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空の戦士団  作者: 葱狸
2章

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銀の翼と泥の記憶

下層市場への道は、正規の騎士道からではなく、城壁の裏を通る狭い路地を抜けていく。


初日の巡回に向かう六人は、制服姿で連なって歩いていた。石畳の道幅が狭く、二列縦隊が精一杯だ。フクロウが先頭を歩き、その後ろにロバートとシューベルト、続いてアイリーンとサラ、最後尾をエドが行く。


道は緩やかに下っていた。聖都エリュシオンは丘の上に城を戴く都市で、城に近いほど標高が高く、地価も身分も高い。坂を下るというのはそのまま、社会の階層を下っていくことを意味する。白い石壁の貴族街を抜け、商人たちの賑やかな表通りを横切り、さらに下ると、空気が変わる。


日当たりが悪くなる。風の通りが悪くなる。排水路の匂いが鼻をつくようになる。


下層市場は、城壁の内側でありながら、最も城から遠い南西の区画にあった。表通りの商店から弾かれた露天商、行商人、日雇いの労働者たちが集まる場所だ。聖都エリュシオンという美しい名前の、その裏側にある影だった。


路地を抜けた先で、最初の変化が起きた。


市場の入り口に立っていた老人が、六人の姿を見て、ぎこちなく頭を下げた。


シューベルトは、思わず足が止まりかけた。


頭を下げられた。


かつて宿場の検問所で、シューベルトたちに通行税の三倍を要求してきた衛兵がいた。蔑むような目で傭兵を見下ろし、犯罪者を見るように扱った者たちがいた。あの頃と何ら変わらない、素朴な一人の市民が、今、自分たちに頭を下げている。


―――


市場の中を歩くと、露天商たちが次々と手を止めて、こちらを見た。


子供の手を引いた母親が、子供の前で軽く会釈した。魚を並べていた男が、値段交渉の途中で立ち上がって一礼した。路地の角で喋っていた老婆たちが、声を潜めて会話を止めた。


全員が、怯えているわけではなかった。だが誰も、普通の顔をしていなかった。


かつて、泥にまみれた傭兵の姿で同じ場所を歩いた時、市民たちは目を逸らした。あるいは避けた。露骨に嫌悪を示す者もいた。傭兵は法に守られない存在で、市民から見れば「いつ自分たちに刃を向けるか分からない連中」だったからだ。


今は違う。


同じ顔、同じ背格好の人間が、制服を着ただけで、市民の態度を一変させた。


「……これ、なんか慣れないな」


アイリーンが小声で言った。声に、いつもの軽さがなかった。


「守りたかった人たちだろ」とロバートが返した。低い声だ。


「だから頭を下げてもらえる立場になった。これでいいじゃねえか」


「……そうだな」


シューベルトは頷いた。だが、胸の奥で何かが引っかかっていた。


頭を下げてくれる人たちとの間に、目に見えない壁ができている。自分たちが「騎士の側」に移ったことで、同じ高さの目で彼らを見ることができなくなった。守るということは、守る相手の上に立つということなのか。それが守るということの代償なのか。


答えは、出なかった。


「壁ができたと思っているな」


不意に、隣を歩くフクロウが言った。前を向いたまま、誰にも聞こえないほどの低さで。


「……分かるのか」


「顔に出ている。お前は分かりやすい」


フクロウはかすかに口の端を動かした。笑いではない。


「壁はできた。それは事実だ。だが、それを嘆くのは違う。壁の向こうから守れることもある。むしろ、近すぎて守れないこともある。……お前はいずれ、それを知る」


シューベルトは何も言わなかった。フクロウの言葉には、いつも一つ以上の意味が含まれている。今のも、市場の市民のことだけを言っているとは思えなかった。


―――


市場の中ほどで、一行は足を止めることになった。


正規騎士が二人、馬を引いて市場の通りを歩いていた。下層市場に正規騎士が降りてくることは珍しい。だが珍しいだけで、ないわけではない。何かの所用で通り抜けているのだろう。


その馬の一頭が、道端の行商人の台車に接触した。


積んでいた果物が、ばらばらと路上に散らばった。林檎に似た、この地方特産の赤い果実だ。安くはない。行商人は慌てて膝をつき、散らばった果実を拾い集めようとした。


正規騎士の一人が、馬を引き続けながら、嘲るような口調で言った。


「路上に物を広げるな。馬の通行の邪魔だ」


行商人は何も言い返さなかった。ただ「申し訳ございません」と繰り返しながら、地面に頭をこすりつけるように謝り、果実を拾い続けた。馬の蹄が、拾いきれなかった果実を一つ踏み潰した。赤い汁が、石畳に飛び散った。


