第四話「最弱の冒険者」
聖教会に身を寄せてから、五日が過ぎた。
その間、零は院長ヨハネスの指示で幾度となく体の検査を受けた。だが、結局のところ、零の中にある「何か」の正体は、誰にも掴めなかった。
「坊やの中にあるものは、既存の魔法体系のどれにも当てはまらない。恐らく、この世界でもごく稀にしか見られない特異な性質――そういう類のものだろう」
院長はそう結論づけた。稀にそうした性質を持って生まれる者がいることは知られているが、その正体や仕組みまで解明された例は少ないのだという。
「今の坊やの体には、目立った不調はもう見当たらない。つまり、今の坊やは……」
院長は言いにくそうに言葉を濁した。
「ただの、健康な十七歳の少年ということですか?」
零が代わりに言うと、院長は苦笑した。
「うむ。裏を返せば、今の坊やには、際立った戦闘の力があるわけではない。牙獣を避けられたのは、恐らく何らかの拍子に一時的に発現したものだろう。今の坊やが、それを自在に扱えるとは限らない」
零は自分の手のひらを見つめた。
つまり、今の自分は――特別な力を持たない、ただの少年ということだ。
「……そうか」
落胆はなかった。むしろ、当然だと思った。今までの人生で、何かを簡単に手に入れたことなど、一度もなかったのだから。
「零、元気出して。院長様は、可能性がないとは言ってないわ」
隣で聞いていた聖が、励ますように言った。
「これから何かを経験していけば、その分だけ育っていくものかもしれないでしょう? それなら――」
「それなら、まずは冒険者登録だな」
割り込んできたのは、院長の執務室に唐突に顔を出した、恰幅のいい中年男だった。派手な柄シャツの上に上等な外套を羽織り、指には幾つもの指輪が光っている。
「神崎さん!? 急に入ってこないでください」
聖が咎めるように言うが、男は気にする様子もなく、ずかずかと部屋に入ってきた。
「いやいや、聖女様。廊下で立ち聞きしてたら、面白そうな話が聞こえてきたもんでね」
男は零の前に立つと、値踏みするような視線を向けた。
「神崎銀次。この街で商会をやってる者だ。ついでに、冒険者ギルドにも顔が利く」
「……零です」
「ああ、聞いてるよ。行き倒れの異国人で、聖女様の恩人だってな」
神崎の口調は軽薄だったが、目の奥には、商人らしい鋭い計算高さが見え隠れしていた。
「坊主、身分証もねえ、金もねえ、頼れる伝手もねえ。だったら、冒険者になるのが手っ取り早い。ギルドに登録すりゃ、身分証代わりのタグも貰えるし、依頼をこなして金も稼げる」
「冒険者……」
その響きに、零はどこか聞き覚えがあるような気がした。だが、はっきりとは思い出せない。ただの語感の問題かもしれない、と零は思うことにした。
「危険はないんですか?」
聖が心配そうに尋ねると、神崎は肩をすくめた。
「そりゃあるさ。だが最初は最弱ランクのFから始まる。受けられる依頼も、街の周りの薬草採取とか、そういう安全なものばかりだ。命の危険はまずねえよ」
零はしばらく考えた末、静かに口を開いた。
「……やってみます」
「零?」
聖が驚いたように零を見る。
「このままここで世話になり続けるわけにもいかない。それに」
零は自分の胸に手を当てた。
「俺には、自分の中にある何かが、まだよくわかってない。何かをして、経験しないと、きっと何もわからないままだ」
院長は静かに頷いた。
「よかろう。ただし無理はするな。何かあれば、すぐにこの教会に戻ってくるがいい」
「……ありがとうございます」
こうして零は、神崎に連れられて、街の冒険者ギルドへと向かうことになった。
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冒険者ギルドは、街の広場の一角にある大きな建物だった。中に入ると、様々な装備を纏った冒険者たちが行き交い、掲示板には無数の依頼書が貼られている。喧騒と、汗と革の匂いが充満していた。
「おう、ここの受付嬢に言えば手続きしてくれる。俺は先に行くところがあるんでな、あとは自分でやんな」
神崎はそう言うと、片手を上げて雑踏の中に消えていった。
零は少し戸惑いながら、受付カウンターに向かった。
「登録希望ですか?」
カウンターに座っていた女性職員が、事務的に尋ねてくる。零が頷くと、書類とペンを差し出された。
「名前と、簡単な経歴を。身分証がない場合は、こちらの誓約書にサインを」
零は差し出された書類に、たどたどしい文字で名前を書き込んだ。この街の文字は、不思議なことに、零には自然と読み書きができた。子供の頃に習った覚えなどないはずなのに。
(なんでだろうな……)
疑問はあったが、今はそれどころではない。
「では、次に適性測定を行います。こちらの水晶に触れてください」
差し出されたのは、透明な水晶球だった。零が言われるままに手を触れると、水晶が淡く光り始める。
しばらくして、職員の表情が微かに強張った。
「……あの、もう一度、触れていただいてもいいですか?」
零は言われた通り、もう一度水晶に触れた。結果は同じだったらしく、職員は困惑した様子で水晶と零の顔を見比べた。
「どうかしましたか?」
「……いえ、その。数値が、ほとんど計測できないほど低くて」
「低い?」
「はい。魔力、体力、戦闘適性――どれも、この街に来たばかりの子供以下の数値です。正直、ここまで低い数値は、私も初めて見ました」
周囲にいた他の冒険者たちが、ちらほらとこちらに視線を向け始める。誰かが小さく笑う声も聞こえた。
「おいおい、あの水晶、壊れてんじゃねえのか」
「珍しいな、あそこまで低いのは」
零は俯くこともなく、ただ静かにその言葉を受け止めた。
(そうだよな。今の俺は、本当に何もない、ただの人間なんだから)
不思議と、悔しさよりも、妙な納得感の方が強かった。ずっと病弱で、何もできない自分に慣れていたからかもしれない。
「登録は、いかがしますか……? この数値ですと、正直、最弱ランクのFからのスタートになりますが……いえ、Fよりも下の、見習い扱いになるかもしれません」
職員が言いにくそうに尋ねる。
零は迷わず頷いた。
「構いません。登録します」
その言葉に、職員は少し驚いたようだったが、すぐに手続きを進めてくれた。
こうして発行されたタグには、小さく「F- (見習い)」というランクが刻まれていた。ギルドの歴史上、最も低いランクだという。
零はそのタグを、じっと見つめた。
(世界最弱、か)
自嘲めいた笑みが、思わず零の口元に浮かんだ。
だが、不思議と、心は沈んでいなかった。むしろ、どこか清々しい気持ちさえあった。
――ゼロから始まる。それでいい。今までだって、いつもゼロからだった。何も持たない状態から、必死にもがいて生きてきたのだから。
ギルドを出ると、外はすっかり夕暮れに染まっていた。橙色の光が石畳の街並みを照らし、行き交う人々の影を長く伸ばしている。
零はタグを握りしめながら、静かに空を見上げた。
二つの太陽が、地平線の彼方へと沈んでいくところだった。
(見てろよ)
誰に向けてでもなく、零は心の中でそう呟いた。
――この最弱の一歩から、俺は必ず、何かを変えてみせる。
その決意は、まだ小さな灯火に過ぎなかった。だが確かに、零の胸の奥で、静かに燃え始めていた。




