バルカスの試験
問いには二種類ある。答えを求める問いと、答える者を測る問いだ。前者は、答えが返ってくれば終わる。だが後者はどんな答えを返すかで答える者の中身が暴かれる。バルカスという男が発する問いは、いつも、後者だった。
―――
その呼び出しは、突然だった。
「官房長が、空の戦士団の団長とシューベルト殿の二名をお呼びである」
使者がそう告げたのは、何の前触れもないある日の午後だった。フクロウとシューベルト、二名だけの指名。それも理由は告げられない。
「二人だけ、か」ロバートが訝しげに言った。「何の用だろうな」
「分からん」フクロウは、いつも通り淡々としていた。
「だが断る理由もない。シュー、行くぞ」
二人は政務棟へと向かった。
道すがらシューベルトはフクロウに尋ねた。
「何だと思う、今回の呼び出しは」
「さあな」
フクロウは、前を向いたまま足を止めず答えた。
「だが、バルカスという男は無駄なことはしない。何か、目的がある。……気を抜くな」
その言葉に、シューベルトは頷いた。バルカスは感情の読めない男だ。だが、無能ではない。むしろ、城の実務を取り仕切る、切れ者だ。その男がわざわざ二人を呼び出すからには、何か意図がある。
―――
通されたのは、いつもの第三会議室ではなかった。
バルカスの執務室。書類が整然と積まれた、無機質な部屋だ。バルカスは、机の向こうに座りいつものようにこちらを見ようともせずに書類を捲っていた。
「来たか」バルカスは、ペンを置いた。「呼び立てて、すまんな」
珍しく、丁寧な物言いだった。それがかえって不気味だった。
「単刀直入に言おう」
バルカスは、ようやく顔を上げた。眼鏡の奥の目が、二人を捉える。
「貴様らの準騎士としての適性を、改めて確認したい」
「適性、ですか」シューベルトが問い返した。
「左様。貴様らは、傭兵から準騎士へと取り立てられた。異例の抜擢だ。下層市場の巡回、令嬢の警護、いずれも成果を上げている。……だが、それは『力』の証明に過ぎん」
バルカスは、机の上で指を組んだ。
「準騎士に——いや、騎士に必要なのは、力だけではない。判断力だ。状況を読み、何を優先すべきかを、瞬時に見極める力。それが貴様らにあるかどうかを、確認したい」
―――
「これから、一つの状況を提示する」バルカスは続けた。「それに対して、貴様らがどう判断するかを聞かせてもらう。正解はない。だが、答えには貴様らの本質が表れる」
書類審問ではない。実地の判断力を、その場で試す。
バルカスは、静かに、状況を語り始めた。
「ある町が、魔族の襲撃を受けている。貴様らは、その町の防衛を任された準騎士団だ。町には、二つの区画がある。一つは、城壁に囲まれた中心区画。住民の大半と、町の食料・物資が、ここに集中している。もう一つは、城壁の外の、貧しい外縁区画。少数の住民が暮らしているが、防御は手薄だ」
バルカスの目が、二人を交互に見た。
「魔族の本隊は、中心区画に迫っている。だが同時に、別働隊が外縁区画に向かっている。貴様らの戦力では、両方を同時に守ることはできない。どちらか一方しか、守れない。……さて、貴様らは、どちらを守る?」
部屋に、沈黙が落ちた。
典型的な、究極の選択だった。多くを守るために少数を切り捨てるか。それとも、見捨てられがちな弱者を守るか。
シューベルトは、考えた。
だが、答えを出す前に、フクロウが、口を開いた。
―――
「中心区画を、守ります」フクロウは、即答した。
「ほう」バルカスの眉が、わずかに動いた。「理由は」
「単純な損得勘定です」フクロウは、淡々と言った。
「中心区画には、住民の大半と、町の物資が集中している。ここを失えば、町そのものが機能を失う。外縁区画を守って中心区画を失えば、結局、町全体が滅びる。より多くを生かすために、中心区画を守る。それが合理的な判断です」
冷徹なまでに、論理的だった。
バルカスは、頷いた。「なるほど。合理的だ。指揮官としては、正しい判断と言えるだろう」
それから、バルカスの目が、シューベルトに向いた。
「シューベルト殿。貴様は、どう考える」
シューベルトは、フクロウの答えを聞いていた。合理的だ。正しい。多くを生かすために、少数を切り捨てる。指揮官として、間違っていない。
だが、シューベルトの中で何かが引っかかった。
―――
「……俺は」シューベルトは、ゆっくりと口を開いた。「すぐには、外縁区画を、切り捨てられません」
バルカスの眉が、再び動いた。
「ほう。では、外縁区画を守ると?少数のために、多数を犠牲にするのか」
「いえ」シューベルトは、首を振った。「そうではありません。俺は、まず、両方を守る方法を、探します」
「両方は守れない、と言ったはずだが」
「分かっています。戦力では、両方を同時に守れない。でも、それは『同時に』の話です」シューベルトは、考えながら言葉を紡いだ。「たとえば、外縁区画の住民を、中心区画へ避難させる時間を稼ぐ。少数の戦力で別働隊を足止めしている間に、住民を中心区画に逃がす。それから、中心区画の防衛に全戦力を集中する。……区画を守るのではなく、人を守ることを、優先します」
バルカスは、黙って聞いていた。
「もちろん、うまくいかないかもしれません。足止めの戦力が、全滅するかもしれない。住民の避難が、間に合わないかもしれない」シューベルトは続けた。「でも、最初から外縁区画を切り捨てるのではなく、全員を生かす道を、最後まで探りたい。それが、無理だと分かった時に、初めて、苦渋の選択をします」
―――
沈黙が、流れた。
