エドの仕事(前編)
人は、自分が探しているものの形を、たいてい知らない。失くしたものを探していると思い込んで、本当は、最初から持っていなかったものを探していることがある。エドは、自分が何を探しているのか、長いこと言葉にできずにいた。
―――
最初に気づいたのは、アイリーンだった。
「ねえ、エドってさ、最近よく一人で出かけてない?」
夕食の席だった。別館の食堂は準騎士用の質素なものだが、それでも温かい食事が出るだけで傭兵時代とは雲泥の差だ。スープをすすりながら、アイリーンが何気なく言った。
「出かけてる?」シューベルトが顔を上げた。
「うん。昨日も一昨日も、巡回終わった後にふらっといなくなってた。夜には戻ってくるんだけど。何してるんだろうって」
全員の視線が、エドに向いた。
当のエドは、黙々とパンをちぎっている。視線に気づいても、顔色一つ変えない。
「エド、どこ行ってたんだ?」ロバートが聞いた。
「……別に」
「別にって、どこかには行ってるんだろ」
「用があっただけだ」
それきり、エドは口を閉じた。これ以上は何を聞いても無駄だ、という空気がある。ロバートが肩をすくめ、アイリーンが「気になるー」と頬を膨らませた。
フクロウは何も言わなかった。だが、その目がほんの一瞬、エドに留まったのを、シューベルトは見ていた。フクロウはおそらく、エドが何をしているのか、見当がついている。いつものことだ。この男は、仲間の動きをすべて把握している。
シューベルトは、スープに視線を戻した。エドには、エドの事情がある。聞かない方がいいこともある。
そう思っていた。その時までは。
―――
数日後の巡回で、シューベルトはエドと同じ班になった。
もう一人はサラだ。担当は表区画。穏やかな半日になるはずだった。実際、午前中は何事もなく過ぎた。サラが露店の干し菓子に目を奪われて立ち止まり、エドが「巡回中だ」と短く窘め、サラが「ちょっと見るだけ!」と言い返す。いつもの光景だ。
昼近く、エドがふと足を止めた。
「シュー。少し、外れる」
「外れる?どこへ」
「すぐ戻る」
エドはそう言うと、答えを待たずに人混みの中へ消えていった。気配を消すのが速い。あっという間に見えなくなる。
「……行っちゃった」サラが目をぱちくりさせた。
「気になるな」
「追いかける?」
「巡回中に持ち場を離れるのは、本当は良くないが——」シューベルトは少し迷った。「……様子だけ見てくる。サラ、ここで待っててくれるか」
「うん。私はこの干し菓子を見張ってるね」
「見張るな。買うなよ」
「えへへ」
シューベルトは苦笑して、エドが消えた方へ足を向けた。
―――
エドの後を追うのは、難しかった。
あの少年は、気配を消すことにかけては戦士団でも随一だ。だがシューベルトも、傭兵として人を追うことには慣れている。人混みの流れ、視線の途切れる場所、足音の消える角。それらを読みながら、エドの背中を遠くに捉え続けた。
エドは、市場を抜けて、さらに南の区画へと入っていった。
そこは市場ですらない、ただの貧民街だった。崩れかけた家屋が肩を寄せ合うように建ち並び、路地は狭く、薄暗い。日の当たらない場所に、子供たちがしゃがみ込んでいる。痩せた、薄汚れた子供たちだ。親の姿は見えない。
エドは、その路地の一角で足を止めた。
シューベルトは、物陰から様子をうかがった。
エドは、子供たちに近づいていった。警戒する子供たちに、何かを手渡している。よく見ると、パンだった。それから、小さな袋。中身は分からないが、子供たちはそれを大事そうに受け取った。
エドは、子供の一人にしゃがんで何かを尋ねていた。子供が首を振る。別の子供に尋ねる。また首を振る。エドは小さく頷くと、立ち上がった。
その横顔は、いつも通り無表情だった。
だが、シューベルトには分かった。エドは、何かを探している。誰かを、探している。
―――
その時だった。
路地の奥から、複数の足音が聞こえた。
子供たちの顔が、一斉にこわばった。蜘蛛の子を散らすように、子供たちが逃げていく。だが、何人かは逃げ遅れた。一番小さな、まだ五つかそこらの子供が、転んで動けずにいる。
路地の奥から現れたのは、三人の男だった。
みすぼらしい身なりだが、目つきが違う。堅気ではない。腰には棍棒や錆びた短刀を差している。下層の地回り——孤児や物乞いを食い物にする、ならず者の類だとシューベルトはすぐに見抜いた。
「おい、逃げんなよ。今日の上納はどうした」
先頭の男が、転んだ子供の襟首を掴み上げた。
