第二十三話「死闘、そして覚醒」
モルダーヴィでの一件から、零たちは聖教会の応援を待つ間、できる限りの応急処置を住人たちに施していた。だが、聖の治癒魔法は、やはり根本的な解決にはならなかった。
「くっ……効いてるはずなのに、すぐに元に戻ってしまう」
聖は、額に汗を滲ませながら、悔しそうに唇を噛んだ。
「聖、無理するな。お前まで倒れたら、元も子もない」
零がそう声をかけると、聖は小さく首を振った。
「私は大丈夫。それより、少しでも症状を和らげないと……」
その健気な姿に、零は胸を締め付けられる思いだった。だが、自分にできることの少なさに、もどかしさばかりが募る。
夜半、聖教会からの応援部隊が、ようやく到着した。上級神官を含む数名の治癒師たちが、次々と患者の元へと駆けつける。
「後は任せてください。皆さんは、休んでください」
上級神官の言葉に、零たちはようやく肩の力を抜いた。だが、安堵する間もなく、集落の外れから、悲鳴が上がった。
「た、助けてくれ……! 何か来る……!」
零は反射的に駆け出した。悲鳴の方向へ向かうと、そこには、先ほどの使徒とは異なる、しかし同じように黒い装束を纏った者の姿があった。
「――また、来たのか」
零が身構えると、その者は、こもった声で告げた。
「クレヨ。同胞ガ、報告シタ通リノ気配。ヤハリ、貴様カ」
「同胞……。さっきの使徒の仲間か」
「使徒ハ、十二人。我ハ、ソノ一柱。名モ持タヌ器ニ、貴様ヲ迎エニ来タ」
その言葉と共に、使徒は黒い靄を纏わせながら、零へと迫ってきた。
「零! 一人で行くな!」
背後から、夜の声が飛んでくる。だが、距離が遠く、間に合わない。
零は咄嗟に身を捩ったが、避けきれず、靄の一撃をまともに受けてしまった。
「――ぐあっ!」
全身を焼くような痛みが走る。地面に叩きつけられ、視界が霞んだ。
(まずい……!)
体を起こそうとするが、力が入らない。使徒は、ゆっくりと零へと近づいてくる。
「――抗ウナ。貴様ノ魂ハ、我ラガ主ノ、養分トナル」
その言葉に、零の胸の奥で、何かが弾けた。
これまで感じてきた「疼き」とは、明らかに質が異なる感覚。まるで、体の奥深くに眠っていた何かが、危機を察知して、無理やり目を覚まそうとしているかのようだった。
「――っ、う、あああっ!」
零は、思わず声を上げた。全身を、燃えるような熱が駆け巡る。それは苦しみであり、同時に、何かが「変わっていく」感覚でもあった。
使徒が、僅かに動きを止めた。
「――ホウ。ヤハリ、目覚メカケテオルカ」
零の視界が、これまでにないほど鮮明になっていく。使徒の靄の一筋一筋、その動きの予兆までもが、まるで止まって見えるかのように、克明に感じ取れた。
(体が、軽い……)
先ほどまでの痛みが、噓のように和らいでいる。零は、震える足でなんとか立ち上がった。
「零……!?」
駆けつけた聖が、その様子を見て、思わず息を呑む。零の体の周りに、目には見えないはずの、微かな熱のようなものが揺らめいているように見えたからだった。
「まだ、終わってない」
零は、静かにそう呟くと、使徒に向かって、一歩を踏み出した。
使徒が放つ靄の一撃を、零は、これまでとは比較にならない精度で回避していく。まるで、相手の攻撃が、先読みできているかのようだった。
「――ナルホド。目覚メツツアル力ハ、脅威ダナ」
使徒はそう言うと、靄をさらに濃く、大きく展開させた。空気そのものが、重く淀んでいく。
「くっ……!」
零は、押し寄せる圧力に、思わず膝をつきそうになった。まだ、この新しい感覚を、完全に制御できているわけではない。
そこへ、夜と熊谷が駆けつけた。
「零、無理すんな! 私たちも行く!」
夜の短剣が、使徒の靄の一角を切り裂く。熊谷の盾が、零を庇うように前に立ちはだかった。
「零、今のうちに息を整えろ!」
「……ありがとう」
零は、仲間たちの援護を受けながら、荒くなった息を整えた。体の奥の熱は、まだ収まっていない。だが、少しずつ、その感覚に、体が馴染んでいくのを感じた。
「聖、頼む」
「わかってる! 治癒の光、纏って!」
聖の支援魔法が、パーティー全体を包み込む。それを受けて、零は再び前に出た。
「――終ワラセヨウ」
使徒が、渾身の力で靄を放つ。だが、零はその瞬間、体の奥の力を、意識的に引き出そうとした。
(頼む――力を貸してくれ)
明確な言葉ではない。ただ、切実な願いだけが、胸の奥から溢れ出た。
その瞬間、零の周りに漂っていた微かな熱が、一気に強く輝き始めた。
「――なっ!?」
使徒が、驚いたように後ずさる。零は、迫りくる靄の一撃を、紙一重で躱すと、そのまま懐に飛び込み、拳を振るった。
武器も持たない、ただの拳による一撃。だが、その拳には、これまでにない確かな力が込められていた。
「――ぐっ……!」
使徒が、初めて苦悶の声を漏らした。黒い靄が、僅かに揺らぎ、乱れる。
「今だ、皆!」
零の合図に応え、夜が使徒の隙を突いて短剣を叩き込み、熊谷が渾身の力で盾を打ちつけた。
「――ッ、コレマデカ……」
使徒は、大きくよろめきながら、後退していく。
「マダ、終ワッテハイナイ。次ハ、必ズ……」
そう言い残し、使徒は靄と共に、闇の中へと溶けるように消えていった。
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戦いが終わった後、零はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。全身が、燃え尽きたように熱く、そして重かった。
「零! 大丈夫!?」
聖が、慌てて駆け寄ってくる。零は、荒い息を吐きながら、なんとか頷いた。
「……ああ、なんとか」
だが、体の奥には、まだ馴染みのない熱が、燻り続けている。零は、自分の手のひらを見つめた。
(今のは、いったい……)
これまで感じてきた「疼き」よりも、遥かに強く、そして明確な力の発露だった。だが、その正体も、仕組みも、零自身には、まだ何もわかっていない。
「零、今の力……」
夜が、少し離れた場所から、じっとこちらを見つめていた。
「わからない。ただ、何かが、目を覚ましかけてる気がする」
零は、正直にそう答えるしかなかった。
熊谷が、大盾を下ろしながら、心配そうに口を開いた。
「無理すんなよ、零。今の力、明らかに体に負担かかってるべ」
その言葉通り、零の体には、深い疲労と、微かな痛みが、確かに残っていた。だが同時に、これまでにない手応えも、確かにあった。
――抗い続ければ、力は応えてくれる。
その事実だけが、今の零にとって、何よりも大きな希望だった。
夕暮れの空が、モルダーヴィの集落を、静かに赤く染めていく。
零は、痛む体を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
見知らぬ世界での戦いは、また一つ、確かな深みを増していた。そして、零自身の中に眠る何かもまた、少しずつ、その姿を現し始めていた。




