第五話「薬草採取と嘲笑」
冒険者ギルドで登録を終えた翌朝、零は掲示板の前に立っていた。
貼り出された依頼書の中で、F-ランクの零が受けられるものは、驚くほど少なかった。ほとんどが「薬草採取」「街道のゴミ拾い」「井戸の清掃」といった、およそ冒険者らしからぬものばかりだ。
「……これでいいか」
零が選んだのは、街の外れの森で採れる「癒草」という薬草を集める依頼だった。報酬は決して高くないが、今の零にできることといえば、これくらいしかない。
依頼書を受付に持っていくと、職員は少し意外そうな顔をした。
「森に入るんですか? 見習いの方には少し心配ですが……まあ、癒草が生えているのは森の入り口付近だけですし、危険な魔物もあまり出ませんから、大丈夫だとは思います」
「わかりました。行ってきます」
零がギルドを出ようとしたとき、背後から声がかかった。
「おい、そこの兄ちゃん」
振り返ると、二人組の冒険者が、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。革鎧を纏い、剣を腰に下げた、いかにも歴戦という雰囲気の男たちだ。
「お前が、例のF-の坊やか。噂は聞いてるぜ、水晶がぶっ壊れるくらいの雑魚だってな」
「……何か用ですか」
「別に、用ってほどじゃねえよ。ただ、森は危ないから気をつけろよって、親切心で言ってやってるんだ」
男たちは下卑た笑いを漏らしながら、零の脇を通り過ぎていった。
「あんな雑魚、三日と持たねえだろ」
「見習いにもなれねえレベルらしいぜ。何しに冒険者なんかになったんだか」
聞こえよがしの嘲笑が、零の背中に突き刺さる。
零は何も言い返さなかった。ただ、静かに拳を握りしめただけだった。
(悔しくない、と言えば嘘になるな)
だが、それ以上に強い感情があった。
――こんなところで、立ち止まっている暇はない。
零は男たちに背を向け、街の門へと向かって歩き出した。
⸻
森は、街の門から歩いて半刻ほどの場所にあった。
鬱蒼と茂る木々の間を縫うように、細い獣道が続いている。零は院長から借りた粗末な革の鞄を背負い、依頼書に描かれた癒草の絵を頼りに、地面を這うように探し始めた。
(これか……?)
淡い緑色の葉に、小さな白い花をつけた草を見つけ、零はそっと手を伸ばした。だが、触れる寸前で手が止まる。
――なんとなく、これは違う気がする。
理由はうまく言葉にできない。だが、妙な引っかかりがあった。零は手を止め、よく見比べてみる。依頼書の絵とは、葉の形が微妙に違っていた。似ているが、別の植物のようだ。
「……危なかった、のかもな」
零は額の汗を拭った。よくわからないが、何かが自分を止めてくれた気がした。
(なんだったんだろう、今のは)
考えても仕方がない。零は気を取り直し、本物の癒草を探し始めた。
小一時間ほど探し回り、ようやく鞄の中に十本ほどの癒草を集めた頃だった。
「――ッ、あれは」
森の奥から、荒い息遣いと、何かを引きずるような音が聞こえてきた。
零は音のする方向へ、慎重に近づいていく。木々の隙間から見えたのは、一人の少女が、地面に座り込んで足を押さえている光景だった。
年の頃は十四、五歳だろうか。動きやすそうな軽装に、腰には小さなナイフを差している。顔立ちは整っているが、今は苦痛に歪んでいた。
近くの茂みには、小型の魔物――大きなネズミのような姿をした生物が、こちらを警戒するように唸っている。
零は咄嗟に、足元に落ちていた太い木の枝を拾い上げた。
「大丈夫か!」
零が声を上げると、少女がはっとこちらを見た。魔物も、新たな標的に気づいて向きを変える。
「来ないで! こいつ、噛まれると毒があるの!」
少女の警告も虚しく、魔物は零に向かって飛びかかってきた。
零は咄嗟に枝を構えた。
ただの十七歳の少年の反射神経で、なんとか体を横に逸らす。魔物の牙が、零の腕をかすめた。
「――っ!」
鋭い痛みが走った。だが、それだけだった。深手ではない。
零は体勢を立て直し、枝を思い切り振り下ろした。狙いは正確とは言えなかったが、なんとか魔物の頭部を捉える。魔物は甲高い悲鳴を上げて、茂みの奥へと逃げていった。
「……よし」
安堵の息を吐いた瞬間、零は腕の痛みに気づいた。噛まれた場所が、じわじわと熱を帯びている。
「大丈夫? 毒、入ってない?」
少女が慌てて駆け寄ってくる。零は自分の腕を見つめた。噛み跡の周りが、赤黒く変色し始めている。
(まずいな、これ)
だが、零は不思議と、思ったよりも冷静だった。長年、体の不調とは付き合ってきた。痛みにも、熱にも、ある程度の耐性のようなものが、自分の中にできている気がした。
胸の奥が、微かに疼いた。熱を持った患部から、何かがゆっくりと零の中へ流れていくような感覚があった。
「……零、大丈夫?」
いつのまにか名前を呼んでいたことに、少女自身も気づいていないようだった。零は自分の腕を見つめながら、ゆっくりと拳を握った。
痛みが、少しずつ引いていく。
「……大丈夫、みたいだ」
赤黒かった患部が、みるみるうちに元の肌色に戻っていく。少女はそれを見て、目を丸くした。
「な、何、今の……回復魔法? でも、詠唱もしてないのに」
「……俺にも、よくわからない」
零は正直にそう答えるしかなかった。だが、確かな手応えがあった。
――何かを、乗り越えた。
その事実が、零の中に小さな熱として残っている。まだ具体的な形にはなっていないが、確実に何かが積み重なっている感覚があった。
少女は改めて零を見つめ直した。
「助けてくれて、ありがとう。私、ミレイ。この森の近くの村の子。薬草採りに来て、足を挫いちゃって」
「零だ。俺も同じ、薬草採取の依頼で」
「零……もしかして、噂のF-の冒険者?」
零は苦笑した。
「もう、そんなところまで噂になってるのか」
「街のギルドじゃ、結構話題よ。水晶が壊れるくらいの数値だったって」
ミレイは笑いながら言ったが、悪意は感じられなかった。むしろ、興味深そうな顔をしている。
「でも、私を助けてくれたし、さっきの回復も凄かった。全然、弱くなんてないと思うけど」
その言葉に、零は少し驚いた。街で浴びせられた嘲笑とは違う、素直な言葉だった。
「……ありがとう」
零は自然と、そう口にしていた。
ミレイの足の怪我は、幸い軽い捻挫程度だったので、零が肩を貸して、なんとか森の入り口まで送り届けることができた。
「本当にありがとう、零。また会えたら、お礼させて」
そう言って、ミレイは村の方角へと帰っていった。
一人残った零は、鞄の中の癒草を確認しながら、ゆっくりと街への道を戻り始めた。
腕の傷はもう、跡形もなく消えている。だが、今日一日の出来事は、確かに零の中に何かを残していた。
(嘲笑われても、それでも、誰かの役に立てた)
その事実だけで、今日という日は、決して無駄ではなかったと思えた。
夕暮れの道を歩きながら、零は自分の胸に手を当てた。
――少しずつでいい。この場所で、俺は俺のやり方で、前に進んでいく。
その決意を胸に、零は街の灯りが見え始めた道を、まっすぐに歩き続けた。




