記憶は峠に 消えてゆく 消えてゆく
「ナツ〜。今日はボクと一緒に、街の外れまで行かない?」
ポッケは朝一番に、寝起きでぼんやりとしている私に向かってそう言った。
「んぁ……街の、外れ?」
「そうだよぉ。そこには、色んな物を収集するのが趣味の、百五十歳の変わり者が住んでるの。もしかしたら何か、ナツの役に立つものがあるかもしれないから」
ああなんと、それはありがたい……百五十歳か。
「……死んでる?」
「まだ生きてるからねっ!」
どうやらコボルトは長寿らしい。
……温暖な気候のせいか、私のスーツは昨日の夜のうちに乾いていた。なので私は今日も昨日と変わらぬ姿をしている。
唯一違うのは、ストッキングを履いていないことくらいだろうか。
昨晩はスーツを洗っていたため、寝る時はポッケサイズの少しばかり小さいシーツに包まって寝させてもらった。
ただ、やはりシーツだけでは心許ないことも事実で、正直、明日も一日中このシーツのみ、という事態になったらどうしようかと心配だったのだ。朝までにスーツが乾いていて本当に良かった。
……余談だが、朝起きてから利用したコボルトのお手洗いは超原始的だった。そのまま大自然に返す系お手洗いだった。利用したと言うか、移動しただけというか、そんなレベルである。
詳細は省かせていただく。
閑話休題。淀んだお手洗い事情から爽やかな話題へと帰ります。
ポッケは、ポシェットのように小さい四角いカバンを肩にかけながら、ついでに朝ごはんも一緒に食べに行こう、と言う。私は申し訳ないと思いながらも、お礼を言ってから同意した。
家事や掃除などと、簡単なことしか出来ないが、彼には必ず恩を返さねばならないと思う。
ちなみにポッケはやはり朝食もムカデを食べた。私は昨日と同じエビを食べながら、ポッケの手元を見るたびに百獣の王と化した。
「……街外れの家まで行くにはね、ちょっとだけ危ない道を通らなきゃいけないんだぁ」
まあ、ナツの倒れていた場所のことなんだけどね。朝食後、ポッケは私の手を引きながら言った。
「だから、用心棒にクルッポを……ああ、クルッポは、ナツが目を覚ました時に一緒にいたコボルトね?クルッポは力持ちだから、いつも用心棒に付いてきてもらってるの」
少しばかり拙い口調をしていたコボルト、クルッポは鍛治職人らしい。あんな体毛で火を使う仕事をするなんて。色々と燃えそうだが大丈夫だろうか。
「クルッポー!」
ハトではない。ポッケである。
他の家よりも玄関扉が大きく、玄関の横に大きな看板らしき板が立て掛けられているところがクルッポの家だったようだ。
ポッケがクルッポの名前を呼ぶと、しばらくしてから可愛らしいピンクの耳飾りをつけたコボルトが顔を出した。真っ白い耳が特徴的である。
「あらっ、ポッケさん?それに、まあ!人間だわ!……それじゃあ、あなたが昨日から街中で噂されているお方ね?旦那から聞いたけれど、体調は大丈夫?」
私は慌てて頷いた。
なんだ、私ったら噂になっていたのか。……まあ、人間が珍しいのなら仕方のないことかもしれないが、「へんな服を着た巨人」とか、そういった、私の乙女心を一匹残らず駆逐してくるような噂じゃないことを祈りたい。
そしてどうやら、彼女がクルッポのお嫁さんらしい。ポッケよりも瞳が大きく、尻尾もスラリと長くて別嬪さんだ。
確かに、とても可愛らしかった。
「ちくしょうクルッポめ!羨ましい!代われ!私が嫁に貰う!」
「ナツ?!どうしたの?!」
「ごめん、心の声が漏れた」
いけないいけない、落ち着こう。
私の魂の叫びにポッケだけでなくお嫁さんも驚いてしまっていたが、さすが別嬪さん、格が違う。彼女はすぐさま気を取り直し、旦那を呼んできますね、と笑顔で室内に引っ込んでしまった。少しばかり口角が引きつっていたが気にしてはいけない。
それからしばらくして、竹のようなもので作られた鋭い槍を片手に持ったクルッポが、お嫁さんと一緒に表へ出てきた。
ぺこりと私達に頭を下げるお嫁さんの様子を、クルッポは目を細めて、なんとも愛おしそうに見ている。
「ポッケさん、人間さん、お待たせしました」
「……よう、ポッケ。あと、人間」
「クルッポ、おはよう!二人とも、彼女はナツって言うんだ。ね?ナツ」
「ナツです。クルッポさん、昨日は助けてくださってありがとう。とりあえずあなたの嫁を私にください」
「……あ?」
「ちょっ、ナツ?!……も、もしかしてナツは、お、女の子が好きなの……?!」
いかんいかん、落ち着こう。ポッケの少しだけズレた質問はスルーする。
お嫁さんは「まあっ」と叫んで柔らかそうな肉球を両頬に当てて照れていた。可愛い。
ちくしょうクルッポ、羨ましいぜ!
