第八十一話「聖なる河、ガンジス」
十日間の船旅を経て、零たちは、ついに、インドの地に、その足を踏み入れた。
「――すごい熱気ね」
聖が、港に降り立った瞬間、そう呟いた。これまで訪れた、どの土地とも異なる、色彩豊かで、活気に満ちた空気が、辺り一面に、満ちていた。
「香辛料の匂いが、独特だべなぁ」
熊谷が、鼻をひくつかせながら、興味深そうに、周囲を見回した。
「この国にも、この国の言葉が、あるはずだけど……」
聖の心配に、零は、少し考えてから、試しに、近くにいた商人に、声をかけてみた。
「すみません、少し、お尋ねしたいのですが」
「――おや、旅の方かい? 何が知りたいんだ?」
その言葉は、日ノ本や中国大陸のときと、同じように、零には、自然に理解できた。
「よかった、また、通じるみたいだ」
零の報告に、聖は、安堵の表情を浮かべた。
「本当に、不思議な力よね」
⸻
商人から情報を集めると、この地には、「ガンジス」と呼ばれる、聖なる大河が流れていることが、わかった。
「あの河は、この国の人々にとって、特別な意味を持つ場所さ。生まれてから死ぬまで、そして、死んだ後の魂の行方まで、あの河が、司ってると、信じられてるんだ」
商人の説明に、零は、静かに耳を傾けた。
「生と死を、司る河、か」
「そうさ。多くの人が、あの河のほとりで、沐浴をし、祈りを捧げる。それに――」
商人は、少し声を潜めて、続けた。
「最近、河の上流の方で、妙な話を、聞くようになってな」
「妙な話?」
「河の水が、一部、黒く濁り始めてる、っていうんだ。その水に触れた者から、次々と、病に倒れてる、とか」
その話に、零たちは、思わず顔を見合わせた。
(またか)
これまでの旅で、幾度となく耳にしてきた、あの兆候。この聖なる大河にも、既に、病神の影が、忍び寄っているようだった。
⸻
ガンジス川のほとりに到着すると、そこには、これまで見たことのない、独特の光景が広がっていた。
多くの人々が、河の水に体を浸し、静かに祈りを捧げている。その一方で、河岸の一部では、火葬の煙が、静かに立ち昇っていた。
「――生と死が、こんなにも、近くに、共存してるのね」
聖が、その光景に、深く感慨を覚えた様子で、そう呟いた。
零もまた、その光景に、不思議な感覚を覚えていた。
(死は、決して、終わりじゃない。この国の人たちは、そう信じてるのかもしれない)
その考えは、これまでの旅で、零自身が、少しずつ、辿り着きつつあった想いと、どこか、重なるものがあった。
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河の上流へと向かう船を手配しながら、零たちは、この国での旅の、新たな一歩を、静かに踏み出していった。
「――この河の異変、必ず、突き止めよう」
零の言葉に、聖、夜、熊谷、花霞が、それぞれ、力強く頷いた。
夕暮れの光を受け、金色に輝くガンジス川を見つめながら、零は、静かに、自分の胸に、手を当てた。
(生きること、死ぬこと。その両方の意味を、この旅で、俺は、もっと、深く、知ることになるのかもしれない)
その予感を胸に、零たちの、インドでの旅が、静かに、しかし確かに、幕を開けようとしていた。




