第二十八話「旅立ちの理由」
四天王との戦いから数日、熊谷の容態は、聖教会の手厚い治療のおかげで、順調に快方に向かっていた。
「もう平気だべ。この通り、ぴんぴんしてる」
熊谷は、包帯を巻いた腕を振ってみせながら、豪快に笑った。だが、まだ完全に本調子とは言えないことを、零も、聖も、よくわかっていた。
「無理しないで。しばらくは、大人しくしてないと」
聖の言葉に、熊谷は渋々といった様子で頷いた。
「わかってるべ。だがよ、俺が休んでる間に、お前ら、無茶すんなよ」
「善処するよ」
零は、そう言いながら微笑んだ。だが、内心では、複雑な思いを抱えていた。
四天王という、あまりにも大きすぎる壁。皇帝牙の助けがなければ、あの場は、間違いなく全滅していただろう。
(このままじゃ、いけない)
零は、灰堂の元での鍛錬を、これまで以上に真剣に続けていた。だが、灰堂の教えだけでは、限界があることも、薄々感じ始めていた。
⸻
ある日、零は院長ヨハネスに呼び出された。
「坊や、話がある」
院長の執務室に入ると、そこには、これまで見たことのない、真剣な表情の院長が待っていた。
「先日の四天王との戦い、そして、その前のモルダーヴィでの一件。坊やの中の力について、私なりに、色々と調べてみた」
「何か、わかったんですか」
院長は、古びた書物を机の上に広げた。
「聖教会に伝わる古文書に、断片的にだが、坊やのような特異な体質についての記述があった。詳細は、まだ判然としないが――一つ、確かなことがある」
「なんですか」
「坊やの力は、恐らく、この地に留まっているだけでは、十分には育たない」
その言葉に、零は驚いた。
「留まっているだけでは……?」
「うむ。古文書によれば、そういった特異な力を持つ者は、様々な地を巡り、様々な苦難や経験を積むことで、力を大きく育てていくとある。あくまで伝承の域を出ないが、坊やの状況を考えれば、一考に値する話だ」
零は、しばらく黙り込んだ。この街に来てから、ずっとこの場所で、依頼をこなし、灰堂の元で鍛錬を積んできた。だが、それだけでは、四天王のような脅威に対抗する力は、なかなか育たないのかもしれない。
「旅に出ろ、ということですか」
「今すぐにとは言わん。だが、いずれ、坊やには、この街を出て、広い世界を見て回る時が来るだろう。それが、坊やの力を育てる、一つの道になるかもしれん」
院長の言葉には、深い思慮が込められていた。
⸻
その夜、零は聖教会の裏庭で、聖と夜、そして見舞いに来ていた熊谷と、この話を共有した。
「旅、か……」
聖が、少し寂しそうな表情を浮かべた。
「零、本当に、行くつもりなの?」
「まだ、決めたわけじゃない。でも」
零は、自分の手のひらを見つめた。
「四天王との戦いで、痛感したんだ。今のままの俺じゃ、大切な人たちを守りきれない。もっと強くならなきゃいけない。もし、旅に出ることが、その近道になるなら――」
「行くべきだと思う」
夜が、静かにそう言った。
「私も、色々と調べてみた。噂だけど、遠い異国には、この街とは全く違う文化や、知られていない秘術があるらしい。そういう場所を巡れば、あんたの力についても、何か手がかりが見つかるかもしれない」
「夜も、賛成なのか」
「賛成、というより……もし行くなら、私も一緒に行く。それだけ」
夜のその言葉に、零は少し驚いた。
「一緒に、来てくれるのか?」
「あんた一人じゃ、危なっかしくて見てられない。それだけ」
素っ気ない言い方だったが、その裏にある温かさを、零はもう十分に理解していた。
熊谷も、力強く頷いた。
「俺も行くべ。まだ本調子じゃねえが、旅に出る頃には、ちゃんと治ってるはずだ」
聖は、少し逡巡していたが、やがて、決意を込めた表情で口を開いた。
「私も、一緒に行くわ。治癒師として、あなたたちの力になりたい。それに……」
聖は、少し照れくさそうに視線を逸らした。
「あなたのこと、心配だもの」
その言葉に、零は胸が温かくなるのを感じた。
「みんな……ありがとう」
零は、深く頭を下げた。
「まだ、旅に出る具体的な日取りは決まってない。でも、いつか、そのときが来たら――みんなで、一緒に行こう」
「おうよ」
「もちろん」
「……仕方ない」
三者三様の返事に、零は、静かに笑みをこぼした。
⸻
その夜、零は一人、部屋の窓から、夜空に浮かぶ二つの月を見上げていた。
これまで、この見知らぬ世界で、多くのことを経験してきた。仲間との出会い、力の目覚め、そして、正体不明の脅威との戦い。
だが、まだ何も終わっていない。むしろ、これは、始まりに過ぎないのかもしれない。
(旅か……)
零は、自分の胸に手を当てた。あの、体の奥に燻る熱。まだ完全には制御できていない、この力の正体を知るためにも、そして、大切な仲間たちを、これからも守り続けるためにも――。
「もっと、強くなる」
静かな決意を胸に、零は、静かに目を閉じた。
見知らぬ世界での旅は、新たな章――広い世界へと踏み出す、その入り口に差し掛かろうとしていた。




