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虎と姫  作者: こ
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第7話 婚礼の夜

 露台は、楼閣のいちばん高いところにあった。


 朱塗りの欄干の向こうに、門のあいだの広場が見下ろせた。四方を石の壁に囲まれた、四角い広場だった。篝火が焚かれ、石畳が赤く照らされていた。


 シュリンの席は、ゴウの隣だった。


 ゴウは、毛皮の外套のまま、大きな椅子に深く腰かけていた。脇の柱に、長い柄の大刀が立てかけてあった。


 露台の階段の下には、黒い外套の男が、ひとりで立っていた。腰に、剣はなかった。副将の札を取りあげられたバイは、宴の席にも入れられず、そこに控えさせられていた。


 尾根のほうから聞こえた咆哮が、石の壁に、まだ響いていた。


 城壁の上で、弓の影たちが、尾根のほうを向いていた。


 ゴウが、目を細めた。


「陽動だ。弓を、広場へ——」


 その言葉が終わらないうちに、外の門が、きしんだ。


 広場の向こうの、外の門。重い扉が、内側へ開いていった。門の外に、篝火を背にした兵たちの影が見えた。白髪まじりの影が、そのなかにあった。


 扉のあいだから、男が一人、入ってきた。


 急ぐふうでもなかった。散歩でもするように、ぶらりと。


 砦で拾った上衣を、体に巻きつけている。片足だけ草鞋を履いている。肩に、抜き身の剣をかついでいる。背中に、弩。


 無精ひげの頭から、丸い虎の耳が、二つ、ぴょこりと立っていた。


 男は、広場を横切った。まっすぐ、内の門のほうへ。途中で、酒の甕を積んだ荷車の取っ手をつかんで、ごろごろと引いていった。


 内の門の真下、楼閣の壁ぎわで、男は荷車を止めた。荷車を横倒しにして、甕の山を盾にした。


 それから、露台を見上げた。


 金色の目が、篝火の光を受けて、きらりと光った。


「どうも」


 男は、のんきな声で言った。


「前金の残りを、取りに来た」


 シュリンの胸の奥で、何かが、ぎゅっと縮んだ。


 来た。


 来てしまった。


 ゴウが、椅子から身を乗りだした。


「来たか。近衛崩れ」


「崩れで悪かったな。ついでに、花嫁も返してもらう。雇い主なんでな」


 ゴウは、片手を上げた。


 城壁の上で、太い閂が落ちる音がした。外の門が、どおん、と閉まった。門の外で、ロウたちの叫ぶ声がした。


 四方の壁の上で、弓の影たちが、ようやく広場のほうへ向きなおった。


「よく来た。ここが、お前の墓だ」


「そうかい」


 レツは、荷車の陰で、剣を肩に載せたまま言った。


「けど、俺はいま、あんたの楼閣の真下にいる。真上の弓は、俺を射つには角度がねえ。向かいの壁の弓は、広場の向こうから、自分の味方の頭の上を越して射つことになる」


 ゴウの眉が、わずかに動いた。


「さっき吠えたのは、俺だ。門の外の崖の下からな。崖に響かせりゃ、尾根から聞こえる。耳が出てるあいだは、喉も虎でよ」


 レツは、露台を見上げた。


 シュリンを、見た。


「それに、うちの雇い主は、黙って座ってる女じゃねえ」




   *




「射て」


 弦の音が、雨のように鳴った。


 向かいの壁から放たれた矢が、広場の上を渡ってきた。荷車の甕に当たって、甕が割れた。酒が、石畳に流れた。


「おいおい。祝いの酒が、もったいねえな」


 荷車の陰から、のんきな声がした。


「射ち方、やめ。槍を出せ」


 ゴウの声で、弓が止んだ。


 内の門の脇の通用口が開いて、槍の兵がなだれでてきた。穂先をそろえて、荷車へ押しよせてくる。


 レツが、荷車の陰から跳びだした。


 速かった。


 槍の列の、いちばん端へ。穂先と穂先のあいだに、体をねじこんだ。剣の平で槍の柄を払い、柄頭で兵の顎を打ちあげ、次の兵の足を払った。列の端が崩れると、レツはもう、その向こうへ抜けていた。


