第十九話「最強と最弱」
皇帝牙がレイヴンクロフトを訪れたという話は、瞬く間に街中に広まった。
「勇者様が、しばらくこの街に滞在されるらしいぜ」
「なんでも、東方の魔物討伐の帰りだとか」
ギルド内は、その話題で持ちきりだった。零は、掲示板の前で依頼を選びながら、周囲の喧騒を、どこか遠いことのように聞いていた。
「零、聞いた? 皇帝牙様のこと」
聖が興奮気味に話しかけてくる。零は苦笑して頷いた。
「昨日、街で見かけた。すごい人だかりだったな」
「見たの!? どうだった?」
「……眩しかったよ、正直」
零の言葉には、素直な羨望と、微かな自嘲が入り混じっていた。
「あの人、まだ二十歳前後だっていうのに、もう国王陛下から勇者の称号を賜ってるのよ。魔王軍の残党を、単騎で何度も打ち破ったって話」
聖の説明を聞きながら、零は自分の手のひらを見つめた。同じ年頃だというのに、あまりにも違いすぎる境遇。
そのとき、ギルドの扉が、勢いよく開いた。
「――お前が、神代零、というものか」
低く、よく通る声。振り返ると、そこには、あの皇帝牙が、護衛も連れずに一人で立っていた。
ギルド内が、一瞬にして静まり返る。
「……はい、俺が」
零は戸惑いながらも、そう答えた。皇帝牙の鋭い視線が、まっすぐに零を捉える。
「昨日、街で見かけた。血の匂いがしていた。それに――どこか、覚えのある気配がした」
「気配……?」
零には、皇帝牙の言葉の意味がわからなかった。
「聞くところによると、お前は、この街で最弱と評された者だそうだな」
周囲の冒険者たちが、ざわめき始めた。零は、拳を握りしめた。
「……そうです。数値上は、そうらしいです」
「なのに、なぜ、その体に、僅かながら覚えのある気配を纏っている」
皇帝牙の問いは、まるで謎かけのようだった。零自身にも、答えようがない。
「すみません、俺には、何のことか……」
皇帝牙はしばらく、値踏みするように零を見つめていたが、やがて、ふっと表情を緩めた。
「まあいい。時が来れば、わかることだろう」
そう言うと、皇帝牙は踵を返そうとした。だが、その足が、ふと止まる。
「一つ、忠告しておく」
「……はい」
「最弱と呼ばれることに、腐るな。数値というものは、その者の全てを表すものではない。だが同時に――甘えるな」
その言葉には、思いがけない厳しさが込められていた。
「お前がもし、その体に眠るものの正体を知ろうとするならば、逃げずに、苦しみと向き合い続けることだ。それができぬ者に、力は宿らぬ」
皇帝牙はそう言い残すと、今度こそ、振り返ることなくギルドを後にした。
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ギルド内には、しばらくの間、興奮に似たざわめきが残っていた。
「あの皇帝牙様が、わざわざ話しかけるなんて……」
「お前、いったい何者なんだよ」
周囲からの視線に、零は居心地の悪さを感じながらも、皇帝牙の言葉を、頭の中で何度も反芻していた。
(覚えのある気配、か)
理由はわからない。だが、皇帝牙のあの言葉には、確かな重みがあった。
「零、大丈夫? 顔色、優れないみたいだけど」
聖が心配そうに声をかけてくる。零は小さく首を振った。
「……大丈夫だ。ただ、少し考え事をしてただけ」
「皇帝牙様のこと?」
「ああ。あの人、俺に何かを見てたみたいだった。それが何なのか、俺自身にはわからないんだけどな」
夜が、少し離れた場所から、じっと話を聞いていた。
「……あの男、何か知ってる口ぶりだった」
「夜も、そう思ったか」
「ただの勘。でも、当たってると思う」
熊谷も、腕を組みながら唸った。
「勇者様ってのは、色んな魔物や、危ねえもんを見てきたはずだべ。そういう連中が持つ独特の勘、ってやつがあんのかもしれねえな」
零は、皇帝牙の去っていった方向を、しばらく見つめていた。
「最弱と呼ばれることに、腐るな。だが、甘えるな、か」
その言葉を、零は静かに口の中で繰り返した。
厳しい言葉だった。だが、不思議と、それが零の胸の奥に、小さな灯火を灯していくのを感じた。
――逃げずに、苦しみと向き合い続けること。
それは、灰堂の教えとも、どこか通じるものがあった。
零は、静かに拳を握りしめた。
まだ何もわかっていない。だが、少なくとも、立ち止まっている暇はない。
「……行こう。今日の依頼、まだ残ってる」
零がそう言うと、聖も夜も熊谷も、それぞれ頷いた。
見知らぬ世界での旅は、最強との邂逅を経て、また一つ、新たな意味を帯び始めていた。