「物乞いで稼いだ分、よこせって言ってんだよ。お前らをこの縄張りで生かしてやってんのは誰だ?あァ?」
子供が、悲鳴を上げた。
次の瞬間、エドが動いた。
―――
エドが物陰から飛び出すのと、シューベルトが駆け出すのは、ほぼ同時だった。
エドの動きは、速く、無駄がなかった。子供の襟首を掴んでいる男の手首に、背後から手刀を叩き込む。男が呻いて手を離した瞬間、エドは子供を抱えて後ろへ跳んだ。子供を安全な場所に下ろし、男たちとの間に立ちはだかる。
「何だ、てめえ」
男たちが気色ばんだ。エドは答えない。ただ、短剣を逆手に構えた。
「準騎士か……?ガキの分際で、いい度胸だ」
先頭の男が短刀を抜いて、エドに突きかかった。
エドは、半身でそれをかわした。最小限の動き。紙一重だが、確実に。そのまま男の腕を流し、肘の関節を逆に極める。男が悲鳴を上げて短刀を落とした。
残る二人が、左右からエドに迫る。
「エド、右はもらう」
シューベルトの声が、飛んだ。
すでに、片手剣を抜いている。右から迫る男の棍棒を、剣の腹で受け流した。重い一撃だが、力任せなだけだ。型がない。シューベルトは一歩踏み込み、男の鳩尾に柄頭を叩き込んだ。男が膝から崩れ落ちる。
エドは、左の男を見ていた。
男が棍棒を振り上げる。だがその動きは、エドにとっては遅すぎた。エドは振り下ろされる棍棒の内側に滑り込み、男の足を払った。男が背中から地面に叩きつけられる。エドは、その喉元に短剣の切っ先を突きつけた。
数秒だった。
三人のならず者は、地面に転がっていた。一人は腕を押さえ、一人は鳩尾を抱え、一人は喉元に刃を突きつけられて固まっている。
―――
「……手間取らなかったな」シューベルトが言った。
「型がない連中だ」エドが短剣を引きながら、淡々と答えた。「弱い者しか相手にしてこなかった。強い相手の捌き方を知らない」
二人がかりとはいえ、ほとんどエドが捌いていた。シューベルトは、改めて思った。この少年の体術は、戦士団でも随一だ。普段は投剣と隠密を主軸にしているから目立たないが、近接でも十分に戦える。冷静で、無駄がなく、一切の力みがない。
地面に転がった男たちは、シューベルトが厳しく言い含めて追い払った。準騎士に手を出したこと、子供を脅していたこと、すべて報告すると告げると、男たちは青ざめて逃げていった。本気で報告できるかどうかは別として、脅しは効いた。
逃げ遅れた子供は、まだ震えていた。
エドが、その子供にしゃがんで、パンを一つ握らせた。
「もう大丈夫だ」
短い言葉だった。子供は涙目で頷き、パンを抱えて路地の奥へ走り去った。
その背中を、エドはしばらく見送っていた。
―――
「……エド」シューベルトは、隣に立った。「お前、毎日ここに来てるのか」
「毎日じゃない。三日に一度くらいだ」
「あの子供たちに、物を配りに」
「ああ」
「それと——誰かを、探してる」
エドの肩が、ほんのわずかに動いた。だが、否定はしなかった。
「……ある子供を、探してる」エドは、低い声で言った。「まだ、見つからない」
「どんな子だ」
「……」
エドは、答えなかった。
しばらく沈黙が続いた。シューベルトは、それ以上聞かなかった。エドが語りたくなったら、語るだろう。今はまだ、その時ではない。
「戻るぞ。サラが待ってる」
「……ああ」
二人は、貧民街に背を向けて歩き出した。
「干し菓子、買ってないといいけどな」シューベルトがぽつりと言った。
「……たぶん、買ってる」
「賭けるか」
「賭けない。負けるのが分かってる」
シューベルトは、小さく笑った。エドの口元も、ほんのわずかに緩んでいた——気がした。
表区画に戻ると、サラが両手に干し菓子の包みを抱えて、満面の笑みで待っていた。
「おかえりー。あのね、二つで一つおまけしてくれたの」
「見張るって言ったよな」
「見張ってたよ。ちゃんと、買うまで見張ってた」
「それは見張ってるって言わない」
エドが、ふっと息を吐いた。笑いに、限りなく近い吐息だった。
帰り道、シューベルトは考えていた。
エドが探している子供。それが誰なのか、なぜ探しているのか、エドはまだ語らない。だが、あの真剣な横顔の奥には、何か深いものが沈んでいる。捨て子だったエド。淡々と任務をこなすこの少年が、三日に一度、貧民街に通い続ける理由。
左胸が、静かに脈打っていた。
いつか、エドが話してくれる日が来るだろう。その時まで、待とうとシューベルトは思った。仲間には、語る順番というものがある。