……… ……… ……… ……… ………
いってらっしゃいダーリン、いってくるよハニー……なんていうやり取りをクルッポにまざまざと見せつけられてから、私達三人は街外れに向けて歩き出した。
正確に言うと、三人と一頭である。
「ポーニは皆優しい性格をしてるものなんだけど、クルッポの家のポーニは特に賢いんだぁ。荷物が多い時や遠出をする時なんかに一緒に連れて来てもらうと、とても助かるんだよ」
ポーニというのは、ロバにそっくりな生き物のことだった。
ロバのサイズをもっと小さくして、尚且つ更に多毛にしたような姿をしている。目はヤギや羊に似て瞳孔が横に長く、体毛は渋い緑色である。
兎にも角にも、小さなコボルトが乗りやすいように作られたかのような動物だった。とってもファンタジーだ。
なんだかポーニがこちらをジッと見ているような気がしたので、とりあえず軽く挨拶をしておく。
「可愛いな。よろしく」
「ンモ〜」
鳴き声は牛だった。どないやねん。
「……ナツ」
「ん?」
たわいもない会話が止まり、しばらく無言で森の中を歩き続けていた、そんな時だった。
唐突にポッケに名前を呼ばれ、私は片眉を上げながら下方へと顔を向ける。
「ここが、ナツの倒れていた場所なんだけど……覚えてる?」
ポッケはそう言って、静かに私から手を離した。そういえば、確かに見たことがある景色のような気がする。少しばかりうろついても構わないということだろうか。
私は、自分が倒れていたらしき場所まで歩を進め、その場にしゃがんでから、周囲の様子を確認した。
地面に少しだけ赤黒い斑点が残っている。これは私の血なのだろうか。
そういえば、青色イノシシの死体はどうしたのだろう?怪我も綺麗さっぱり無かったし、あれは本当の夢だったのか。気になったので、ポッケとクルッポに聞いてみた。
「ねぇ二人とも。私と一緒に、青い毛をした動物って倒れてなかった?あと、その時の私ってどんな状態だったか覚えてる?」
クルッポが、ぼんやりと空を見ながら私に答えた。
「ああ……青い毛の動物って、ガルバンのことだろう?ガルバンなら、いたぞ。俺が、食べたけど」
「……食べた?!」
「ああ」
平然と言うクルッポのとなりで、ポッケが頷く。
「あのね、ガルバンは凶暴で危険な生き物なんだけど、味は美味しいんだよ。あと、その時のナツの状態だけど、ナツは全く怪我をしていないのに、まるでガルバンにでも襲われた後みたいに、とっても血だらけだった。ナツは覚えてないの?」
覚えている。覚えているというか、やはり、現実だったのか。
私は適当に頷いてから、もう一度、赤黒くなっている地面に目を向けた。
あれが現実であるのならば、なぜ私の怪我は治っているのだろう。ポッケの言うことを鑑みると、彼らと遭遇した時には既に、怪我は治っていたらしい。
私は自動翻訳機能と一緒に、自動治癒能力も手に入れたのか?
謎だけが塵のように積もっていく。どうにもスッキリしないので、私は気分の悪さを吐き出すようにため息をついた。
「ナツ、大丈夫?そろそろ歩こう。ここは危険だからね」
「……うん。待たせてごめん、ありがとう」
私は、心配そうに私を伺うポッケのもとへと慌てて走り寄り、それからポッケと手を繋いで、三人と一頭で再び森の中を歩き始めた。
それでも最後に、少しだけ後ろを振り返る。
ただただ佇む、鬱蒼とした森。
「……私が倒れてから、いったい何があったんだ?」
無論、森は何の返答もしてくれなかった。
次回、夏子さん異世界のお勉強。




