第七話「商人の思惑」
冒険者ギルドで登録を終えてから、半月が過ぎた頃だった。
零は少しずつ、この街での暮らしに慣れ始めていた。相変わらずF-ランクの依頼しか回ってこないが、地道にこなすうちに、街の住人たちとも顔見知りが増えてきている。
「よお、坊主」
井戸端で顔を洗っていた零に、聞き覚えのある声がかかった。振り返ると、神崎銀次が、いつものように上等な外套を羽織って立っていた。
「神崎さん。何か用ですか」
「用がなきゃ会っちゃいけねえのか。まあいい、ちょいと付き合え。奢ってやるよ」
零は少し戸惑ったが、断る理由もなかった。神崎に連れられて向かったのは、街の一角にある小さな食堂だった。
「食え食え、育ち盛りだろ」
湯気の立つ煮込み料理が、零の前に置かれる。久しぶりにまともな食事にありつけて、零は素直にありがたかった。
「……で、本当は何の用ですか」
零が尋ねると、神崎はにやりと笑った。
「勘がいいな、坊主。実はな、お前に頼みたい仕事がある」
「仕事、って冒険者の依頼とは別に?」
「ああ。俺の商会でな、ちょいと厄介な荷物を運ばなきゃならねえんだ。安全な仕事だが、口の堅い奴じゃねえと任せられなくてな」
零は箸を止め、神崎の顔を見つめた。
「なんでそれを、俺に?」
「お前、身元がはっきりしねえだろ。裏を返せば、この街のどの派閥にも属してねえってことだ。そういう奴の方が、こういう仕事にはちょうどいい」
神崎の言葉には、商人らしい打算がありありと滲んでいた。だが、悪意は感じられなかった。
「怪しい荷物じゃないでしょうね」
「んなわけあるか。ただの薬草と織物だ。ちょいと関税の絡みで、表立って運びたくねえだけだ。まあ、グレーではあるがな」
零はしばらく考えた。危険な話ではなさそうだが、完全にクリーンな話でもなさそうだ。
「……報酬次第で考えます」
「話がわかるな、坊主。悪いようにはしねえよ」
そう言って、神崎は満足げに笑った。
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その夜、零は聖にこの話をした。聖は眉をひそめた。
「神崎さんね……。悪い人じゃないと思うけど、あの人、結構際どい仕事もやってるって噂よ」
「際どい、って」
「表の商売と、裏の商売、両方やってるってこと。この街で顔が利くのも、そのおかげだって聞いたことがある」
零は少し考え込んだ。
「危ない仕事なら断るつもりだ。でも、今の俺には、選べるほどの余裕もない」
聖はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「わかった。でも、無理はしないで。何かおかしいと思ったら、すぐに断ること。いい?」
「ああ、わかってる」
⸻
数日後、零は神崎から指定された荷物を受け取り、街道沿いの隣町まで運ぶ仕事を引き受けた。荷馬車を操る御者と、護衛として同行する零という組み合わせだった。
道中、御者の男が世間話がてら、神崎について話してくれた。
「銀次の旦那はな、若い頃は何もねえところから商会を興したんだ。人を見る目は確かだよ。損得勘定は激しいがな、義理は通す人だ」
「義理、ですか」
「昔、旦那が世話になった恩人の子供が困ってたら、絶対に見捨てねえ。そういう一面もある人だよ」
零はその話を聞きながら、神崎という人物の輪郭が、少しずつ明確になっていくのを感じた。損得勘定だけでは測れない何かが、確かにあるようだった。
荷物は無事に隣町へと届けられ、特に危険なこともなく仕事は終わった。
街へ戻ると、神崎が待ち構えていた。
「ご苦労さん、坊主。ほれ、約束の報酬だ」
差し出された革袋には、思っていたよりも多くの銀貨が入っていた。
「多くないですか、これ」
「気にすんな。お前がちゃんと仕事をこなしたってことだ。それに」
神崎はふと真面目な顔をして、零を見た。
「お前、聖女様の恩人だそうじゃねえか。それに、あの水晶をぶっ壊すような数値だったって聞いて、正直、俺は面白いと思ったんだよ」
「面白い、ですか」
「ああ。数値が低かろうがなんだろうが、お前、目が死んでねえ。この街には、ランクが低いってだけで腐っちまう奴も多いんだ。だが、お前は違う」
神崎の言葉には、意外にも真摯な響きがあった。
「困ったことがあったら、いつでも俺のところに来い。悪いようにはしねえよ」
そう言い残し、神崎は雑踏の中へと去っていった。
零は手の中の革袋を見つめながら、小さく息を吐いた。
(思ってたより、悪い人じゃないのかもな)
損得勘定の裏に、確かな人情がある。そんな人物が、この見知らぬ街には、少なからずいるのかもしれない。
夕暮れの空を見上げながら、零はゆっくりと聖教会への道を歩き始めた。
新しい繋がりが、また一つ、零の周りに生まれていた。