 頭の上から、網が広がりながら落ちてきた。


 レツは、網の端の下へ転がりこんだ。網の縁をつかんで、足もとへ思いきり引いた。槍の兵が三人、網に足をとられて、ひっくり返った。


 露台の上で、兵たちがどよめいた。


「なんだ、あいつ……」


「人の姿のままで、あれか」


 シュリンは、欄干を握りしめていた。


 槍の列を抜けたレツは、広場のまんなかに出ていた。荷車の陰から、離れていた。


 ゴウが、静かに言った。


「射て」


 壁の上から、矢が降った。


 レツは、剣を振るった。一本、二本、矢が弾かれて、石畳に転がった。三本めは、身をひねってかわした。


 四本めが、レツの太ももに突きたった。


 黒い鏃だった。


 レツの体が、ぐらりと揺れた。


 それから、レツは、太ももの矢をつかんで、ひと息に引き抜いた。


「……かすり傷だ」


 矢を、石畳に放りなげた。


 上衣の裾が裂けて、血が流れていた。


 手の甲に、黒い縞が走った。肘まで駆けあがりかけたのを、レツは、歯を食いしばって押しもどした。


 レツは、荷車の陰へ駆けもどった。足どりは、まだ乱れていなかった。


「動けば、動くほど」


 ゴウが、椅子に背をあずけた。


「毒は、早く回る」


 レツは、荷車の陰で、もう一度、槍の列を迎えうった。一人、二人と打ち倒した。


 けれど、三人めの槍をかわしたとき、足が、わずかにもつれた。


 四人めの槍を払ったとき、剣の振りが、半拍、遅れた。


 額に、汗が光っていた。


 シュリンは、欄干を握る手に、力をこめた。


 ゴウが、杯を取った。


「仕留めたも同然だな」


 低い声に、初めて、満足の色がにじんでいた。


「祝え。乾杯だ」




   *




 太鼓が、鳴った。


 亥の刻を告げる太鼓に重ねて、乾杯の声が上がった。酒の甕が回されてきた。露台の兵たちが、杯を受けとった。


 シュリンは、立ちあがった。


「花嫁殿?」


 脇の兵が、杯を持ったまま振りむいた。


 その足もとで、灯りが、がしゃんと割れた。


 スイだった。灯りを取り落として、油の燃える炎のなかで、きゃあきゃあと騒いでいた。兵たちが、足もとの火に慌てて飛びのいた。


 シュリンは、欄干に上がった。


 朱塗りの欄干の上に、まっすぐに立った。


 夜風が、赤い衣の袖をはためかせた。冠の金の房が、篝火の光を受けて、きらきらと揺れた。


 兵が、シュリンの裾へ手をのばしかけた。


 その手が、止まった。


 将軍の花嫁の体だった。王の娘の体だった。触れてよいのか、兵には分からなかった。


 ゴウが、手を上げて、兵を制した。


「言わせておけ」


 杯を口へ運びながら、言った。


「降った兵の弓の後ろには、わしの兵が一人ずつ立っている。弓を下ろした者から、背中を射られるだけだ」


 シュリンは、息を吸った。


「セイランの兵よ!」


 声が、石の壁に響いた。


 城壁の上の弓兵たちが、いっせいに露台を見上げた。


 ゴウは、降った兵にも弓を持たせていた。セイランの兵に、セイランの守り虎を射させる。それを、兵の口から民へ伝えさせるために。


「わたしは、シュリン。セイランの王の娘です。父の名において、命じます」


 広場が、しんと静まった。


「この広場にいるのは、ゲン将軍の側近、セイランの近衛、レツ。九年前、北の魔物と戦って谷に落ち、死んだことにされた人。それでも、わたしを助けに来た人です」


 広場の荷車の陰で、レツが、顔を上げた。


「セイランの兵は、弓を下ろしなさい。門を、開けなさい!」


 城壁の上で、弓の影が、ひとつ、下がった。


 その後ろに立っていたゴウの兵は、広場の男へ弓を向けたままだった。振りむくのが、一拍、遅れた。


 振りむいて、弓を引きしぼった。下ろした兵の、背中へ。