バルカスは、しばらく、シューベルトを見つめていた。それから、ふと、フクロウに視線を移した。
「団長殿。貴様の部下の答えを、どう聞いた」
フクロウは、シューベルトを一瞥してから、答えた。
「甘い、と思います」
その言葉に、シューベルトは、わずかに身を硬くした。
「全員を生かす道を探る。理想としては、正しい」
フクロウは、淡々と言った。
「だが、戦場では、その理想が、より多くの死を招くことがある。両方を守ろうとして足止めの戦力を分けた結果、どちらも守りきれず、町全体が滅びる。……欲張った末の、全滅。それが最悪の結果です」
「では貴様は、シューベルト殿の判断が間違っていると」
「間違っている、とは言いません」
フクロウは、首を振った。
「ただ、危うい、と。理想を追うことと、現実的な選択をすることは、時に両立しません。指揮官は非情な決断を下さねばならない時がある」
バルカスは、頷いた。
それから、シューベルトを見て、言った。
「シューベルト殿。団長の言うことを、どう思う」
―――
シューベルトは、フクロウの言葉を、噛み締めた。
甘い。危うい。その通りかもしれない、と思った。理想を追って、結局、より多くを失う。それは、最悪の結果だ。フクロウの言うことは、戦場の現実を踏まえた、重い言葉だった。
だが——。
「フクロウの言う通りだと思います」シューベルトは、静かに言った。「俺の考えは、甘いかもしれない。理想論かもしれない。現実には、非情な決断が必要な時がある」
彼は、顔を上げた。
「でも、それでも、俺は、最初から誰かを切り捨てる指揮官にはなりたくない。切り捨てる前に、全員を生かす道を、探りたい。……それで、結果的に多くを失うとしても、探ることを、やめたくないんです」
シューベルトの声には、迷いがあった。だが、その芯には、揺るがないものがあった。
「外縁区画に住んでいるのは、たぶん、貧しい人たちです。城壁の中に入れてもらえなかった人たち。傭兵だった頃の、俺たちみたいな人たちです」シューベルトは言った。「そういう人たちを、『少数だから』という理由で、最初から計算に入れない。それは、俺には、できません。たとえ、甘いと言われても」
部屋に、沈黙が満ちた。
―――
バルカスは、長いこと、何も言わなかった。
眼鏡の奥の目が、シューベルトと、フクロウを、交互に見ている。何を考えているのか、相変わらず、読めない。
やがて、バルカスは、ふっと、息を吐いた。
「……面白い」
それは、感情の見えない声だった。だが、わずかに、何かが滲んでいた。
「貴様ら二人の答えは、対照的だ」バルカスは言った。「団長は、合理を取る。多くを生かすために、少数を切り捨てる。冷静で、現実的だ。指揮官として信頼できる」
彼は、シューベルトを見た。
「シューベルト殿は、理想を取る。全員を生かす道を最後まで探る。甘く、危うい。だが——その甘さが、時に、合理を超える結果を生むこともある。土壇場で、誰も思いつかなかった道を見つけることがある」
バルカスは、再び、書類に視線を落とした。
「どちらが正しい、という話ではない。どちらも、必要な資質だ。そして、貴様らはその二つを、二人で持っている。団長の合理と、剣士の理想。……それが、揃っている。だから、この戦士団は強いのだろう」
―――
「試験は、以上だ」バルカスは、淡々と言った。「下がってよい」
二人は、礼をして、執務室を辞した。
廊下を歩きながら、シューベルトは、フクロウに言った。
「……甘い、か」
「悪く取るな」フクロウは、前を向いたまま言った。「お前の答えは、お前らしかった。俺は、ただ、お前とは違う道を選ぶというだけだ」
「お前なら、、、本当に外縁区画を切り捨てるのか」
フクロウは、少し間を置いてから、答えた。
「……分からん。実際にその場に立てば、どう判断するかは、その時次第だ」
それは、珍しく、曖昧な答えだった。
シューベルトは、フクロウの横顔を見た。いつもの、何も読めない顔。だが、シューベルトは、ふと思った。フクロウの「合理」は、本当に、ただの合理なのだろうか。多くを生かすために、少数を切り捨てる。その判断の奥に、何か——もっと別の、譲れないものが、あるのではないか。
だが、その考えは、すぐに消えた。
フクロウは、団長だ。指揮官として、非情な判断ができることは、むしろ、頼もしいことだ。シューベルトの理想を、現実の重しで支えてくれる存在。それが、フクロウなのだ。二人で、一つ。バルカスも、そう言っていた。
―――
別館に戻ると、仲間たちが、わらわらと寄ってきた。
「どうだった?何の用だったの?」アイリーンが、真っ先に聞いた。
「適性試験のようなものだ」フクロウが答えた。「変な状況を出されて、どう判断するか聞かれた。それだけだ」
「えー、何それ。試験とか苦手なんだけど」アイリーンが顔をしかめた。「あたしが呼ばれなくてよかった」
「お前が呼ばれたら、『とりあえず全部ぶった斬る!』とか言いそうだもんな」ロバートが笑った。
「言わないよ!……たぶん」
「たぶんかよ」
仲間たちの笑い声が、別館に響いた。シューベルトも、その輪の中で、口元を緩めた。
だが、心の片隅に、バルカスの試験の余韻が、残っていた。
団長の合理と、剣士の理想。
二人で、一つ。
その言葉は、頼もしくもあり、同時に、ほんの少しだけ、不安でもあった。もし、いつか——その合理と理想が、決定的に食い違う時が来たら。二人は、どうなるのだろう。
左胸が静かに脈打っていた。
その拍動は、いつもより、ほんのわずかに、速かった。




