ロバートの約束
義理という言葉を、古臭いと笑う者がいる。損得で動く方が賢いと。だが、損得だけで結ばれた縁は、損得が崩れた瞬間に切れる。義理で結ばれた縁だけが、損得を超えて残る。ロバートは、それを知っていた。だから彼は、馬鹿正直なまでに、義理を守り続けてきた。
―――
その男と再会したのは、城下の表通りでのことだった。
その日、ロバートはシューベルト、アイリーンと組んで、城下の見回りに出ていた。下層市場の巡回任務はすでに終わっていたが、警護任務の合間に、城下の治安維持を兼ねた見回りを任されることがあった。
冬の表通りは、それなりに賑わっている。露店が湯気を立て、客が行き交う。その雑踏の中で、ロバートが、ふと足を止めた。
「……ガウェイン?」
ロバートの視線の先に、一人の男がいた。
四十がらみの、痩せた男だった。かつては屈強だったであろう体が、今は骨ばって見える。すり切れた外套を着て、片足を引きずっている。その顔には、深い疲労が刻まれていた。
男が、振り返った。
「……ロバート、か?」
かすれた声だった。
「ロバートじゃねえか」
「ガウェイン!やっぱりお前か!」
ロバートが、大股で歩み寄った。
「生きてたのか!どこで何してた、この野郎!」
二人は、がっしりと抱き合った。旧友の再会だった。
―――
「シュー、アイリーン、紹介する」ロバートが、誇らしげに言った。「ガウェインだ。俺が傭兵を始めた頃の、兄貴分でな。剣も人生も、こいつに教わったんだ」
「ロバートの、兄貴分……」アイリーンが、男を見上げた。
「よろしくな、お嬢ちゃん」
ガウェインは、力なく笑った。
「といっても、見ての通り、今はこのザマだ。とても傭兵とは言えねえ」
ガウェインの片足は、明らかに不自由だった。古い傷のようだ。傭兵が足をやられれば、それは引退を意味する。剣の腕がどれだけあっても、動けなければ戦えない。
「足、どうした」ロバートが、声を落とした。
「ああ、これか。何年か前の戦いでな。魔族にやられた。命があっただけ、ましさ」
ガウェインは、軽い口調で言ったが、その目には、隠しきれない陰があった。
「それからは、まあ、食うために色々とな。今は、城下で荷運びの仕事をしてる」
「荷運び……」
「笑うなよ。傭兵の成れの果てさ」
ロバートは、笑わなかった。ただ、旧友の不自由な足を、痛ましげに見ていた。
―――
その夜、ロバートはガウェインを、城下の酒場に誘った。シューベルトとアイリーンも同席した。
ジョッキを傾けながら、ガウェインは昔話を始めた。ロバートとの傭兵時代の話。二人で潜り抜けた戦場の話。ロバートが、いかに無鉄砲な若造だったか。それをガウェインが、いかに尻拭いしてやったか。
「こいつはな、若い頃、とにかく喧嘩っ早くてよ」ガウェインが笑った。「仲裁に入るつもりが、自分が一番でかい声出して、場を引っ掻き回すんだ」
「それ、今も同じだよ!」アイリーンが吹き出した。「こないだも八百屋と魚屋の喧嘩、止めようとして余計こじらせてた!」
「変わってねえなあ、お前は」
「うるせえ!」ロバートが赤くなった。
場は、和やかだった。だが、シューベルトは、ガウェインの様子に、どこか引っかかるものを感じていた。笑っているのに、その奥に、何か思い詰めたものがある。時折、ふと黙り込み、ジョッキの中を見つめる。何かを、抱えている目だった。
夜が更け、アイリーンが酔って寝てしまった頃。
ロバートが、ガウェインに、静かに尋ねた。
「ガウェイン。何か、困ってるんじゃねえのか」
ガウェインの手が、止まった。
―――
「……分かるか」ガウェインは、苦笑した。
「長い付き合いだ。お前の顔を見りゃ、分かる」ロバートは、まっすぐにガウェインを見た。「話せ。何があった」
ガウェインは、しばらく黙っていた。それから、観念したように、ぽつぽつと語り始めた。
「……借金だ」
荷運びの稼ぎだけでは、食っていけなかった。不自由な足では、まともな仕事も限られる。やむなく、城下の金貸しから金を借りた。だが、利子が利子を呼び、返せなくなった。
