第二十話「すれ違う正義」
皇帝牙との邂逅から数日後、零は珍しく一人で、街の外れを歩いていた。灰堂の元へ向かう道すがら、少し遠回りをして、頭を整理したい気分だった。
(覚えのある気配、か)
皇帝牙の言葉が、いまだに頭から離れない。答えの出ない問いを抱えたまま、零は雑踏を抜け、裏通りへと足を踏み入れた。
そこで、思いがけない光景に出くわした。
路地の奥で、数人の男たちが、一人の女性を取り囲んでいる。女性は行商人らしき身なりで、地面には、彼女が運んでいたであろう荷物が散乱していた。
「金目のもんは全部置いてけ。抵抗すりゃ、痛い目見るぞ」
男の一人が、下卑た笑みを浮かべながら、女性に凄んでいた。
零は反射的に足を止めた。
(見過ごせないな、これは)
「――何してる」
零が声をかけると、男たちが一斉にこちらを振り返った。
「あ? なんだテメエ」
「見りゃわかるだろ、失せな坊主」
零は一歩も引かず、男たちと女性の間に、割って入るように立った。
「その人から、手を離せ」
「はっ、勇者気取りかよ。数で来られたら、どうすんだ」
男たちの一人が、腰の棍棒を抜いた。零は身構えたが、以前のような無謀さはなかった。灰堂から教わった、無駄のない体の使い方を、意識の隅で思い出す。
だが、実際に棍棒を持った男が三人がかりで向かってくると、零一人ではやはり分が悪かった。
「くっ……!」
一撃を辛うじて躱すも、体勢を崩し、地面に片膝をつく。
そのとき。
「――待て」
低く、鋭い声が響いた。男たちの動きが、一斉に止まる。
路地の入り口に、皇帝牙が立っていた。
「て、テメェは……!?」
男たちの顔から、一気に血の気が引いていく。皇帝牙は、剣に手をかけることすらせず、ただ静かに男たちを見据えた。
「弱者を数で嬲る。恥を知れ」
その一言だけで、男たちは荷物も持たず、我先にと逃げ去っていった。
零は、地面に膝をついたまま、皇帝牙を見上げた。
「……助かりました」
「別に、お前を助けたわけではない。行商の女性を、見捨てておけなかっただけだ」
皇帝牙はそう言うと、女性の元へ歩み寄り、散乱した荷物を拾い上げるのを手伝った。
「ありがとうございます、勇者様……! それに、そちらの冒険者様も」
女性は、涙ながらに何度も頭を下げた。皇帝牙は軽く頷くと、女性が立ち去るのを見送った。
その場に残された零と皇帝牙は、しばらく無言で向き合っていた。
「……皇帝牙さん、なんでこんな場所に」
「散歩だ。それだけのこと」
素っ気ない答えだったが、零はふと、皇帝牙の行動に、少なからず違和感を覚えた。
「勇者様なら、もっと大きな依頼をこなしてるものだと思ってました。こういう、小さな揉め事にまで、わざわざ関わるものなんですか」
皇帝牙は、僅かに眉をひそめた。
「大きな依頼も、小さな揉め事も、助けを必要とする者がいるという点では、何ら変わりはない」
その言葉には、意外にも、誠実な信念が滲んでいた。
「お前は、どうだ。なぜ、あの女性を助けようとした」
「……見過ごせなかったからです。それだけです」
「ふむ」
皇帝牙は、僅かに口の端を上げた。
「その心がけ、悪くない。だが」
皇帝牙の目が、鋭く細まる。
「先ほどの動き、まだ粗が目立つ。無理な体勢から、力任せに躱そうとしていた」
零は、思わず言葉に詰まった。図星だった。
「灰堂の元で、鍛錬をしていると聞いたが」
「――え? どうしてそれを」
皇帝牙は答えず、ただ意味深に微笑んだ。
「あの老いぼれの目に留まったのならば、お前には、何かがあるということだろう」
「灰堂さんのことを、知ってるんですか」
「知らぬ者などおるまい、あの人を知る者にとっては」
皇帝牙のその言葉には、灰堂に対する、明らかな敬意が滲んでいた。だが、それ以上、詳しく語ろうとはしなかった。
「零、と言ったな」
「はい」
「お前の正義と、俺の正義は、恐らく同じ方向を向いている」
唐突なその言葉に、零は戸惑った。
「同じ方向……?」
「弱きを助け、悪を許さぬ。そのために、力を欲する。違うか」
零は、静かに頷いた。
「……そうです」
「ならば、いずれ、お前とはまた、道が交わるだろう。そのときまで、腐らず、鍛え続けることだ」
皇帝牙はそう言い残すと、踵を返し、街の方角へと歩き去っていった。
零は、その背中を、しばらく見つめていた。
(同じ方向を向いてる、か)
先日は厳しい言葉を投げかけられたが、今日のやり取りには、また違う温度があった。ライバルとも、先達とも呼べない、不思議な距離感の関係。
だが、確かなことが一つあった。
――この人は、俺のことを、少なからず気にかけてくれている。
零は、痛む体を押さえながら、静かに立ち上がった。
見知らぬ世界での旅は、また一つ、大切な繋がりを重ねていた。




