第九十話「少女エルナ」
黒い靄を纏う少女を前に、零は、静かに、しかし、慎重に、言葉を、選んだ。
「――お前に、名前は、あるのか」
零の問いに、少女は、僅かに、動揺したような、仕草を見せた。
「――名前……。ワタシニハ、必要ノナイ、モノ」
「そんなこと、ないだろう」
零は、静かに、続けた。
「名前は、お前が、お前として、存在してる証だ」
少女は、しばらく、無言のまま、零を、見つめ続けていた。
「――昔、病神様ハ、ワタシヲ、『エルナ』ト、呼ンダコトガ、アル」
「エルナ……」
零は、その名前を、静かに、繰り返した。
「なら、俺も、お前を、エルナと呼ぶ」
その言葉に、エルナと呼ばれた少女は、初めて、僅かに、表情を、揺らがせた。
⸻
「――ナゼ、ワタシヲ、名前デ、呼ブ」
エルナの問いに、零は、静かに、答えた。
「お前が、ただの道具じゃない、って、思うからだ」
「――ワタシハ、病神様ノ、創ッタ、器。人ノ心ナド、持タナイ、ハズ」
「本当に、そうか?」
零の問いに、エルナは、僅かに、動揺した様子を、見せた。
「さっき、お前の目、悲しそうだった」
零の指摘に、エルナは、思わず、自分の顔に、手を当てた。
「――悲シイ……? ワタシガ……?」
その反応に、零は、確信を、深めた。
「エルナ、お前、本当は、そういう感情を、持ってるんじゃないのか」
⸻
その様子を、少し離れた場所から、聖、夜、熊谷、花霞が、緊張した面持ちで、見守っていた。
「――零、大丈夫かしら」
聖の呟きに、夜が、静かに、答えた。
「あの子から、確かに、危険な気配は、感じる。でも」
夜は、じっと、エルナを、見つめた。
「同時に、なんというか……とても、寂しそうな気配も、感じる」
花霞も、静かに、頷いた。
「零殿は、そういう、心の機微を、見抜くのが、お得意な、御方にございますから」
⸻
「――ワタシハ、病神様ニ、創ラレタ。ダカラ、病神様ノ、命令ニ、従ウダケノ、存在」
エルナが、静かに、そう、繰り返した。だが、その声には、以前ほどの、確信は、感じられなかった。
「エルナ、お前は、これまで、ずっと、一人だったのか」
零の問いに、エルナは、静かに、頷いた。
「――病神様ノ、他ニハ、誰モ、イナカッタ」
「寂しかったんじゃないか」
零の言葉に、エルナは、しばらく、答えなかった。だが、やがて、僅かに、震える声で、呟いた。
「――ワカラナイ。ソレガ、『寂シイ』トイウ、感情ナノカ……」
その素直な吐露に、零は、静かに、微笑んだ。
「それは、きっと、寂しさだ。誰かと、一緒にいたい、っていう、気持ちだ」
エルナは、動揺したように、周囲の、黒い靄を、揺らめかせた。
「――近ヅクナ、ト、言ッタハズ。ワタシニ近ヅケバ、病ニ、蝕マレル」
その警告に、零は、それでも、一歩、前へと、踏み出した。
「俺の体は、病を、糧にする力を、持ってる。だから――お前の、その力も、もしかしたら、受け止められるかもしれない」
その言葉に、エルナは、大きく、目を見開いた。
見知らぬ国の、静まり返った森の中で、零とエルナの、不思議な邂逅は、これまでの旅とは、また、異なる意味を持つ、新たな物語の、始まりを、告げようとしていた。




