騎士の値段
その日の巡回は、シューベルト、ロバート、フクロウの三人だった。
担当は裏区画。下層市場の最も奥、もはや市場と呼べるかどうかも怪しい一角だ。地面に布を敷いただけの露店が点在し、扱う品も得体が知れない。客もまばらで、空気はどこか沈んでいる。
「相変わらず、辛気くせえ場所だな」ロバートが鼻を鳴らした。
「ここで何を取り締まれってんだ。盗む価値のあるもんすら、ろくにねえぞ」
「だからこそ、だ」フクロウが静かに答えた。
「奪うものがない場所では、わずかなものを巡って争いが起きる。表区画よりも、ここの方が荒れることがある」
「ふん。説教くせえな、団長は」
「説教ではない。事実だ」
ロバートが肩をすくめた。シューベルトは二人の後ろを歩きながら、周囲に目を配っていた。裏区画は人の出入りが少ない分、よそ者がいればすぐに分かる。だがその日、よそ者は——いた。
区画の入り口に、二人の正規騎士が立っていた。
―――
正規騎士は、露店を一軒ずつ回っていた。
最初、シューベルトはそれを巡回か何かだと思った。だが、様子がおかしい。騎士の一人が露店の前にしゃがみ込み、店主に何かを言っている。店主は青ざめた顔で首を振り、それからのろのろと、布の下から銭を取り出して騎士に渡した。
騎士はそれを受け取ると、次の露店へと移った。
また同じことが繰り返された。
店主が首を振る。
騎士が何かを言う。
店主が銭を出す。
「……あれ、何やってんだ」ロバートが眉をひそめた。
シューベルトたちは、少し近づいた。騎士の声が聞こえてくる。
「通行税だ。この区画で商いをするなら、当然払うべきものだろう。払えないというなら、ここで店を畳んでもらうしかないな」
通行税。
シューベルトは、その言葉に覚えがあった。傭兵時代、宿場の検問所で吹っかけられた、あの理不尽な割増し。法に守られない者から、いくらでも搾り取れる、便利な名目。
だが、それは検問所の話だ。市場の中で、露店から「通行税」を取り立てるなど、聞いたことがない。そんな税は、存在しない。
「あれは、正規の徴税じゃない」フクロウが低く言った。
「不正な取り立てだ。あの騎士は、この区画の弱い店主から、私的に銭をせびっている」
―――
ロバートの顔色が変わった。
「おい、それって——」
「待て」
フクロウが、ロバートの腕を掴んだ。
だが、遅かった。
ちょうどその時、騎士の一人が、一軒の露店の前で声を荒げた。年老いた女の店主が、銭を出せずに必死に頭を下げている。それでも騎士は引かなかった。露店の布を蹴り上げ、わずかな商品が地面に転がった。
「払えないなら、これを差し押さえる。文句があるか」
老婆が、地面に這いつくばって商品を拾おうとした。その手を、騎士が無造作に踏みつけようと——
「やめろッ!」
ロバートが、駆け出していた。
フクロウの手を振り払い、大股で騎士たちの間に割って入った。その巨体に、騎士たちが一瞬たじろぐ。
「何のつもりだ、てめえら。通行税だと?そんな税、どこにもねえ。弱い者から銭をせびって、それが騎士のやることかッ!」
ロバートの怒声が、裏区画に響き渡った。
老婆は、呆然とロバートを見上げていた。
―――
騎士たちは、最初こそ気圧されていたが、すぐに態勢を立て直した。ロバートの胸元の徽章を見て、片方が嘲るように笑った。
「準騎士か。傭兵上がりの分際で、正規騎士に楯突くのか」
「分際だと?」
「これは正当な徴税だ。お前のような下賤の者には分からんだろうがな。失せろ。さもなければ、上官に報告するぞ。準騎士が正規の任務を妨害した、とな」
ロバートの拳が、震えていた。
シューベルトは、その背中を見ていた。ロバートが本気で怒っているのが分かる。この男は、弱い者が踏みにじられるのを、何より許せない。だが——ここで手を出せば、本当に「妨害」にされる。準騎士が正規騎士を殴った。その事実だけが残り、不正の取り立ては闇に消える。
シューベルトが一歩踏み出そうとした、その時。
「——失礼。少々、よろしいか」
フクロウだった。
いつの間にか、ロバートと騎士たちの間に、静かに立っていた。声は穏やかで、低い。怒りの欠片もない。
―――
「通行税、とおっしゃいましたか」
フクロウは、丁寧な口調で言った。
「奇妙ですな。私の知る限り、この区画に通行税という制度はない。市場の徴税はすべて、城の財務官房が一括で管理しているはずです。露店ごとの個別徴収は、規定にない」
