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空の戦士団  作者: 葱狸
2章

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22/34

研ぎ澄まされる牙

牙は、使わなければ鈍る。だが、研ぎすぎた牙は、いつか自分の口を裂く。組織も、人も、同じだ。鋭くなることは、強くなることであり、同時に、何かを傷つける準備が整うことでもある。空の戦士団は今、静かに研がれていた。誰のために、何のために——それを全員が同じように理解しているわけでは、なかった。


―――


下層市場の巡回が始まって、ひと月が過ぎた。


季節は秋の終わりに差し掛かり、聖都エリュシオンの朝は、白い息が出るほど冷え込むようになっていた。別館の窓から見える城の尖塔も、薄い霜をまとって、いっそう白く輝いている。


その朝、フクロウは全員を集めて、ひと月の任務を振り返った。


「巡回任務は、来週で一区切りつく。バルカスからの正式な総括はまだだが、感触は悪くない」


フクロウは、手元の覚書を見ながら淡々と告げた。


「この一ヶ月で、下層区画の小競り合いは目に見えて減った。不正な取り立ても、サラの治療場のおかげで、住民の俺たちへの信頼も増している。数字の上では、十分な成果だ」


「やったじゃない!」アイリーンが拳を突き上げた。「あたしたち、ちゃんと役に立ってるってことでしょ」


「役には立っている」フクロウは頷いた。


「だが、喜ぶのはまだ早い」


その一言で、部屋の空気が少し引き締まった。


―――


「成果が出れば出るほど、ある問題が深まる」フクロウは続けた。


「正規騎士団との、溝だ」


シューベルトは、思い当たることがあった。


この一ヶ月、下層区画で正規騎士と顔を合わせる機会が何度かあった。第六話の不正取り立ての一件以来、正規騎士たちの態度は、明らかに冷ややかになっていた。すれ違っても挨拶もなく、時には聞こえよがしに「傭兵上がりが」と吐き捨てられることもある。


「俺たちが成果を上げるほど、正規騎士団は面白くない」フクロウは言った。「自分たちが手を出さなかった——いや、出したくなかった場所で、準騎士風情が手柄を立てている。連中のプライドが、それを許さない」


「実際、あいつらがサボってた場所だろ」ロバートが鼻を鳴らした。「文句を言われる筋合いはねえ」


「筋合いの問題じゃない」フクロウの声は冷静だった。「組織というのは、正しさで動かない。面子と利害で動く。俺たちが正しくても、連中の面子を潰せば、報復が来る。それも、正面からではない、陰湿な形で」


「報復って、たとえば?」アイリーンが聞いた。


「分からん。だが、来る。それだけは確かだ」


―――


フクロウの言葉は、漠然とした不安を残した。


だが、その日の巡回は、いつも通り平穏に終わった。報復の気配は、まだない。シューベルトは、フクロウが心配しすぎているのかもしれない、と思った。


夜、別館の自室で、シューベルトはなかなか寝つけなかった。


ふと、喉が渇いて、水を飲みに部屋を出た。別館の廊下は、夜になると人気がなく、しんと静まり返っている。魔法灯の薄明かりだけが、石の床を照らしていた。


その時、シューベルトは気づいた。


フクロウの姿が、ない。


仲間の寝床を確認したわけではない。だが、廊下の奥、フクロウがいつも一人で書類を読んでいる小部屋に、明かりが灯っていた。こんな夜更けに。


シューベルトは、何気なくそちらへ足を向けた。声をかけるつもりだった。眠れないなら、少し話でもしようかと。


小部屋の扉は、わずかに開いていた。


―――


扉の隙間から、シューベルトは中を見た。


フクロウは、机に向かっていた。だが、いつも読んでいる任務の書類ではなかった。広げられていたのは、一枚の地図だった。聖都周辺の地図——ではない。もっと西の、辺境のさらに奥。魔族の領域に近い、西の森の一帯を描いた地図だ。


フクロウは、その地図の一点を、じっと見つめていた。


そして、地図の上には、いくつかの走り書きがあった。シューベルトの位置からは、文字までは読めない。だが、フクロウが何かを印で結び、線を引き、書き込んでいるのが見えた。まるで、何かの動きを追っているかのように。


魔族の、動向。


フクロウが独自に魔族のことを調べている——その考えが、ふと頭をよぎった。だが、なぜ。巡回任務とは何の関係もない。西の森は、準騎士団の管轄ですらない。


フクロウの横顔は、いつもと違っていた。


仲間といる時の、どこか余裕のある、すべてを見透かしたような顔ではない。もっと、何かに取り憑かれたような、冷たく、鋭い顔だった。地図を見つめるその目には、シューベルトの知らない光が宿っていた。執念にも、渇望にも見える光。


シューベルトは、声をかけられなかった。


―――


なぜか、かけてはいけない気がした。


今のフクロウは、シューベルトの知っているフクロウではないような気がした。いや——これも、フクロウなのだ。ただ、シューベルトが今まで見たことのない側面の、フクロウ。