「相手が、悪かった」ガウェインの声が、低くなった。「ただの金貸しじゃねえ。城下の裏を仕切ってる、たちの悪い連中だ。返せなきゃ、体で払えと言われてる。……俺の足じゃ、もう戦えねえ。なら、どうやって体で払うか分かるか。臓物を売るか、見せしめに殺されるか、どっちかだ」
「……いくらだ」ロバートが聞いた。
「ロバート、お前に迷惑はかけられねえ」
「いくらだ、って聞いてる」
ガウェインは、金額を口にした。ロバートの顔が、わずかに曇った。準騎士の俸給では、すぐには用立てられない額だった。
「明後日が、期限だ」ガウェインは、力なく笑った。「もう、覚悟はできてる。お前と、最後に飲めただけで、十分さ」
―――
「ふざけるな」
ロバートの声は、低く、しかし、揺るぎなかった。
「お前は、俺の兄貴分だ。命の恩人だ。そのお前が、目の前で売られるのを、黙って見てられるかよ」
「だが、ロバート——」
「金は、何とかする。明後日までに、必ず」ロバートは、きっぱりと言った。「それまで、絶対に、変なことを考えるな。いいな」
ガウェインは、何も言えなかった。ただ、その目に、涙が滲んでいた。
酒場を出た後、シューベルトは、ロバートに尋ねた。
「ロバート。金、当てはあるのか」
「ない」ロバートは、即答した。「だが、何とかする。あいつを見捨てるなんて、できねえ」
「俺たちの俸給を集めても、足りないだろう」
「分かってる」ロバートは、拳を握った。「だが、義理ってのは、果たせる時にしか果たせねえんだ。あいつが、俺に剣を教えてくれた。人として生きる道を、教えてくれた。その恩を、今返さなきゃ、いつ返すんだ」
その言葉に、迷いはなかった。ロバートにとって、これは損得の問題ではなかった。義理を果たすか、果たさないか。それだけだった。
シューベルトは、ロバートの横顔を見て、静かに頷いた。
「分かった。なら、俺たちも手伝う」
「シュー、これは俺の——」
「お前一人の問題じゃない」シューベルトは言った。「仲間の兄貴分なら、俺たちの兄貴分でもある。違うか」
ロバートが、言葉に詰まった。
―――
翌日、戦士団は、対応策を話し合った。
金で解決するのは、現実的ではなかった。額が大きすぎる。フクロウが、別の道を示した。
「相手は、城下の裏を仕切る金貸しだろう。そういう連中は、たいてい、後ろ暗いことをしている」フクロウは、淡々と言った。「不当な高利、暴力による取り立て、違法な賭場。叩けば、いくらでも埃が出る。……正攻法だ。連中の違法行為を押さえ、それを取引材料にする」
「証拠を、掴むのか」シューベルトが言った。
「ああ。エド、城下の裏の動きを探れるか」
「探れる」エドが、短く答えた。「あの辺りは、何度か通った。貧民街の近くだ」
エドは、その日のうちに、金貸しの一味の動きを洗い出した。違法な賭場の場所、暴力による取り立ての証言、不当な利子の記録。エドの隠密と情報収集の腕は、こういう時に冴える。たった一日で、十分な材料が揃った。
「これだけあれば、交渉できる」フクロウは、頷いた。「だが、相手はならず者だ。話し合いで素直に引くとは限らん。力ずくになる可能性もある」
「望むところだ」ロバートが、拳を鳴らした。「兄貴分のためなら、いくらでも暴れてやる」
―――
期限の日。
金貸しの一味が、ガウェインを呼び出した場所は、城下の外れにある、寂れた倉庫だった。
ロバートが、一人で乗り込んだ。
「待たせたな」ロバートは、倉庫の扉を開けて、堂々と入っていった。「ガウェインの借金、俺が話をつけに来た」
倉庫の中には、ガウェインと、十人近いならず者たちがいた。頭目らしき、でっぷりと太った男が、ロバートを睨んだ。
「準騎士様が、何の用だ。これは、こいつと俺たちの問題だ。口を出すな」
「そうもいかねえ」ロバートは、一歩前に出た。「こいつは、俺の兄貴分でな。それに——お前ら、ずいぶんと汚い商売をしてるそうじゃねえか」
ロバートが、懐から、一枚の書面を取り出した。エドがまとめた、一味の違法行為の証拠だ。
