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空の戦士団  作者: 葱狸
1章

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10/22

泥を濯ぎ、命を噛み締める

砦から戻る道は、来た時よりも長く感じた。


足が重い。魔石を破壊した後、排水口を逆に這い出て、湿地の泥を踏んで歩いてきた。全身が疲労でじんわりと痛み、アイリーンの腕の噛み傷はサラが応急処置をしたものの、歩くたびに衣服に滲んでいる。ロバートは壁に叩きつけられた背中をかばうように、わずかに前傾みになって歩いていた。


バッカスの騎士団は、砦から離れた丘の上で待機していた。


一行が姿を現すと、騎士たちの間に微妙な空気が流れた。驚き、とも言い切れない。どちらかといえば、戻ってくるとは思っていなかった、という顔だ。バッカスは馬上から一行を見下ろし、口を開いた。


「……随分と時間がかかったな。まあ、仕事は終わったのか」


「魔石を破壊しました。首領も討ち取っています」


フクロウが静かに答えた。バッカスは鼻を鳴らした。


「ドブ……流れ者にしては上出来だ。報告は私が行う。お前たちは宿舎へ戻っていろ」


それだけ言うと、バッカスは馬を返し、騎士団を率いて先に城へと向かった。


誰も何も言わなかった。言う気力が残っていなかった、というのもある。だがそれ以上に、今は言葉より先にやることがあった。


---


宿舎の裏庭にある石造りの共同洗い場。


冬の入り口の冷たい水が、木樽から溢れ出している。ロバートは泥と返り血で固まった革の胸当てを乱暴に外すと、その水樽に頭から突っ込んだ。


「――っはぁ!染みるぜ、クソッ!」


顔を上げたロバートの肌は、寒さで赤らんでいる。彼は大きな手で顔を拭い、爪の間にこびりついた黒い汚れを小刀の先で丁寧に掻き出した。


「ロバート、傷口をこすらないで。せっかく塞がりかけてるんだから」


サラが、自分の衣服の汚れも構わず、彼の背中の傷に濡れ布巾を当てた。彼女の手は冷たい水で白く冷え切っていたが、それでも手を止めなかった。


「あーあ、せっかくの外套が台無し」


アイリーンが泥を吸って重くなった外套を脱ぎ捨て、腕を伸ばした。彼女の細い腕には、噛み傷の跡が赤黒く残っている。だが顔には疲労より先に、安堵の色があった。


「でもさ……あたしたち、勝ったんだよね。あのバッカスとかいうおっさんたちが逃げ出した後、あたしたちだけで、あの化け物どもを片付けたんだよね」


アイリーンは桶の水を少しずつ掬い、自分の顔を洗った。泥が落ち、露わになった肌は、まだ二十歳の若さを残していた。


「……ああ。勝ったな」


シューベルトは自分の片手剣を布で磨きながら答えた。剣身にこびりついた脂を拭い去ると、窓から差し込む月明かりが鋼を照らした。


「……シュー、手を貸して」


サラがロバートの手当を終え、静かにシューベルトの傍らに膝をついた。剣を握りすぎて強張った指先に、柔らかな魔力が伝わってくる。サラは何も聞かなかった。砦の奥でシューベルトが放った白銀の光についても、彼が何者であるかについても。ただ今ここに生きているシューベルトの無事を確かめるように、その手を優しく握り直した。


「……ありがとう、サラ」


「無理は、しないでね。あなたはいつも、一人で遠くへ行こうとするから」


サラの言葉に、シューベルトは胸の奥が微かに疼くのを感じた。


ふと、あの夜のことを思い出した。月明かりの路地で、深いフードの下から金色の髪を零した少女。「泥の中にいても、死んでいない」と言ったその声が、今になって耳の奥に蘇ってくる。遠くへ行こうとする、とサラは言った。あの少女も、同じことを感じ取っていたのかもしれない。城の中にいながら、ずっと遠くを見ていた目で。


部屋の隅でエドが無言で砥石を走らせている。シュッ、シュッという規則正しい音が、静かな夜に響いた。死者を出さなかったことへの、彼なりの安堵の旋律のようだと、シューベルトは思った。


---


洗い場から宿舎の部屋へ戻ると、フクロウが市場で買ってきた焼きたてのパンと、干し肉のスープが円卓に並んでいた。


「いいか、お前たち」


フクロウが、湯気の立つジョッキを高く掲げた。


「俺たちは今日、死地を潜り抜けた。騎士団の連中に見捨てられ、泥の中に捨てられても、俺たちは自分の足でここに立っている。……明日、この結果を持って城へ行く。バルカスの前で、俺たちの価値を示す」


「おうよ!」


ロバートの豪快な声が部屋を震わせた。アイリーンがパンを頬張りながら笑い、エドが珍しく杯を手に取った。サラが全員のスープを温め直しながら、穏やかな笑みを向けた。


笑い声と、木の食器が触れ合う音。どれほど身分が上がろうとも、どれほど綺麗な鎧を着ようとも変わらない、「空の戦士団」という一つの家族の肖像だった。


シューベルトは、自らの胸元を触った。まだそこには、何の印もない。だが温かいスープを飲み、仲間の笑い声を聞いているうちに、砦で感じたあの静かな全能感よりも、今の「泥を落とした後の温もり」の方が、よほど自分に近いものだと感じた。


「……明日になれば、俺たちは『準騎士』の資格を得られるかもしれない。この都で、もうただの流れ者とは呼ばせない」


フクロウの言葉が、夜の静寂に溶けていく。


一行は肩を寄せ合い、泥を落とした後の清々しい疲れの中で、深い眠りへと落ちていった。


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