 横から、別のセイランの兵が、その弓に体ごとぶつかった。矢は、夜空へ逸れた。二人は、もつれあったまま、城壁の上を転がった。


 隣の影も、下がった。


 ひとつ、またひとつ。城壁の上の弓の、半分ちかくが、ゆっくりと下ろされていった。


 内の門の、内側で、太い閂がきしむ音がした。


 下働きの男たちが、閂に取りついていた。荷運びや、厩の番や、炊事の手伝いをさせられていた、降った兵たちだった。


「セイランの、姫さまだ」


「姫さまが、開けろと」


 閂が、外れた。内の門が、開いた。


 下働きの男たちは、そのまま広場を駆けぬけて、外の門の閂にも取りついた。


 外の門が、開いた。


 ロウたちが、なだれこんできた。


「姫さまに続け!」


 広場で、ゴウの兵とセイランの兵が、もみあいになった。


 ゴウの手のなかで、杯が止まっていた。


 ゴウは、杯を置いた。


 ゆっくりと立ちあがった。


「……花嫁殿」


 低い、静かな声だった。


「民の心の在りかとは、よく言ったものだ」


 ゴウは、柱に立てかけてあった大刀を、手に取った。


 長い柄の先に、三日月のような幅の広い刃がついていた。


 それから、露台の階段を、下りはじめた。




   *




 広場のまんなかに、ゴウが立った。


 大刀を、両手で構えた。


 荷車の陰から、レツが出てきた。剣を右手に下げて。足もとが、わずかに揺れていた。


「よう。将軍さま、自らかい」


「近衛の剣を、一度、見ておきたくてな」


 ゴウが、踏みこんだ。


 大刀が、うなりをあげて、横に薙いだ。


 レツは、受けなかった。剣の刃を寝かせて、大刀の刃を上へ流した。三日月の刃が、レツの頭の上を通りすぎた。


 レツが、踏みこんだ。


 剣の切っ先が、ゴウの頬をかすめた。


 ゴウの頬に、赤い筋が一本、走った。


 露台の上で、誰かが息をのんだ。


 ゴウは、頬の血を、指でぬぐった。


「……なるほど。ゲンが、手もとに置くわけだ」


 二合め。三合め。


 大刀は重く、速かった。けれど、レツの剣は、それを一度も正面から受けなかった。流して、外して、踏みこんだ。そのたびに、ゴウが一歩、下がった。


 四合め。


 レツの膝が、かくりと折れた。


 毒だった。


 ゴウは、それを見逃さなかった。


 大刀の柄が、レツの肩を打った。返す刃が、レツの腕を浅く裂いた。


 血が、飛んだ。


 レツは、石畳に片膝をついた。


「……ちっ」


 レツの目が、金色に燃えあがった。


 縞が、首へ走った。


 抗っていた。歯を食いしばって、剣の柄にしがみついていた。それでも、縞は止まらなかった。


 上衣が、内側から裂けた。剣の柄を握っていた手が、太い前足になって、石畳を打った。


 虎の咆哮が、広場の石の壁にぶつかって、跳ねかえった。


 けれど、その咆哮は、峠で聞いたものより、ずっと弱かった。


「網だ」


 ゴウが言った。


 親衛の兵たちが、網を投げた。虎は、網を引きちぎろうともがいた。けれど、毒のまわった体に、力が入らなかった。前足が網に絡まり、石畳にずるりと滑った。




   *




 シュリンは、露台の奥へ走っていた。


 スイが、先に立っていた。灯りもなく、暗い廊下を、迷わずに走った。


「こっち! 裏の回廊!」


 回廊には、誰もいなかった。番の兵は、表で乾杯の杯を受けとっていた。


 スイから、銀貨と引きかえに聞いた道だった。


 階段を、重い衣の裾を両手でたくしあげて、駆けおりた。冠の房が、頬を打った。


 回廊の端の戸を開けると、そこが、広場だった。


 網のなかで、虎がもがいていた。


 まわりを、親衛の槍が囲んでいた。


 ゴウが、大刀を、ゆっくりと振りかぶっていた。


