第二十五話「街を襲う病魔」
灰堂の下での新たな鍛錬を続けて半月ほど経ったある朝、零はいつものように依頼を探しにギルドへ向かっていた。だが、街の空気が、明らかにおかしかった。
「……なんだ、この静けさ」
いつもなら賑わっているはずの大通りに、人影がまばらだった。開いているはずの店も、半分ほどが戸を閉ざしている。
ギルドに着くと、そこにも重い緊張感が漂っていた。
「零、来たか」
聖が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「聖、何があった」
「街の中で……原因不明の病が、広がり始めてるの」
零は息を呑んだ。
「この街で、か……!?」
これまでは、隣町やモルダーヴィといった、離れた場所での出来事だった。だが今、その脅威が、零たちの拠点であるレイヴンクロフトそのものに、迫っていた。
「院長様が、聖教会に緊急招集をかけてる。行きましょう」
⸻
聖教会に到着すると、院長ヨハネスをはじめ、上級神官たちが、慌ただしく動き回っていた。
「坊や、聖、よく来た」
院長の顔には、これまで見たことのないほどの疲労と焦りが滲んでいた。
「街の中で、既に十数名の患者が確認されている。症状は、これまでと同様――高熱、呼吸困難、そして治癒魔法が効かない」
「なぜ、急にこの街で……」
聖が震える声で尋ねると、院長は険しい表情で答えた。
「わからん。だが、恐らく偶然ではあるまい」
その言葉に、零は嫌な予感を覚えた。
「もしかして、俺が、この街にいるから――」
「断定はできん。だが、坊やに対する『使徒』とやらの執着を思えば、可能性がないとは言えん」
院長の言葉に、零は拳を握りしめた。
(俺のせいで、この街の人たちが……)
自責の念が、胸の奥から込み上げてくる。だが、院長は、そんな零の心中を見透かすように、静かに首を振った。
「坊や、自分を責めるな。もしお前が原因だとしても、お前がこの街を離れれば解決する、という単純な話でもあるまい。あの者たちの狙いは、恐らくもっと大きい」
「大きい、というと」
「坊やが持つ、その力そのものだ。もし奴らが、坊やの力を恐れ、あるいは欲しているのだとすれば、坊やが逃げたところで、脅威が去るとは思えん」
院長の推測は、確かに一理あった。だが、それでも、目の前で苦しむ人々を思うと、零の胸は締め付けられるように痛んだ。
「俺に、できることは」
「まずは、患者たちの容態を、できる限り安定させることだ。そして――万が一、また使徒が現れた場合、坊やたちには、迎え撃つ準備をしておいてほしい」
⸻
その日から、零たちは、街中を回り、患者の様子を確認しながら、聖教会の治癒師たちを支援する日々を送ることになった。
「零くん、こっちにも患者が」
顔見知りになった住人が、切羽詰まった様子で声をかけてくる。零は急いで駆けつけ、横たわる老人の様子を確認した。
荒い呼吸、うわ言のような呟き――それは、モルダーヴィで見た光景と、寸分違わなかった。
「聖、頼む」
「わかってる」
聖が治癒魔法をかけるが、やはり症状は、根本的には改善しない。零は、無力感に苛まれながらも、せめてもの気休めにと、老人の手をそっと握った。
胸の奥の熱が、微かに反応する。だが、これまで通り、明確な効果を発揮するには至らなかった。
(まだ、足りないのか)
夕方になる頃には、患者の数は、さらに増えていた。街全体に、重苦しい不安が広がっている。
「零、少し休んで。あなたも、朝から働き通しよ」
聖の言葉に、零は首を振った。
「休んでる場合じゃない。まだ、多くの人が苦しんでる」
「でも、あなたが倒れたら、元も子もないわ」
聖の心配げな表情に、零は自分の体に、じわりと疲労が蓄積していることに気づいた。無理をすれば、また、あの咳と血の症状が戻ってくるかもしれない。
「……わかった。少しだけ、休む」
零は、聖教会の一室で、束の間の休息を取ることにした。だが、横になっても、なかなか眠れない。
(みんな、苦しんでる。それなのに、俺には、何もできない)
無力感が、深く胸に突き刺さる。ふと、トビアスの顔が脳裏に浮かんだ。あの孤児院で出会った、病弱な少年。
――病気とか、弱い体っていうのはな、その人の価値を決めるものじゃないんだ。
自分が、あの少年に伝えた言葉。だが今、目の前で苦しむ人々を前に、その言葉だけでは、何も解決できない現実に、零は打ちのめされていた。
(言葉だけじゃ、足りない。俺は、もっと――)
その夜、街の外れから、悲鳴に近い声が響いた。
「出た……! また、あの黒い装束の……!」
零は、飛び起きるように部屋を出た。
いよいよ、脅威が、自分たちの街の中にまで、その姿を現し始めていた。




