汚れ仕事
朝の光が宿舎の窓を白く染めた頃、扉を叩く音が響いた。
慌てた様子もなく、だが有無を言わせない強さで。シューベルトが目を開けると、まだ仲間たちは眠っていた。ロバートの豪快ないびきが部屋に満ちている。アイリーンは毛布を頭まで被り、サラは行儀よく両手を胸の上で重ねたまま静かに息をしている。エドだけは、すでに目を開けて天井を見ていた。
二度目の叩音。
「起きろ、傭兵ども。伝令だ」
扉が開かれると同時に、冷たい外気と共に入ってきたのはトマス家の紋章を胸に刻んだ若い兵士だった。部屋を見渡し、鼻をつまむような仕草をする。
「官房長バルカス様より、初任務の通達である。心して聞け」
ロバートが寝台から半身を起こし、眠そうな目で兵士を睨んだ。フクロウはすでに身支度を終えており、椅子から立ち上がって静かに兵士を促した。
「……承知した。内容は?」
兵士は手にした書状を開き、事務的に読み上げ始めた。
「場所は西の『静寂の湿地』。そこにある『泥濘の砦』が魔族の尖兵によって占拠された。貴様らの任務は、砦の深部に潜入し、魔力供給源である魔石の破壊、および敵首領の討伐だ」
「湿地の砦……」
サラが不安げに眉を寄せた。
「あそこは足場が悪く、正面突破は困難なはずですが」
兵士はあざ笑うように口端を歪めた。
「当然だ。だからこそ、我がトマス騎士団が正門側から大々的に陽動を仕掛ける。貴様らには、砦の側面にある古びた排水口からの潜入をお願いしたい。……汚れ仕事には、それに慣れた者が向いているだろう」
露骨な言い方だった。
ロバートの顎に青筋が浮かぶ。アイリーンが唇を噛んだ。だがフクロウは表情を動かさず、書状を受け取った。
「……了解した。排水口からの潜入、および核の破壊。やり遂げれば、我々の価値は認められるということだな」
「それは戦果次第だ。失敗すれば、仮の身分すら剥奪されると思え」
兵士はそれだけ言い捨てると、唾を吐き捨てるようにして部屋を去っていった。廊下を遠ざかる軍靴の音を聞きながら、ロバートが地面を這うような声で吐き捨てた。
「排水口だとよ。騎士に取り立てるって言いながら、やらせることは掃除屋かよ」
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湿地への道は、半日かかった。
街道を外れ、枯れた草地を抜け、やがて足元が粘り気のある泥に変わり始めると、空気の質が変わった。腐った植物の臭いと、肌にまとわりつく湿気。木々は黒ずんで枯れかかり、霧が低く立ち込めている。太陽の光がここまで届いていない、そんな感じがした。
「……嫌な場所だな」
アイリーンが顔をしかめながら、ぬかるんだ地面に足を取られた。
「こんなところに砦を作るって、どういう頭してるんだか」
「魔族にとっては都合がいいんだろう。視界が悪く、足場が悪い。正規兵の重装備では動きにくい」
エドが淡々と答えながら、周囲の木々に視線を走らせている。彼の目は常に動いていた。物音、影の揺れ、風の向き。戦場に入る前から、エドはすでに仕事を始めていた。
「ねえ、フクロウ」
アイリーンが団長の隣に並んだ。
「さっきの兵士、あいつ絶対に私たちのこと舐めてたよね。排水口って言い方、わざとだよね」
「わざとだ」
フクロウは前を向いたまま答えた。
「だが、それでいい」
「どうして」
「舐められているうちは、警戒されていないということだ。警戒されていない方が、動きやすい」
アイリーンは少し考えてから、「……なるほどね」と呟いた。
シューベルトはその会話を聞きながら、少し後ろを歩いていた。
舐められていた方が動きやすい。その言葉は正しい。侮られることを当然のものとして計算に組み込む、その冷静さが、フクロウの強さであり、シューベルトには真似できない部分でもあった。
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霧が濃くなってきた頃、前方に人影が見えた。
整列した騎士たちと、その中心に馬上の一人。青いマントを翻し、磨き抜かれた甲冑を纏う男。彼がこちらを見下ろす目には、隠す気もない軽蔑が宿っていた。
「遅いぞ、傭兵ども」
トマス家正規騎士団の中隊長、バッカス。四十過ぎで、顎の張った、いかにも自分が正しいと信じて疑わない顔をした男だ。
「我ら騎士団が正面から陽動を開始する。貴様ら傭兵の役割は分かっているな?」
「承知しております、バッカス様。側面にある排水口からの潜入、および砦内部の魔石の破壊ですね」
フクロウが馬上から短く応じる。バッカスは鼻で笑った。
「そうだ。正門から正々堂々と攻め入るのは、神獣の加護を受けた我ら正規騎士の役割だ。貴様らのような素性の知れぬ者たちには、泥の中を這い回る仕事が似合いだろう」
ロバートの手が槍の柄を握りしめた。シューベルトは感情を殺したまま、静かに砦の方角を見据えていた。
「……失敗して穴の中で野垂れ死んでも、助けなど期待するなよ。死体の回収さえ我々の手間だ」
バッカスはそう言い捨てると、手綱を翻し、騎士たちの元へと戻っていった。
その背中が霧の向こうに消えるのを見送ってから、アイリーンが低い声で言った。
「……あいつ、本当に言いたい放題だな」
「いいじゃないか」
シューベルトは剣を抜き放った。刃が霧の中で鈍く光る。
「汚い仕事ほど、俺たちの独壇場だ。あんな重たい甲冑を着た連中には、一生かかっても真似できない」
仲間たちが顔を上げた。アイリーンが不敵な笑みを浮かべ、ロバートが肩の力を抜いた。エドは無言だったが、腰の短剣を静かに抜いた。サラが杖を握り直し、フクロウが静かに頷いた。
「行くぞ。……足音を消せ」
フクロウの号令とともに、一行は霧の中へと踏み込んだ。
泥が靴底を掴む。湿った空気が肺に入る。遠くから、バッカスの陽動が始まったのか、角笛の音が低く響いてきた。
砦の輪郭が、霧の奥にぼんやりと浮かび上がった。




