思い出だけを そっと着替えて
しばらくジジイとたわいもない話をしていると、やっと気持ちが落ち着いたのか、ポッケが外から帰って来た。
遅くなってごめんねぇ、と頭を掻くポッケに、ジジイが話しかける。
「して、ポッケ。今日は一体何をしにきたんじゃ?代筆はつい先日頼んだばかりじゃろう。
まさかこの山奥までミズシェマを紹介しに来ただけではあるまいて?」
「あっ、そうだった!うわぁ、ボクったらガラにもなく混乱しちゃって、今の今まですっかり忘れてたよ……」
頭を抱えるポッケと床に座ったままの私を、ジジイはニヤニヤしながら交互に見ている。
見ているというか、目は見えないんだろうが、明らかに見られている気がする。一体なんなのだろう。
私が不快げに首をかしげている間に、ポッケは飲み終わった皆のカップを片付けてしまう。やっちまった、片付けくらいなら私でもできたのに。手伝えば良かった。
「あのねぇ、実はボク達、人間の服を探しに来たんだぁ。ほら、ナツの服は人間の服の中でも少し変わっているでしょう?もう少し街に馴染めるような服が欲しいなって。でもコボルトの街には人間の服、売ってないからさぁ」
そうか、と初めて気付いた。確かに異世界では、スーツに似た服なんてものは無いのかもしれない。
いずれ日本に帰るのだから、スーツを廃棄する気は微塵もないが、こちらの世界の服を持っていても別に困りはしないだろう。
……むしろ、私は知識が不足している身だ。
形だけでも馴染んでいるほうが、日本の情報を探しやすいかもしれない。
「人間の服のぅ。さぁて、確か男用の服はあったと思うんじゃけどのぅ。そちらは……まあ、あんまりアレじゃが一応は女子じゃろう?それでも構わんのかのぅ?」
ジジイが私に顔を向ける。あんまりアレとはどういう意味だ、おい。
複雑な心境に少しばかり鼻頭が痙攣したが、私は別に気にしていませんよーという風を装って頷いた。
「ああ、構わないよ」
「うぬ。じゃ、ちょっと待っておれ」
元気良くジジイが立ち上がったので、私も慌てて立ち上がる。こいつは本当に百五十歳なのだろうか。絶対嘘だ。
それでも勢い余って怪我などはされたくないので、私は焦って言った。
「もし服が取りにくい所にあるなら私が取るから、ジジイは座っててくれ!私のために探してもらうんだし」
「えぇい心配するな!わたしにとっちゃあ我が家が一番居慣れた場所じゃい。目なんぞ無くてもわかるわい!」
「あだーっ!」
ジジイは私の頭を容赦無く叩く。あまりの衝撃にしゃがみ込む私を「弱いやつじゃあ!ファファファ」と笑ってから、全く危なげなく、二階に続く梯子を登って行った。
あのジジイ……不死身だろ。
「ほれ~、これじゃ~」
左脇に大きな袋を抱えて右手で梯子を掴み、物凄いスピードで一階に降りて来たジジイが、私とポッケの前に袋の中の物を広げた。
「うぬうぬ、まぁ、大きさは丁度良さそうじゃのぅ?ほれ、着て見せてみぃ」
……その服に抱いた第一印象は、「どこぞの坊ちゃんが、身分を隠して民間に混じるために着ていそうな服」である。まあ、異世界ではこれが一般的なのかもしれないが。
シミひとつない、白くて薄い素材で出来た、衿の立った長袖のシャツ。
その上に、ネイビーブルーというのだろうか、濃い藍色の、裾の長い袖なしプルオーバーを着ている。
その衿のないV字形の首元には、綺麗な銀の螺旋が小さく大人しめに飾られていて、それは胸元でクロスしている黒い紐の根元まで続いていた。
どうやら腰のところでは、服の裾を少しだけ持ち上げるようにしてベルトを絞めるらしい。
その茶色い皮のベルトは、腰を三周してから止めねばならないほどに長い。こんなに長いのならば、ベルトに色々と小物を引っ掛けられそうだ。
そしてズボン。少しだけ土か何かで汚れている茶色のズボンは、まるで寝巻きのようなサイズで幅に余裕があった。
ずり落ちて脱げないか少しばかり不安だが、なんとか大丈夫そうだ。
そしてなんと袋の中には服だけではなく、膝下まである黒いブーツや、髪留め用の赤い紐。銀色の美しい装飾の施された小さなナイフまで入っていた。
この袋、名付けるならば「異世界スターターパック」である。
「……これ、どこで手に入れたんだ?」
「うぬ?そうじゃのぅ、確か、十数年前かのぅ。
俺、自分の身分を捨てたいんだー!とか叫ぶ若造の男が、もういらねー!とか言って置いて行ったものじゃったかのぅ?」
なんだそのお坊ちゃんフラグは。やはりこの服、高級かもしれない。ちゃんと民間に馴染めるだろうか。
しかし、四の五の言っても人間の服はこれひとつしかない。そうだ、ボロボロの布切れに近い服じゃなかっただけありがたい。
……数分後、それらを全て身につけた私は、完全に異世界の住民と化していた。
「ナツ!ナツ、とっても似合うよぉ!なんというか……ち、中性的だねぇ!」
「ファーファーッ!!む、胸がなかったら、ま、まるで男じゃーッ!!」
泣いても良いだろうか。
誰か!誰かファファファファファファファファと鳴り止まないこの鍵盤を!
