第四十話「祟り神の祠」
しばしの休息を経て、一行は、ようやく祠へと辿り着いた。
古びた石造りの鳥居の奥、雪に埋もれるようにして、小さな祠が佇んでいる。だが、その注連縄は、ところどころ千切れ、明らかに何かが、内側から溢れ出ようとしているかのような、禍々しい気配が漂っていた。
「これは……」
聖が、息を呑む。零も、祠から放たれる、重苦しい空気を、肌で感じ取っていた。
だが、不思議なことに、ここに来るまでの道のりに比べて、今の零の呼吸は、思っていたよりも安定していた。
(あれ……?)
先ほどまでの、あの鉛のような重さが、いくらか和らいでいる気がする。休息のおかげか、それとも、他に理由があるのか、零自身にも、はっきりとはわからなかった。
「零、大丈夫? 顔色、さっきよりは、いくらかいいみたいだけど」
聖が、そう指摘した。零は、自分の胸に手を当てた。
「……ああ、なんでか、少し楽になってる気がする」
「あんた、変な奴。よくわかんない体してる」
夜が、呆れたように、しかしどこか安堵の滲んだ声で言った。
祠に近づくと、その奥から、黒い靄のようなものが、微かに漏れ出しているのが見えた。
「――やはり、ここにも」
花霞が、刀の柄に手をかけながら、静かに呟いた。
そのとき、祠の奥から、くぐもった声が響いた。
「――穢レナキ者ノ、気配。ヤハリ、貴様モ、コノ地ニ辿リ着イタカ」
黒い靄の中から、見覚えのある、黒装束の使徒が姿を現した。
「使徒……! こんなところにまで」
零が身構えると、使徒は、ゆっくりと零へと近づいてきた。
「コノ祠ニ眠ル、古キ穢レ。病神様ノ力ヲ以テ、目覚メサセントス」
「そんなことは、させない」
零は、腰の剣――灰堂から譲り受けた剣に、手をかけた。
使徒が、黒い靄を纏わせながら、迫ってくる。零は、身構えながらも、これまでとは違う、ある種の落ち着きを感じていた。
(体が、軽い)
以前ならば、この程度の緊張状態でも、すぐに息が上がっていたはずだった。だが今、零の呼吸は、思っていたよりも安定している。
「熊谷、前へ!」
「おうよ!」
熊谷が、大盾を構えて前に出る。花霞も、流れるような動きで、使徒の側面へと回り込んだ。
「零殿、お力をお貸しくださいませ」
花霞の言葉に、零は、頷いた。
使徒が放つ、黒い靄の刃を、零は、これまでよりも僅かに軽やかな動きで、躱していく。灰堂から学んだ、無駄のない体の使い方が、確かに、身についてきているのを感じた。
「――ぬかせ!」
熊谷の盾が、使徒の靄を押し返す。花霞の刀が、鋭く靄の一角を切り裂く。夜も、影に紛れるように動き、隙を突いて短剣を突き立てた。
「今だ!」
零は、剣を構え、使徒へと踏み込んだ。以前よりも、確かに、体が言うことを聞いてくれる。
「――ッ!」
使徒の靄が、大きく揺らぎ、悲鳴のような声が響いた。
「マ、マダ……終ワッテハ……」
そう言い残しながらも、使徒は、力尽きたように、黒い靄と共に、闇の中へと溶けて消えていった。
⸻
戦いが終わった後、祠から漏れ出ていた黒い靄も、次第に薄れ、消えていった。
「……終わった、のか」
零は、荒くなった息を整えながら、そう呟いた。だが、以前の戦いに比べて、その息切れは、明らかに軽いものだった。
「零、体、大丈夫?」
聖が、心配そうに駆け寄ってくる。零は、自分でも驚きながら、頷いた。
「ああ。思ったより、平気だ」
「本当に? 顔色、悪くないみたい」
聖の言葉通り、零の顔色は、これまでの戦いの後に比べて、随分と落ち着いていた。
「なんでだろうな……。少しずつ、体が、慣れてきてるのかもしれない」
夜が、興味深そうに零を見つめた。
「もしかして、あんたの体、少しずつ、丈夫になってきてるんじゃない?」
「丈夫に……?」
零は、自分の胸に手を当てた。あの、以前は当たり前のようにあった重さや息苦しさが、確かに、以前よりも和らいでいる気がする。
花霞も、静かに頷いた。
「零殿。そなたの力が、少しずつ、この身に馴染み始めておるのやもしれませぬ。苦しみを乗り越えるたびに、その体もまた、鍛えられていくのでございましょう」
その言葉に、零は、微かな希望を感じた。
⸻
祠の異変が去った後、集落の村人たちの容態も、少しずつ快方へと向かい始めていた。
「本当に、ありがとうございました……」
老婆が、涙ながらに何度も頭を下げる。零たちは、その感謝の言葉を受けながら、静かに安堵の息を吐いた。
「零殿、そなたの働き、見事にございました」
花霞の言葉に、零は、少し照れくさそうに笑った。
「まだまだ、みんなの力を借りてばかりだけどな」
「それでよいのです。一人で、全てを背負う必要は、ございません」
零は、雪に覆われた集落を見渡しながら、静かに息を吐いた。
体は、まだ完全に癒えたわけではない。だが、確かに、以前よりも、少しずつ、その脆さが、和らぎ始めている。
(もしかしたら、この体も、少しずつ、強くなっていけるのかもしれない)
その小さな希望を胸に、零は、仲間たちと共に、静かに、雪の道を歩き始めた。
見知らぬ、しかしどこか懐かしいこの島国での旅は、こうして、また一つの試練を乗り越え、次なる場所へと、その歩みを進めていくのだった。