騎士の顔が、わずかにこわばった。
「……何が言いたい」
「いえ、ただの確認です。もし本当に正当な徴税であれば、徴収の記録が財務官房に残っているはず。私どもは現在、官房長バルカス様の直命でこの区画を巡回しております。本日の見聞は、すべて報告書に記載いたします。もちろん、徴税の件も」
フクロウは、にこやかですらあった。
「ご安心ください。正当な徴税であれば、何の問題もありません。財務官房の記録と照合すれば、すぐに証明されますから。……記録が、残っていれば」
沈黙が、落ちた。
騎士たちは、顔を見合わせた。記録など、あるはずがない。これは私的な恐喝だ。バルカスの名と、報告書という言葉が、じわじわと効いてきた。準騎士を脅すことはできても、官房長の直命と公式の記録までは、握りつぶせない。
「……行くぞ」
騎士の一人が、舌打ちして踵を返した。もう一人も、ロバートを睨みつけてから、その後を追った。二人の正規騎士は、せしめた銭を返すこともなく、だが、それ以上の取り立てもせず、裏区画から去っていった。
―――
老婆が、地面に座り込んだまま、フクロウを見上げていた。
「あ、ありがとうございます、準騎士様……」
「いえ。商品を、拾いましょう」
フクロウは膝をつき、地面に転がった商品を拾い集めた。シューベルトとロバートも手伝った。たいした品ではない。すり切れた布きれ、欠けた陶器、古い金物。それでも老婆にとっては、その日の糧だった。
商品を布の上に戻し終えると、フクロウは立ち上がった。
その後、しばらく三人は無言で歩いた。
最初に口を開いたのは、ロバートだった。
「……すまん。先走った」
「ああ」フクロウは前を向いたまま答えた。
「お前が割って入らなければ、俺も別の手を考えていた。だが、お前が出たことで、あの老婆は救われた。結果としては、悪くない」
「だが、俺一人だったら、殴ってた。そしたら今頃、俺たちが『妨害』で報告されてた」
「そうだな」
「……お前がいてよかった、って話だよ」
フクロウは、何も答えなかった。だが、その沈黙は、否定ではなかった。
―――
城への帰り道、ロバートはまだ腹の虫が収まらない様子だった。
「しかしよ、結局あいつら、せしめた銭は返さなかったよな。あの婆さんから取った分も、他の店から取った分も」
「ああ」シューベルトが頷いた。
「俺たちにできたのは、その場の取り立てを止めることだけだ。すでに奪われた分を取り返すことも、あの騎士たちを罰することもできない」
「歯がゆいな」
「歯がゆい」
シューベルトは、正直に同意した。
準騎士にできることと、できないこと。その線が、今日もまた、はっきりと引かれた。目の前の取り立ては止められた。だが、それだけだ。あの騎士たちは、明日には別の区画で同じことをするだろう。そして、それを完全に止める力は、今の自分たちにはない。
「なあ、シュー」ロバートが言った。
「騎士ってのは、何なんだろうな」
「……どういう意味だ」
「あいつらも騎士だ。俺たちも、一応は騎士の端くれだ。同じ徽章じゃねえけど、似たようなもんを胸につけてる。なのに、やってることが正反対だ。弱い者を踏みつける騎士と、止めようとする騎士。どっちも騎士なら、騎士って言葉に意味はあるのか」
シューベルトは、しばらく考えた。
「……意味は、後からついてくるんじゃないか」
「あ?」
「騎士だから正しいんじゃない。正しいことをした奴が、騎士と呼ばれるべきなんだ。徽章が人を騎士にするんじゃなくて、人が徽章に意味を与える。……たぶん、そういうことなんだと思う」
ロバートは、少し黙ってから、ふっと笑った。
「お前、たまにいいこと言うな」
「たまにか」
「たまにだ」
フクロウが、二人の少し前を歩いていた。その背中は、いつも通り何も語らない。だがシューベルトは、ふと思った。
フクロウが財務官房とバルカスの名を出して騎士を退けたあの手際。あれは、正面からぶつかる戦い方ではなかった。相手の弱みを正確に突き、誰も傷つけずに、盤面だけを変える。光の届かない場所で、静かに勝つ。
頼もしい、と思う。
だが同時に、ほんのわずかに、ぞくりとした。あの冷静さは、いったいどこから来るのか。フクロウは、どこまで先を見ているのか。左胸が、かすかに、一度だけ脈打った。答えは、返ってこなかった。