その時、フクロウの手が止まり、ふと顔を上げた。


シューベルトは、とっさに身を引いた。気配を消して、廊下の壁に背をつける。心臓が、妙に速く打っていた。なぜ自分が隠れるのか、よく分からなかった。やましいことは何もない。ただ、見てはいけないものを見た、という感覚だけが、はっきりとあった。


しばらくして、小部屋の明かりが消えた。


フクロウが出てくる気配がした。シューベルトは、足音を立てずに自室へ戻った。寝床に潜り込み、目を閉じる。だが、眠気は完全に飛んでいた。


西の森の地図。


魔族の動向を追う、走り書き。


取り憑かれたような、フクロウの目。


それらが、頭の中をぐるぐると回っていた。フクロウが何かを隠している。それは、薄々感じていたことだった。この団長には、語らない部分がある。誰にも見せない顔がある。だが、それが「魔族」と結びついていることに、シューベルトは初めて気づいた。


なぜ、フクロウは魔族を調べているのか。


答えは、出なかった。


―――


翌朝、フクロウはいつも通りだった。


昨夜のことなど、まるでなかったかのように、淡々と朝の指示を出し、仲間たちと軽口を交わし、巡回の段取りを整えていた。シューベルトは、その顔を見ながら、昨夜見たものが幻だったのではないかと思いそうになった。


だが、幻ではない。


シューベルトは、昨夜のことを誰にも言わなかった。フクロウにも、仲間にも。なぜ言わないのか、自分でもうまく説明できなかった。ただ、言うべきではない、という直感があった。


フクロウには、フクロウの事情がある。サラに語らない過去があるように。エドに語らない傷があるように。フクロウにも、語らない何かがある。それを暴くのは、今ではない。


そう、自分に言い聞かせた。


だが、左胸の奥が、かすかに疼いていた。それは、いつもの拍動とは違う。警告のような、不安のような、名前のつけられない感覚だった。神獣が、何かを感じ取っているのかもしれない。シューベルトには、それが何なのか、分からなかった。


―――


その同じ朝、城の本館。


高い窓から朝の光が差し込む、優美な一室で、一人の男が紅茶を口に運んでいた。


金髪に、碧い目。仕立ての良い外套。タレス・ホーエンは、窓の外を眺めながら、向かいに座る男——バルカスに、穏やかな声で語りかけていた。


「空の戦士団。なかなか、評判がよろしいようですね」


「は」バルカスは、相変わらず感情のない声で答えた。「下層区画の巡回において、想定以上の成果を上げております。住民からの信頼も厚く」


「結構なことです」タレスは微笑んだ。「優秀な人材は、適切に用いるべきだ。せっかくの才能を、下層市場の巡回などに留めておくのは、もったいない」


「と、おっしゃいますと」


「彼らに、もっと名誉ある任務を与えてはいかがでしょう。たとえば——そう」


タレスは、ティーカップを静かに置いた。その所作には、生まれながらの優雅さがあった。


「我が婚約者、アンネリーゼ嬢の警護など。彼女は近く、城下へ慰問に出る予定がある。その警護を、評判の戦士団に任せれば、彼らにとっても名誉でしょう」


バルカスは、わずかに眉を動かした。


「……アンネリーゼ様の警護を、準騎士に?」


「ええ。実力ある者に任せたいのです。婚約者の安全ですから」


タレスの口元は、穏やかに微笑んでいた。だが、その碧い目は、笑っていなかった。窓の外、別館の方角を、まるで何かを値踏みするように、じっと見つめていた。


「あの黒髪の青年——シューベルト、と言いましたか。彼に、特に」


「は?」


「いえ。優秀な者は、近くで見ておきたいものですから」


タレスは、再び紅茶を口に運んだ。


その横顔には、何の害意も浮かんでいなかった。ただ、穏やかで、親切で、優雅な貴族の顔。だが、その親切さの底に、何かが沈んでいた。それが何なのか、この場にいるバルカスにも、分からなかった。


―――


別館では、シューベルトたちが巡回の支度を整えていた。


「今日も寒いなあ」アイリーンが両手をこすり合わせた。「早く終わらせて、温かいスープ飲も」


「お前は食うことばっかりだな」ロバートが笑った。


「食べることは生きることだもん!ねえサラ?」


「うん。空腹は治せない傷だからね」サラが、こないだの台詞を繰り返してくすくす笑った。


エドは黙って投剣の本数を確認し、フクロウは覚書を懐にしまっている。いつもの、何でもない朝の光景だった。


シューベルトは、その輪の中にいながら、ふと、昨夜のフクロウの横顔を思い出していた。


研ぎ澄まされていく、この戦士団。


評価が上がり、力をつけ、信頼を得て。だが、その牙は、いったいどこへ向かおうとしているのか。フクロウは、何を見ているのか。そして、城の上の方では、自分たちの知らないところで、何かが動き始めているのではないか。


左胸が、また、かすかに疼いた。


シューベルトは、それを押さえて、空を見上げた。


西の空に、薄い雲が、ゆっくりと流れていた。その雲の向こう——遥か西の森に、何かが潜んでいるような、奇妙な予感がした。


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