 シュリンは、走った。


 槍の輪の隙間を、くぐった。


 虎の前に、立った。


 ゴウの大刀の、真下に。


 両腕を、広げた。


 赤と青と金の衣。鳳凰の冠。切りそろえた前髪の下の、笑わない目。


 その背中に、網にかかった黄金の虎。


 広場のあちこちで、もみあっていた兵たちの手が、止まった。


 ゴウの大刀が、宙で止まった。


「どけ、花嫁殿」


「どかないわ」


「その獣は、もう助からぬ。毒が回っている」


「助かるわ。この人は、いつも、ひと晩寝れば治るのよ」


 ゴウは、大刀を下ろさずに、親衛の兵たちに言った。


「花嫁殿を、引きはがせ」


 兵たちが、前に出た。


 手を、のばした。


 そこで、止まった。


 王の娘の、婚礼の衣だった。将軍の花嫁の、腕だった。兵たちの手は、シュリンの袖の手前で、宙に浮いたまま動かなかった。


 ゴウの目が、細くなった。


 露台の階段の下で、バイが、その背中を見ていた。


 バイの手が、腰へ行った。剣の柄は、なかった。副将の札も、もうなかった。


 手を、下ろした。


 網のなかの虎を見た。両腕を広げた娘を見た。振りかぶられたままの、大刀を見た。


 バイは、一歩、踏みだした。


 そこで、止まった。


「ならば、わしが」


 ゴウは、大刀を片手に持ちかえた。空いた手が、シュリンの腕へのびてきた。


 バイは、もう一歩、踏みだした。そこからは、止まらなかった。


 ゴウの手首を、横から、黒い外套の腕がつかんだ。


「閣下」


 バイは、ゴウの手首をつかんだまま、静かに言った。


「あの虎に一度、拾われた命です」


「バイ」


「わたしも一度、同じ手を使った。花嫁のいる屋根へ、矢を射させた。当てるなと言えば、当たらぬと思っていた。……当たらなかったのは、あの男が、背中で受けたからです」


 バイの声が、一度だけ、かすれた。


「だから、分かる」


 バイの指に、力がこもった。


「それは、将の戦ではない」


 ゴウとバイの目が、ぶつかった。


 その一瞬で、シュリンは、足もとの剣を拾っていた。


 レツが持ってきた剣。バイの剣。重かった。両手で握った。


 振りむいて、虎の頭と前足に絡まった網に、刃を当てた。引いた。縄が切れた。もう一本。もう一本。四本、五本。


 網が、ゆるんだ。


 虎が、身を起こした。


 その拍子に、シュリンは押しのけられて、尻もちをついた。


 その肩をかすめて、黄金の影が跳んだ。


 虎の前足が、大刀の柄ごと、ゴウの腕を払った。


 大刀が、ゴウの手から飛んだ。三日月の刃が、篝火を映しながら宙を回って、石畳に突きささった。


 虎が、ゴウにのしかかった。


 大きな男が、石畳に背中から倒れた。毛皮の外套が、広がった。


 着地した虎の後ろ足が、がくりともつれた。


 一度きりの跳躍だった。


 それでも、虎の前足は、ゴウの胸を地面に押さえつけていた。


 親衛の槍が、虎の脇腹に向いた。


 けれど、虎の前足の下には、将軍の胸があった。突けば、主を道連れにする。穂先が、宙でふるえた。


 そこへ、ロウたちの槍が割って入った。




   *




 虎の金色の目が、ゴウの喉を見下ろしていた。


 牙が、むきだしになった。


「レツ!」


 シュリンは、虎の横に駆けよった。


 虎の目を、見た。


 息が、止まった。


 金色の目に、シュリンが映っていなかった。


 何も、映っていなかった。ただ、目の前の喉だけを見ていた。獣の目だった。


 シュリンは、虎の耳に、両手をのばした。押さえた。


「レツ。わたしよ」


 耳が、手のひらの下で、ぴくりと動いた。


 けれど、牙は、引かなかった。ゆっくりと、ゴウの喉へ下りていった。


「レツ!」


 虎が、うなった。