シューベルトの足が、止まった。


半歩遅れて、フクロウも止まった。フクロウが止まると、後ろの全員が止まった。


正規騎士の一人が、こちらの気配に気づいて振り返った。準騎士の制服を見て、わずかに目を細める。値踏みするような視線。それから、ふっと鼻で笑うような表情を浮かべて、また前を向いた。馬を引いて、何事もなかったかのように去っていく。


それだけだった。


行商人は果実を拾い終え、深く頭を下げてから、台車を押して路地の奥へと消えていった。踏み潰された果実の跡が、石畳に赤く残っていた。


―――


「……なんで止まったの、シュー」


アイリーンが聞いた。怒っているのではない。本当に分からない、という声だった。


「動けなかった」


シューベルトは正直に答えた。「介入すれば、正規騎士との関係が拗れる。今の俺たちの立場で、正規騎士に楯突けばどうなるかは分かってる。……だが、黙って見ていれば、あの行商人がただ損をして終わる。どちらを選んでも、あの人にとっての答えにはならない」


「あいつら、見下した目で俺たちを見やがった」ロバートが低く唸った。


「準騎士なんて、騎士の真似事だとでも思ってるんだろ」


「思っているだろうな」フクロウが淡々と言った。


「事実、まだ真似事だ。あの場で俺たちが何かをすれば、それは越権だ。下層市場の巡回しか命じられていない俺たちが、正規騎士の行いを咎める権限はない」


「権限の話か」


「権限の話だ。理不尽だがな」


フクロウは歩き出した。踏み潰された果実の赤い跡を、彼は迷いなく踏まずに避けて通った。


ロバートも、その跡を大きな足で避けた。サラは跡の前で一瞬だけ立ち止まり、それから小さく息をついて歩いた。アイリーンは唇を噛んでいた。エドは何も言わず、ただ最後尾を歩いている。


シューベルトは、最後にその跡を見た。


赤い果実の汁。誰かが大事に運んでいた商品。一頭の馬と、一人の騎士の不注意で潰され、謝罪を強いられたのは潰された側だった。それを、自分は止められなかった。制服を着て、銀の翼の徽章をつけていても、止められなかった。


―――


巡回を終えて城へ戻る坂道を、六人は無言で登っていた。


下層市場の影から、商人街の賑わいを抜け、貴族街の白い石壁へと、坂を登るごとに空気が澄んでいく。標高が上がるごとに、社会の階層を登り直していく。その途中で、シューベルトはふと、奇妙な感覚に襲われた。


自分は今、どちら側の人間なのだろう。


頭を下げてくる市民の側か。それとも、市民の果実を踏み潰して去っていく騎士の側か。


準騎士という立場は、その両方のどちらでもなかった。市民からは騎士に見られ、騎士からは傭兵上がりと見下される。どちらの世界にも完全には属していない。銀の翼は、その曖昧な場所を象徴する徽章なのかもしれない。


「シュー」


坂の途中で、サラが隣に並んだ。いつものおっとりした口調で、けれど目は静かだった。


「あの行商人さんね、果実を全部は拾えてなかった。三つか四つ、溝に落ちてた。あれ、その日の儲けの何割かだと思う」


「……ああ」


「あなたが動けなかったのは、間違いじゃない。でも、忘れないであげてほしいの。動けなかったことを。慣れてしまうと、人は止まらなくなるから」


サラはそれだけ言って、また少し前に出た。


慣れてしまうと、止まらなくなる。


シューベルトはその言葉を、胸の中で繰り返した。あの正規騎士も、最初は止まる人間だったのかもしれない。何度も同じ場面を見て、何度も動けない自分を許して、いつしか動けないことが当たり前になった。そうやって、人の痛みに鈍くなっていく。


自分は、そうなりたくなかった。


左胸が、かすかに疼いた。今朝の穏やかな拍動とは違う。何かに抗うような、鈍く重い鼓動だった。守りたいのに守れない。その矛盾に、神獣もまた呼応しているかのようだった。


城門が見えてきた。白銀の尖塔が、午後の光を浴びて輝いている。美しい城だ。美しすぎて、坂の下の市場の匂いも、踏み潰された果実の赤も、ここまでは届かない。


シューベルトは一度だけ、坂の下を振り返った。


下層市場は、影の中に沈んでいた。


その影を、銀の翼の徽章をつけた自分が、見下ろしていた。

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