「違法な賭場、不当な高利、暴力による取り立て。全部、押さえてある」ロバートは、にやりと笑った。「これを城に突き出せば、お前ら、ただじゃ済まねえぞ」
頭目の顔色が、変わった。
「て、てめえ……」
「取引だ」ロバートは、書面をひらつかせた。「ガウェインの借金を、チャラにしろ。そうすりゃ、この証拠は、誰の目にも触れねえ。悪い話じゃねえだろ」
―――
だが、ならず者は、ならず者だった。
頭目が、顎をしゃくった。手下たちが一斉に得物を抜いた。
「証拠だと?なら、てめえごと消しちまえば、証拠もクソもねえだろうが!」
ロバートは、舌打ちした。
「やっぱり、こうなるか」
手下たちが、ロバートに殺到した。ロバートは、長槍を構える間もなく、拳で応戦した。一人を殴り倒し、二人目を蹴り飛ばす。だが、多勢に無勢。十人近いならず者を、一人でさばききるのは、難しい。
ロバートが、一瞬、囲まれた。
その時。
倉庫の扉が、勢いよく開いた。
「待たせたな、ロバート!」
シューベルトたちが、雪崩れ込んできた。
アイリーンが双剣で手下の得物を弾き飛ばし、エドが投剣で別の手下の動きを封じる。サラが障壁を張ってロバートを守り、フクロウが影を操って、ならず者たちの足元を絡め取る。シューベルトは、片手剣を抜いて、頭目の前に立ちはだかった。
「準騎士団、空の戦士団だ」シューベルトは、静かに言った。「お前たちの違法行為は、すべて記録してある。今ここで投降すれば、命だけは助けてやる。抵抗すれば——」
シューベルトの左胸が、かすかに脈打った。剣の柄を握る手に、力がこもる。
「相応の報いを受けることになる」
頭目は、戦士団の連携を見て、勝ち目がないことを悟った。手下たちも、次々と無力化されていく。やがて、頭目は、得物を取り落とした。
「……分かった。分かったから、待ってくれ」
―――
借金は、チャラになった。
戦士団は、一味の違法行為の証拠を取引材料に、ガウェインの借金を帳消しにさせた。さらに、今後一切、ガウェインに手を出さないことを誓わせた。証拠は、もし約束を破れば城に突き出す、という担保として、フクロウが握ったままにした。ならず者たちは、青ざめて引き下がった。
倉庫の外で、ガウェインは、ロバートの手を握りしめた。
「ロバート……お前、なんで、ここまで」
「兄貴分だからだ」ロバートは、にっと笑った。「お前が、俺に教えてくれたんだろ。義理は、必ず果たせってな。俺は、その教えを守っただけだ」
ガウェインの目から、涙が溢れた。屈強だった傭兵の、痩せた肩が、震えていた。
「……ありがとう。ありがとう、ロバート」
「礼はいらねえよ。それより、足のこと、ちゃんと医者に診せろ。サラ、後で診てやってくれるか」
「うん、もちろん」サラが、にっこりと頷いた。
ガウェインは、何度も頭を下げて、去っていった。その足取りは、不自由なままだったが、来た時よりも、どこか軽く見えた。
―――
帰り道、アイリーンが、ロバートの背中を、ばしんと叩いた。
「ロバート、かっこよかったよ!見直した!」
「いてっ。叩くな」
「だってさ、義理を果たすために一人で乗り込むんだもん。無謀だけど、かっこいい」
「無謀は余計だ」ロバートが、苦笑した。「……だが、お前らがいてくれて、助かった。一人じゃ、危なかった」
「水くさいこと言うなよ」シューベルトが言った。「仲間だろ」
ロバートは、少し照れたように、頭を掻いた。それから、空を見上げた。
「義理ってのはな」ロバートは、ぽつりと言った。「果たせる時に、果たさなきゃならねえんだ。果たせなかった義理は、一生、心に残る。……今日、果たせて、よかった」
その横顔は、満足げだった。
シューベルトは、その言葉を、胸に刻んだ。義理を果たす。約束を守る。当たり前のようで、難しいことだ。だが、ロバートは、それを馬鹿正直に貫いてきた。だからこそ、この男は、戦士団の精神的な支柱なのだ。
左胸が、静かに、温かく脈打っていた。
冬の空は高く澄んで、西の方角まで、どこまでも青く晴れ渡っていた。




