第五十八話「城壁を越えて」
烽火台の跡地に近づくにつれ、周囲の空気は、これまでの旅で幾度となく感じてきた、あの重苦しい気配に、色濃く染まっていった。
「――この先ね」
聖が、緊張した面持ちで、崩れかけた石段を指し示した。烽火台の内部は、既に長年放棄されていたのか、蔦や苔に覆われ、荒廃した様相を呈していた。
「零殿、お気をつけを」
花霞が、刀を抜きながら、慎重に先へと進んでいく。
烽火台の最上部に辿り着くと、そこには、黒い靄が、まるで根を張るように、石造りの床にこびりついていた。
「――やはり、ここに」
夜が、短剣を構えながら、鋭く周囲を警戒した。
そのとき、靄の中から、これまでとは異なる、しかし同じく禍々しい気配を纏った者が、ゆっくりと姿を現した。
「――穢レナキ者ノ、気配。ヤハリ、コノ大陸ニモ、辿リ着イタカ」
その声は、これまで対峙してきた四天王とも、また異なる、より重々しい響きを持っていた。
「四天王、なのか……?」
零が問いかけると、その者は、ゆっくりと頷くような仕草を見せた。
「イカニモ。我ハ、四天王ガ一柱。コノ大陸ノ、古キ怨念ヲ、司ル者」
「古い怨念……?」
零が問い返すと、四天王は、静かに、しかし確かな悪意を滲ませながら続けた。
「コノ城壁、多クノ人柱ノ血デ、築カレタモノ。ソノ怨念ヲ、我ラガ力デ、増幅サセテオル」
その言葉に、零たちは、思わず息を呑んだ。
「城壁に、そんな歴史が……」
聖が、痛ましげに呟いた。
「病神ノ計画ノ一環ダ。コノ大陸ニ眠ル、無数ノ怨念ヲ、目覚メサセ、糧トスル」
四天王の言葉には、これまで以上に、深く、そして広範な計画の一端が、垣間見えた。
「そんなこと、させるわけにはいかない」
零は、剣を構えた。
「この城壁を築いた人たちの想いを、そんな形で利用させはしない」
「――ホウ。抗ウカ」
四天王が、黒い靄を大きく広げながら、迫ってきた。
⸻
戦いは、これまで以上の激しさで始まった。
「――ッ!」
零は、灰堂から学んだ体捌きで、四天王の攻撃を、慎重に見極めながら躱していく。以前ならば、この重圧だけで、体力を大きく消耗していただろう。だが今、零の体は、確かに、その負荷に応え続けていた。
熊谷が、大盾を構えて、四天王の靄を、正面から受け止める。
「くっ……重いべ、この力!」
「熊谷、無理するな!」
零の声に、熊谷は、歯を食いしばりながら応えた。
「まだまだ、いけるべ!」
花霞と夜が、連携して、四天王の側面から攻撃を仕掛ける。聖の支援魔法が、パーティー全体を、力強く包み込んでいた。
「――小癪ナ、虫ケラドモガ」
四天王が、靄をさらに強く展開させ、烽火台全体を、瘴気で覆い尽くそうとする。
零は、拳を握りしめた。
(この城壁を築いた人たちのためにも――)
胸の奥で、あの熱が、静かに、しかし確かに、燃え上がる。
「――俺は、この人たちの想いを、無駄にはさせない」
その言葉と共に、零は、渾身の力で、剣を振るった。
「――ッ、グァァ……!」
四天王が、大きくよろめく。零は、その隙を逃さず、さらに畳み掛けた。
花霞の刀が、四天王の靄の中心を、深く切り裂く。
「――バ、馬鹿ナ……! コレホドノ、力ヲ……!」
四天王は、大きく後退しながら、悔しげに呟いた。
「――今日ハ、コレマデダ。ジャガ、覚エテオケ。病神様ノ計画ハ、既ニ、次ノ段階ヘ」
その言葉を最後に、四天王は、黒い靄と共に、姿を消していった。
⸻
戦いが終わった後、烽火台に纏わりついていた瘴気も、次第に薄れ、消えていった。
「――終わった、みたいだな」
零がそう呟くと、聖が、安堵の表情を浮かべた。
「これで、兵士たちの容態も、良くなるはずよ」
関所へと戻ると、案の定、倒れていた兵士たちの容態は、少しずつ快方に向かい始めていた。
「本当に、感謝する……!」
隊長が、深々と頭を下げた。
「これで、この城壁も、また、安心して守れる」
その言葉に、零は、静かに頷いた。
「城壁を築いた人たちの想い、無駄にはさせません」
零のその言葉に、隊長は、僅かに目を潤ませた。
見知らぬ大陸の、途方もなく長い城壁の上で、零たちの戦いは、また一つ、確かな勝利を、その手に収めていた。だが、四天王の言葉――「病神様の計画は、既に、次の段階へ」――その意味は、依然として、大きな謎として、零たちの前に残されていた。




