第十四話「Eランクへの試験」
熊谷との初めての依頼から数日後、体調はすっかり元に戻っていた。あの咳も、血の味も、まるで嘘だったかのように消えている。だが零は、以前のように無邪気にそのことを喜べなくなっていた。
(いつまた、あの感覚が戻ってくるかわからない)
そんな不安を抱えながらも、零は日々の依頼をこなし続けていた。
その日、ギルドから声がかかった。
「神代零様。先日の実績を鑑みて、正式なEランク昇格試験を受けていただきたいのですが」
「試験、ですか」
「ええ。今回は、街の孤児院への慰問と、周辺の安全確認を兼ねた依頼です。子供たちの様子を見て回りながら、周辺に出没する小型魔物を排除していただきます」
零は少し意外に思った。てっきり、戦闘技能を測るような試験を想像していたからだ。
「戦いだけが、冒険者の仕事じゃありませんから」
受付嬢はそう言って、微笑んだ。
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孤児院は、街の外れにある古い建物だった。零がパーティーの三人と共に訪れると、大勢の子供たちが、興味津々といった様子で駆け寄ってきた。
「わあ、冒険者さんだ!」
「剣、持ってないの?」
無邪気な声に囲まれ、零は思わず笑みをこぼした。子供たちの明るさに触れるのは、久しぶりのことだった。
孤児院の院長らしき初老の女性が、丁寧に頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。子供たちも、皆様が来るのを楽しみにしていたんですよ」
聖が子供たちの相手をし、夜も物珍しそうにその様子を眺めている。熊谷は、子供たちに肩車をせがまれ、豪快に笑いながら応じていた。
零がふと院内を見渡すと、一人だけ、部屋の隅で他の子供たちと離れて座っている少年の姿が目に留まった。
年の頃は十歳ほどだろうか。青白い顔をして、膝を抱えるように座り、時折、小さく咳をしている。
「あの子は……」
零が尋ねると、院長は少し表情を曇らせた。
「トビアスという子です。生まれつき体が弱く、他の子たちのように、外で走り回ることもできなくて」
その言葉に、零の胸が、ずきりと痛んだ。
零はゆっくりと、少年の傍へと近づいた。
「隣、座ってもいいか」
トビアスは驚いたように顔を上げたが、小さく頷いた。零はそっと隣に腰を下ろす。
「……お兄さん、冒険者なの?」
「一応な。まだ、駆け出しだけど」
「僕、大きくなったら、冒険者になりたいんだ。でも……」
トビアスは、力なく俯いた。
「体が弱いから、無理だって。院長先生にも、いつも言われる。走ったら、すぐに息が上がって、咳が止まらなくなるから」
その言葉に、零は思わず、自分の過去を重ねずにはいられなかった。
「……俺もな、昔はそうだった」
「え?」
トビアスが驚いたように顔を上げる。
「昔は、少し歩いただけで息が切れて、しょっちゅう咳をしてた。血を吐いたことだって、何度もある」
「お兄さんが……?」
「ああ。周りの奴らには、いつも笑われた。お前は何をやってもだめだ、って。俺自身も、そう思ってた時期がある」
零は自分の手のひらを見つめた。
「でもな、トビアス」
「うん」
「体が弱いってことは、何もできないってことじゃない。俺は今も、時々、無理をすると咳が出るし、血の味がする。それでも、こうして仲間と一緒に、前に進んでる」
トビアスは、じっと零の顔を見つめていた。
「病気とか、弱い体っていうのはな、その人の価値を決めるものじゃないんだ。俺はそう思ってる」
零の脳裏に、母の顔が浮かんだ。あの、疲れきった顔で笑ってくれた母。そして、雪の夜、最後まで諦めきれなかった自分自身の想い。
「大事なのは、走れる速さでも、力の強さでもない。今日を、諦めずに生きること。それだけで、もう十分すぎるくらい、価値のあることなんだ」
トビアスの目に、じわりと涙が浮かんだ。
「僕、みんなみたいに、走ったり、戦ったりできないけど……それでも、いいのかな」
「ああ、いいんだよ」
零は、トビアスの頭に、そっと手を置いた。
「速く走れなくても、強い剣が振れなくても、お前がここで生きてること、それ自体が、もう立派なことだ。焦らなくていい。お前のペースで、少しずつでいい」
トビアスは、しばらく黙って俯いていたが、やがて、小さく、けれど確かな声で言った。
「……ありがとう、お兄さん」
「礼を言われるようなことじゃない。俺は、俺が言われて嬉しかった言葉を、そのまま言っただけだ」
零はそう言って、優しく微笑んだ。
その様子を、少し離れた場所から、聖が静かに見つめていた。零の横顔に浮かぶ表情には、これまで見たことのない、深い優しさが滲んでいた。
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孤児院での慰問を終えた後、周辺の小型魔物を排除する任務も、大きな問題なく完了した。夜の探知能力と熊谷の防御、聖の支援があれば、この程度の依頼はもう危なげなくこなせるようになっていた。
帰り道、聖がふと零に尋ねた。
「さっき、トビアス君に言ってたこと。あれ、あなた自身の経験なの?」
「ああ。俺も昔は、あの子と同じだった。いや、もっと酷かったかもしれない」
零は静かに、自分の過去の一端を語った。生まれつき体が弱く、周りに笑われ、それでも生きることを諦めなかったこと。詳細までは話さなかったが、聖にはそれで十分伝わったようだった。
「……そうだったのね」
聖は、それ以上深くは聞かず、ただ静かに零の隣を歩いた。
「零、あなたの言葉、素敵だったわ。『今日を諦めずに生きることが、もう価値のあることだ』って」
「大した言葉じゃない。ただ、俺自身が、そう信じたかっただけだ」
「それでも、あの子の心には、確かに届いてたと思う」
零は少し照れくさくなって、視線を逸らした。
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数日後、ギルドから正式な通知が届いた。
「Eランクへの昇格、おめでとうございます」
受付嬢の言葉に、零は静かに頷いた。
新しいタグを受け取りながら、零はふと、トビアスの顔を思い出していた。
(あいつも、いつか、自分のペースで、前に進んでいけるといいな)
自分自身に言い聞かせるようにそう思いながら、零は、新しいタグを大切に懐にしまった。
Eランクという、まだまだ小さな一歩。だが、その一歩の中には、確かな意味が込められていた。
夕暮れの空を見上げながら、零は静かに歩き出した。
見知らぬ世界での旅は、少しずつ、確かな重みを持ち始めていた。




