第二十六話「民を守る者」
零が街の外れへと駆けつけると、そこには、これまでよりも一回り大きな黒い靄が、うねるように渦を巻いていた。
「これは……!」
夜と熊谷も、すぐに追いついてきた。
「零、気をつけろ! さっきの奴らより、明らかに気配がでかい!」
熊谷が、大盾を構えながら叫ぶ。零も、その場の空気の重さに、肌が粟立つのを感じた。
靄の中心から、ゆっくりと姿を現したのは、以前の使徒とは、纏う雰囲気が明らかに異なる者だった。仮面には、複雑な紋様が刻まれ、纏う黒い装束にも、金糸のような装飾が施されている。
「――我ハ、四天王ガ一柱」
その言葉に、零たちは息を呑んだ。
「四天王……使徒より、上位の存在なのか」
零が呟くと、四天王を名乗る者は、ゆっくりと頷くような仕草を見せた。
「病神様ノ、直属タル者。此度ハ、我自ラガ、貴様ヲ迎エニ来タ」
その気配は、これまでの使徒とは、比較にならないほど重く、そして禍々しかった。周囲の空気が、まるで質量を持つかのように、重くのしかかってくる。
「――ぐっ……!」
聖が、思わず膝をつきそうになる。零は、咄嗟に聖を支えた。
「大丈夫か」
「な、なんとか……。でも、この気配、これまでとは桁違い……」
聖の言葉通り、四天王の放つ気配は、街全体を覆うようにして、住人たちにも、じわじわとした恐怖を植え付けていた。
「街の人たちが……!」
零が周囲を見渡すと、逃げ惑う住人たちの姿が見えた。その中には、老人や子供の姿も多い。
「零、ここは俺が食い止める! お前は、民を逃がせ!」
熊谷が、大盾を構えて前に出た。
「熊谷、一人じゃ危険だ!」
「馬鹿言うな! こういうときのための、盾役だべ!」
熊谷の言葉には、迷いのない覚悟が滲んでいた。零は、一瞬躊躇ったが、住人たちの悲鳴に、はっと我に返った。
「……わかった! 夜、聖、俺たちは民を守る!」
「了解!」
夜が即座に動き出し、逃げ惑う住人たちを、安全な方向へと誘導し始めた。聖も、怪我をした者たちに、応急の治癒を施しながら、避難を手伝う。
零もまた、逃げ遅れた人々を助けながら、街の路地を駆け回った。
「こっちだ! 早く逃げろ!」
「あ、ありがとう……!」
一人、また一人と、住人たちを安全な場所へと導いていく。だが、その最中にも、背後からは、熊谷と四天王との激しい激突音が響き続けていた。
「熊谷、大丈夫か……!」
零が振り返ると、熊谷の大盾には、既に幾つもの亀裂が入っていた。それでも、熊谷は歯を食いしばりながら、四天王の攻撃を、一身に受け止め続けている。
「零! 早く民を!」
熊谷の叫びに、零は唇を噛みしめた。今すぐにでも、熊谷を助けに行きたい。だが、まだ逃げ遅れている住人たちがいる。
そのとき、零の視界の端に、一人の子供の姿が映った。
「――トビアス!」
孤児院で出会った、あの病弱な少年だった。他の子供たちとはぐれたのか、一人、恐怖に立ち尽くしている。
「トビアス! こっちだ!」
零が駆け寄ろうとした瞬間、四天王が放った黒い靄の一部が、大きく街の中心を薙ぎ払った。その軌道上に、トビアスの姿があった。
「――っ!」
零は、考える間もなく、地面を蹴った。
「零!?」
夜の悲鳴が、遠くで聞こえた。
零は、全力でトビアスの元へと駆け寄り、その小さな体を抱きかかえるようにして、地面に伏せた。頭上を、黒い靄の刃が、紙一重で通り過ぎていく。
「大丈夫か、トビアス!」
「お、お兄ちゃん……! 助けて……!」
震えるトビアスを、零はしっかりと抱きしめた。
「大丈夫だ。俺が、絶対に守るから」
その言葉は、かつて自分が救われたかった言葉、母に、誰かに言ってほしかった言葉と、どこか重なっていた。
零は、トビアスを安全な場所まで避難させると、再び戦いの中心へと視線を戻した。
熊谷の大盾は、既に限界に近づいている。四天王の圧倒的な力の前に、じりじりと押され始めていた。
(このままじゃ、熊谷が)
零の胸の奥で、あの馴染みの熱が、再び疼き始めた。だが、モルダーヴィのときのような、明確な覚醒には至らない。
(足りない。まだ、何かが足りない)
焦燥感が、胸を締め付ける。それでも、零は、拳を握りしめ、戦いの中心へと駆け出した。
「熊谷、待ってろ! 今、行く!」
見知らぬ世界での戦いは、いよいよ、これまでにない危機的な局面を迎えようとしていた。