 シュリンに向かって。耳を押さえる手を、振りはらうように、頭を振った。


 シュリンは、手を離さなかった。離したら、もう、届かないと思った。


 毒と、血と、獣の熱。この人は、いま、どこか遠いところにいる。


 名前では、届かない。耳でも、届かない。


 シュリンは、片手を虎の耳から離した。


 自分の短い髪に、手をやった。


 冠を留めた十二本とは別に、一本だけ挿していた、金のかんざし。


 抜いた。


 かんざしには、髪の香油の匂いが残っていた。王宮で、侍女たちが毎朝つけた香油。峠で、輿のなかで、この人がそばにいたときも、同じ匂いがしていたはずの。


 あの日、寝ぼけた虎は、この髪に鼻をもぐりこませて、いつまでも嗅いでいた。


 虎の鼻先に、差しだした。


「……前金の、残り」


 声が、震えた。それでも、言った。


「二本って、約束したでしょう。一本は、焼けた砦に置いてきたわ。……もう一本を、取りに来たんでしょう?」


 虎の鼻が、ひくりと動いた。


 金色の目が、ゆっくりと、動いた。


 ゴウの喉から、かんざしへ。


 かんざしから、シュリンの顔へ。


 目の奥に、何かが、映った。


 伏せられていた虎の耳が、ぴんと、前を向いた。


 牙が、ゆっくりと、閉じた。


 虎の喉の奥で、割れた音がした。


「……く、び、は……」


 言葉と呼ぶには、あまりに割れた声だった。


 峠で「ひ、め」と言ったときと、同じ声だった。


「……と、ら……ねえ」


 虎は、自分から、ゴウの胸の上の前足を上げた。


 一歩、下がった。


 それから、シュリンの前に、どさりと腰を落とした。


 ロウとセイランの兵たちの槍が、ゴウの喉もとに集まった。バイが、ゴウの腕を後ろへねじりあげた。


「……閣下。お縄を」


 ゴウは、石畳に背中をつけたまま、動かなかった。


 シュリンは、ゴウの前に立った。


「言ったでしょう」


 ゴウを、見下ろした。


「来て、あなたは、後悔するって」


 バイが、ゴウの腕に縄をかけながら、ぼそりと言った。


「閣下にも、石畳が、よく似合う」


 ゴウは、目を閉じた。


 それから、低く、笑った。


「前金、か」


 誰に言うでもなく、つぶやいた。


「……わしは、値を読みちがえたな」




   *




 虎が、ぐらりと揺れた。


 シュリンの肩に、大きな頭が、重たくのしかかってきた。


「レツ?」


 虎の体が、横倒しに崩れた。


 シュリンは、一緒に石畳に膝をついた。


 虎の息が、浅かった。速くて、浅くて、ときどき、途切れた。太ももの傷のまわりの毛が、黒ずんでいた。


「レツ」


 呼んだ。


 耳が、動かなかった。


「レツ、起きて」


 耳を押さえた。名前を呼んだ。かんざしを、鼻先に置いた。


 虎は、目を開けなかった。


 まわりで、ロウたちが、何か叫んでいた。スイが、泣きそうな顔で駆けよってきた。誰かが、医者を、と言っていた。


 シュリンには、聞こえなかった。


 シュリンは、冠のかんざしを、一本ずつ抜いた。


 十二本。


 最後の一本を抜くと、冠は、ごとりと石畳に落ちた。首が、急に軽くなった。


 シュリンは、虎の額に、自分の額を押しつけた。


「冠、外したわよ」


 声が、かすれた。


「最初の朝に、言ったでしょう。食べるなら、冠を外してからにしてって。……外したわ。食べたいなら、起きて食べなさい」


 虎の寝息は、ほとんど聞こえなかった。


「ひと晩寝れば、治るんでしょう。……戻ってきなさい」


 シュリンは、目を閉じた。


「命令よ」


 額の下で、虎の耳が、ほんのかすかに、ぴくりと動いた。


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