い、いっそのこと壊してくれー!
「いやー!すまんすまん。あまりにも顔が凛々しいもんで笑ってしもうた。胸はあるのにのぅ。表情がキリッとしておるから、どうにも男らしいんじゃなぁ」
「……本当は目、見えてるだろ」
「はて、なんのことかのぅ?」
女らしさが胸にしかなくて悪かったな!と、ジジイのセクハラじみた感想に反感を抱きながら、私はため息をついてベルトにナイフを結び付けた。
「言われなくても分かってるよ、私が男っぽいってのは。口調も合いまって、故郷でも男前やら性格オカンやら言われて生きてきたんだ」
赤い紐で、項よりも少し上のところに括られた黒い髪が、さらりと肩を流れた。
そうだ、私は日本では皆のオカンだった。
ふと、中学時代の十六日彼氏を思い出す。あいつには、お前は女ではなくオカンだ、と言われて浮気された……あ、ムカつくぞ。やめよう、忘れよう。
私は昔から、誰も彼もに「面倒見が良いですね」と言われてきた。
鼻風邪が辛そうな同僚から「ティッシュある?」と聞かれれば、ティッシュと一緒に「風邪に効く薬剤、持ってるけどいる?」と差し与える。
「ハサミない?」「定規ある?」「マジックペン貸して」全てにOKと答えてきた。
一時期あだ名が「魔法の鞄」だったほどだ。別にいじめられているわけではない。いじられていただけだ。…………多分。
男前、と言われていた理由は分からないが、どうせ女らしくないこの顔のせいだろう。
……だから、正直なところ、面倒を見られるという立場には、全く慣れていない。
ポッケには本当に迷惑ばかりを掛けてしまっていると思う。
「そんなことないよぉ!ナツは、ナツは可愛いよぉ!寝てる時なんか、コボルトの子どもみたいで……笑ったら、ポルカが咲いたみたいなんだから!」
「ポルカ?」
「白い小さな花!とっても良い香りがするんだぁ」
頬を染めながら愛おしそうにホニャリと笑うポッケ。ポルカが好きなのだろう。
……そういえば、香りと言ったら私、こちらに来てから一度も風呂に入っていない。
何度かタオルで体を拭かせてもらったりはしているのだが、やっぱり体は臭う気がするし……なんだか無性に背中も痒くなってきた。
「コボルトの街の周辺に体を洗える場所ってある?」
「この流れで突然その話題?!」
何かにショックを受けているポッケをニヤニヤしながら見ていたジジイが、私に向かって頷いた。
「コボルトの街中には飲み水と置き水しかあるまいが、わしの家の裏には、ほれ、水場があるじゃろ。そこを使えばよい。
そうかそうか、人間は湯浴みするんじゃったのぅ。わしらは毛繕いですますからのぅ。ああ、体を拭う布くらいは貸してやるぞい」
ジジイはどこから探し当てたのか、人間の子ども用ほどのサイズの、バスタオルらしき布を二枚、私に投げて寄越した。
私はそれを慌てて掴み、きちんとお礼を言ってから、ジジイの家の玄関に手をかける。
「見張りにはクルッポが居てくれるじゃろ?ポッケよ、わしの話相手になれい」
ジジイの言葉にポッケの背中がビクリと揺れるのを横目で見つつ、私は静かに家から出て行った。
さて、お世話になったポッケ達にどう恩返しをするか、水を浴びながらでも考えておかねばなるまい。
水浴びシーンは不要ですよね?……ね?




