ白になった。

 ……王都。情報流通の中心、王都だ。


 王都といったら、人の出入りも多い。コボルトの街の比ではないだろう。この世界の、全ての情報が集まる場所だと言っても、きっと過言ではあるまい。

 ……ならば、もしかしたら。本当に、もしかしたらの話ではあるが。

 私の元いた世界に、我が家に、家族のもとに。日本に帰る方法について、何か手がかりが掴めるかも知れない。


 それに、ジジイが言っていた。「王城には魔術師の軍隊がいる」と。

 ひとつの世界から脱出するなんて、それこそ魔法か何か、地球では考えられないような不可思議な力を使うしかないのではないか。そんな気が、頭の奥底で微かに疼いていることも、事実だった。


「あのねぇ、ナツ。でもね、別に働きたくなかったら、行かなくてもいいんだぁ。

ずっと、ずっと、この街にいてくれてもいいんだよ?」


 どうか、それだけは忘れないでね。

 ポッケは、王都の話を聞いてから固まってしまった私を伺ってそう言ってくれたが、しかしその時、私の心は既にどうするかを決めていた。


 だって、これは、日本に繋がるかもしれない、大きな大きな一歩だ。私は微かな希望を抱いて、ポッケを見つめながら、はっきりと頷いた。


「ポッケ。私、行こうと思う。……王都に」


 ポッケは、顔を上げた私の真剣な表情を、ただ静かに眺めていた。

 それから少しして、「わかった」と、なぜか少しだけ悲しそうに微笑んでから、すっかり冷めたお茶のカップに口をつける。


 私も彼と同じように、自分のカップに口をつけた。苦味のある液体が、緊張して渇いてしまった喉をじわりと潤してくれる。

 私がそれを溜飲する時を見計らったかのように、ポッケは再び口を開いた。


「じゃあ早速だけど、明日は一日、王都まで旅の準備と、旅に必要な知識の習得に時間を費やそうね。

 王都の店主にはまだ話をしていないから、ボクが今夜にでも手紙を書いておくよ」


 続けて、でも申し訳ないんだけれど、とポッケは自分の頬を掻く。


「ボクは代筆の仕事があるから、長く街から離れることは出来ないの。

 それでも、ここから東にある人間の村までの距離なら一緒にいけるから、安心してね?

 いつ酒屋の人出が埋まるかも分からないし、できたら早めに、そうだなぁ……明後日には出発しよう」

「ポッケ」


 黙っていられずに、思わず口を開いた。

 私に、無条件に与えられていくポッケの優しさが大きすぎて。これ以上、静かに黙っていることができなかった。


「なぁに?」


 ポッケは耳を立てて首を傾げる。

 そんな彼に、私は精一杯頭を下げた。


「迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」

「な、ナツ?」

「ごめんなさいじゃ全然足りない。足りないんだ。だって、ポッケがいなかったら、私はあの森の中で絶対に死んでいた、あの時、誰にも看取られずに」


 私は、薄暗い森の中でひとり、孤独に倒れていた時の恐怖を思い返す。

 死にたくない、生きたい、ひとりが怖い、暗い、寒い、どうか私を助けてくれと、心から願った。その時、そんな私を一番最初に助けてくれたのは、今、目の前にいるポッケだ。


「……介抱してくれたり、ご飯を食べさせてくれたり、私を泊めてくれたり、服を貰いに山奥まで行ってくれたり。恩返しできない。……言葉だけじゃ、行動だけじゃ恩を返しきれないんだ。でも、何も返せない。私は何も持ってない。

 どうしてポッケは、見も知らぬ私なんかに、何も持たない私なんかにここまで優しくしてくれる?どうして助けてくれるんだ?」


 私は言い切って、その顔を上げた。きっと今の私は、とても見ていられないほどゆがんだ顔をしているだろう。

 身に余る優しさを彼から受けた。それなのに、何も彼に恩返しできない自分が歯痒くて、悔しい。

 男前やらオカンやら魔法の鞄やら、今まで私に与えられてきた称号が全部、全部台無しだ。確かに、これらは望んで得た称号ではなかったが、私の頑なな性格を簡潔に表せているものであることは事実である。


 見上げる私と目を合わせたポッケは、一瞬だけ真顔になってから、何かを考え込むように俯く。

 それから、大きく息を吸い込んで、私にホニャリと、微笑んだ。



「……ナツが、好きだからだよぉ?」



 可愛い笑顔だと思った。

 呼吸をしようと思うのに、喉が絞まってうまく息が吸えない。

 可愛いポッケの笑顔に、優しさに、ポッケに甘えるしかない自分に、そんな私を受け入れてくれるポッケに、全てに苦しくなって、私は顔を隠すように、もう一度深く頭を下げた。


「うん、私もポッケが、大好きだ。本当に、……迷惑かけて、ごめんなさい」


 声が震える。ふとすると大粒の涙が零れてしまいそうで、そして一度零れたら今日が終わるまでずっと泣き続けてしまいそうで、もうこれ以上、顔を上げてはいられなかった。

 私は涙脆い性格なんかじゃないはずだ。ないはずなのに、その頑固なまでの意地を、ポッケの優しさが容赦なく溶かしてしまう。


「ごめん……ごめんなさい、ポッケ」


 ポッケは「うん」と言って、私の頭を柔らかな肉球で優しく撫でてくれた。

 彼の目元が、ほんの少しだけ辛そうに細められていることに、私は気付くことができなかった。



 

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