第三十六話「花魁剣士・花霞」
高熱にうなされてから、三日が過ぎた。
「零、少し顔色が良くなってきたわね」
聖が、額の布を取り替えながら、安堵した様子で微笑んだ。零は、まだ体に力が入らないながらも、なんとか上体を起こすことができるようになっていた。
「悪いな、これまで、ずっと寝込んで」
「謝らないでって、言ったでしょう」
聖は、優しく零の背中を支えながら、水を飲ませてくれた。喉を通る水が、ひどく染みる。
「村の様子は?」
「熊谷と夜が、交代で見回りをしてくれてる。幸い、あれ以来、大きな異変はないわ」
零は、静かに息を吐いた。自分が寝込んでいる間、仲間たちに、多くの負担をかけてしまっている。その事実が、何よりも心苦しかった。
「早く、動けるようにならないと」
「焦らないで。無理して、また悪化したら、元も子もないわ」
聖の言葉はもっともだった。だが、頭ではわかっていても、この不甲斐なさは、簡単には消えてくれない。
そのとき、集会所の入り口が、静かに開いた。
「――邪魔をする」
聞き覚えのない、しかし凛とした声。零が視線を向けると、そこに立っていたのは、これまで見たこともない、不思議な雰囲気を纏った女性だった。
艶やかな黒髪を複雑に結い上げ、色鮮やかな着物を纏っている。だが、その腰には、場違いなほど武骨な、一振りの刀が差されていた。
「あなたは……?」
聖が、警戒しながら尋ねる。女性は、静かに一礼した。
「花霞と申します。この辺りを渡り歩く、旅の剣士にございます」
その独特の話し方――後に「花魁言葉」と呼ばれるものだと知ることになるのだが――に、零は、微かな違和感と、同時に興味を覚えた。
「この村の異変を聞きつけ、参りました。お力になれることがあれば、と」
花霞の視線が、寝込んでいる零へと向けられた。
「そちらの御方、随分と顔色が優れないご様子」
「……お恥ずかしい限りです。少し、無理をしてしまって」
零がそう答えると、花霞は、意外にも柔らかい表情を見せた。
「無理は、禁物にございますよ。体は、何よりの資本」
その言葉には、単なる社交辞令以上の、経験に裏打ちされた重みがあるように、零には感じられた。
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花霞は、その日から、零たちのパーティーに一時的に合流する形で、村の警戒に加わることになった。
「花霞さん、その刀の腕前、本物みたいだべな」
熊谷が、感心したように言うと、花霞は、僅かに微笑んだ。
「これでも、それなりに場数は踏んでおります」
夜は、花霞の一挙一動を、注意深く観察していた。
「……あんた、ただの旅の剣士じゃないでしょう」
夜の指摘に、花霞は、一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに柔らかい笑みで、それを覆い隠した。
「さて、どうでございましょうか」
その意味深な返答に、零は、花霞という人物にも、何か複雑な事情があることを、なんとなく察した。だが、今は、深く詮索する余裕もなかった。
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その夜、零は、まだ本調子ではないながらも、集会所の縁側で、静かに夜風に当たっていた。
「まだ、休んでいた方がよろしいのでは」
いつのまにか、花霞が、隣に腰を下ろしていた。
「……少し、外の空気を吸いたくて」
「無理は禁物、と申し上げたはずですが」
花霞の口調には、咎めるような響きはなく、むしろ、気遣うような柔らかさがあった。
「花霞さんは、なんで、この村のことを?」
零が尋ねると、花霞は、少し遠い目をして、夜空を見上げた。
「……この国には、似たような苦しみを抱える村が、他にも幾つかございます。見過ごせぬのです、そういった場所を」
「似たような苦しみ、というのは」
「病、あるいは、それに似た穢れ。理由もわからぬまま、大切な者を失う。そういった悲しみに、心当たりがございますゆえ」
その言葉には、深い個人的な思いが滲んでいた。零は、それ以上、詳しくは聞かなかった。だが、花霞という人物の背負うものの重さを、静かに感じ取っていた。
「零殿。そなたの、その体の弱さ――恥じることは、ございませんよ」
花霞の唐突な言葉に、零は驚いて顔を上げた。
「弱きことは、時に、人の心を、より深く理解する力になり得ます。それは、決して、無価値なことではございません」
その言葉は、これまで零が聞いてきた、様々な人々からの励ましと、どこか通じるものがあった。だが、花霞の言葉には、独特の重みと、静けさがあった。
「……ありがとうございます」
零は、素直にそう答えた。
夜風が、二人の間を、静かに通り抜けていく。
見知らぬ、しかしどこか懐かしいこの島国で、零の旅に、また一人、複雑な過去を秘めた協力者が、加わろうとしていた。
そして、その体の弱さは、まだ完全に癒えたわけではない。だが、それでも、零は、一歩ずつ、確かに前へと進み続けていた。




