第四十五話「紫苑の秘密」
蔵の扉を開けた瞬間、零たちは、これまでにないほど濃密な瘴気に、全身を包まれた。
「――っ、これは……!」
聖が、思わず口元を押さえる。蔵の中は、外からは想像もつかないほど広く、中心には、黒い靄が渦を巻きながら、何かを守るように蠢いていた。
「――ヨクゾ、辿リ着イタ」
靄の中から、以前対峙した四天王とは異なる、しかし同じく禍々しい気配を纏った者の声が響いた。
「四天王が、もう一柱……!」
零が身構えると、靄の中から、これまでとは異なる、女性的な輪郭を持つ、黒装束の者が姿を現した。
「我ハ、四天王ガ一柱。コノ屋敷ノ善意ト希望ヲ、絶望ニ変エルベク、遣ワサレタ」
「善意を、絶望に……」
零の脳裏に、あの少女の切実な願いが蘇った。
「そんなこと、させるわけにはいかない」
零が剣を構えると、四天王は、嘲るように嗤った。
「――ソコナ陰陽師ヨ、貴様モ、コチラ側ノ気配ヲ、僅カニ纏ウテオルナ」
その言葉に、零は、思わず紫苑を見た。紫苑の表情が、僅かに強張っている。
「紫苑さん……?」
「……何のことか、わかりまへん」
紫苑は、そう答えながらも、明らかに動揺していた。四天王は、それを面白がるように、続けた。
「貴様ノ母、カツテ、我ラガ眷属ト、深キ縁ヲ結ンダ者。忘レタトハ、言ワセヌ」
「――やめよ!」
紫苑が、鋭くそう叫んだ。その声には、これまで見せたことのない、切実な響きがあった。
零は、事態の急変に戸惑いながらも、状況を悟った。紫苑にも、何か、この闇に関わる過去があるのかもしれない。
「紫苑、詳しい話は後だ。今は、この敵をどうにかしないと」
零の言葉に、紫苑は、はっとしたように頷いた。
「……そうどすな。今は、戦いに集中いたします」
だが、その声には、まだ僅かな動揺が残っていた。
⸻
戦闘が始まると、四天王は、これまでの敵とは一線を画す、変幻自在の靄の攻撃を繰り出してきた。
「くっ、捉えどころがない……!」
熊谷の盾も、靄の攻撃を、完全には防ぎきれない。花霞の刀も、空を切ることが多かった。
「零殿、この敵、これまでとは、異なる質の力を纏っておりまする」
花霞の指摘通り、零も、四天王の靄から、これまでにない、粘着質な悪意を感じ取っていた。
(でも――)
零は、剣を握り直した。以前ならば、この重圧だけで、体が悲鳴を上げていただろう。だが今、体の奥の熱は、確かに、着実に、零の意志に応えようとしていた。
「聖、皆に加護を!」
「わかった!」
聖の光が、パーティー全体を包み込む。夜が、影から影へと移動しながら、四天王の隙を探っていた。
紫苑もまた、呪符を構え、独自の術で、四天王の靄の動きを、僅かながら封じ込めていく。
「今よ、皆!」
紫苑の合図に、零、花霞、熊谷が、一斉に四天王へと迫った。
「――小癪ナ……!」
四天王が、靄を大きく広げ、反撃しようとする。だが、その瞬間、零の剣が、確かな手応えと共に、靄の中心を貫いた。
「――ッ、グァァ……!」
四天王が、苦悶の声を上げながら、大きくよろめいた。
「今のうちに!」
夜の短剣が、追い打ちをかける。四天王は、大きく後退しながら、悔しげに呟いた。
「――今日ノトコロハ、コレマデカ。ジャガ、覚エテオケ」
その言葉と共に、四天王は、黒い靄と共に、姿を消していった。
⸻
戦いが終わった後、蔵の中に満ちていた瘴気も、次第に薄れ、消えていった。
「――終わった、みたいだな」
零がそう呟くと、聖が、安堵の表情を浮かべた。
「これで、屋敷の皆さんの容態も、良くなるはず」
だが、零の視線は、静かに立ち尽くす紫苑へと向けられていた。
「紫苑、さっきの話……」
「……」
紫苑は、しばらく黙り込んでいたが、やがて、静かに口を開いた。
「わたくしの母は、若い頃、旅の陰陽師でございました。ある日、行き倒れておった者を助け……その者が、実は、病神の眷属に近しい存在やった、という話が、わたくしの家には、密かに伝わっております」
紫苑の言葉には、深い葛藤が滲んでいた。
「わたくしは、その血を引く者として、常に、己の内に、光と闇、両方の気配を抱えて生きて参りました」
零は、静かにその告白を受け止めた。
「紫苑、それでも、お前は今、俺たちと一緒に、この病と戦ってくれてる。それが、お前の答えなんじゃないか」
零の言葉に、紫苑は、驚いたように顔を上げた。
「……零殿」
「出自がどうであれ、今、お前が誰のために戦うか。それが、一番大事なことだと、俺は思う」
その言葉には、零自身の経験――見知らぬ場所で目覚め、自分の中の正体不明の力と向き合い続けてきた日々が、重ねられていた。
紫苑は、しばらく零を見つめていたが、やがて、静かに微笑んだ。
「……ありがとう存じます、零殿」
⸻
屋敷に戻ると、使用人たちの容態は、確かに、少しずつ快方に向かい始めていた。あの少女も、祖母の枕元で、涙ながらに感謝の言葉を述べていた。
「本当に、ありがとうございます……!」
その光景を見つめながら、零は、静かに安堵の息を吐いた。
体は、まだ完全には癒えていない。だが、確かに、以前よりも、着実に、その力を制御できるようになってきている。
見知らぬ、しかしどこか懐かしいこの都で、零の旅は、紫苑という、新たな仲間の秘密と共に、また一つ、深みを増していくのだった。




