第十三話「盾役、熊谷岳」
パーティー結成から数日後、四人での初めての依頼が決まった。
「街道沿いの森に、群れを作り始めた魔物がいるらしい。数が多いから、駆除の依頼だ」
ギルドの依頼書を手に、零がそう説明すると、熊谷が大盾を担ぎ直しながら頷いた。
「群れ相手なら、俺の出番だべ。前衛は任せろ」
「私は後方から支援ね。回復魔法を切らさないようにするわ」
聖がそう言うと、夜も静かに頷いた。
「私は側面から仕掛ける。奇襲役」
「俺は……」
零は少し言葉に詰まった。自分の役割が、まだはっきりしていない。前衛でも後衛でもない、中途半端な立ち位置。
「零は、無理せず様子を見てくれ。何かあったら、すぐ声をかけろ」
熊谷が優しくそう言ってくれたが、零は少し悔しさを覚えた。仲間の中で、自分だけが役に立てていない気がした。
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森に入ると、依頼の通り、群れを作った魔物たちの姿があった。犬に似た、牙の鋭い獣が十数頭。
「よし、まずは俺が前に出るべ」
熊谷が大盾を構えて前に立つと、魔物たちは一斉に唸り声を上げ、飛びかかってきた。熊谷はその一撃一撃を、まるで岩壁のような盾で受け止めていく。
「すげえ……」
零は思わず声を漏らした。熊谷の盾は、まったく揺るがない。それどころか、盾に弾かれた魔物たちが、逆に体勢を崩している。
「今よ!」
聖の合図と共に、夜が側面から飛び出し、体勢を崩した魔物たちを、次々と短剣で仕留めていく。
見事な連携だった。零は、その様子をただ見ていることしかできない自分に、もどかしさを感じていた。
(俺も、何かしないと)
そう思った瞬間、群れの奥から、ひときわ大きな個体が姿を現した。他の魔物よりも二回りほど大きく、赤い瞳を光らせている。
「あれは、群れのボスか……!」
熊谷が驚いたように呟く。ボスの魔物は、熊谷を無視するように大きく跳躍し、後方にいた聖に向かって突進した。
「聖!」
零は考えるより先に、体が動いていた。聖を庇うように前に出て、ボスの魔物の突進を、体で受け止める。
「零!」
衝撃が全身を貫いた。零は吹き飛ばされ、地面を転がる。
「――ッ、げほっ……!」
咄嗟に体を起こそうとした瞬間、喉の奥から、あの馴染みのある感覚が込み上げてきた。
「げほっ、ごほっ……!」
激しく咳き込む。手のひらで口元を覆うと、そこには赤黒い血が広がっていた。
(また、か……)
久しく忘れていた感覚だった。異世界に来て以来、消えたはずの苦しみ。だが、体に強い負荷がかかったこの瞬間、それは確かに、零の中に舞い戻ってきていた。
「零! 大丈夫!?」
聖が悲鳴のような声を上げて駆け寄ってくる。零は咳き込みながらも、なんとか手を上げた。
「だ、大丈夫だ……ちょっと、無理しただけ……」
だが、体は正直だった。視界の端が、白く滲んでいく。息をするたびに、胸の奥が軋むような痛みを訴えている。
(なんでだ。あんなに元気だったのに)
理由はわからない。ただ、大きな衝撃を受けたこの瞬間、体の奥に眠っていた「何か」が、まるで悲鳴を上げるように、零に負荷をかけているような感覚があった。
「零、しゃべらないで! 今、治癒を……!」
聖が慌てて回復魔法をかける。だが、以前と同じように、傷そのものはすぐに塞がっていくのに、この胸の奥の苦しさだけは、なかなか引いていかなかった。
その間にも、ボスの魔物は体勢を立て直し、再び襲いかかろうとしていた。
「――こっちだ、でかぶつ!」
熊谷が咆哮のような声を上げ、大盾でボスの側面に体当たりする。巨体同士の激突に、大地が揺れた。
「零を守れ! 俺が引きつける!」
熊谷の言葉に応えるように、夜がボスの背後に回り込み、急所と思しき場所に短剣を突き立てた。ボスの魔物は苦悶の叫びを上げ、大きくよろめく。
そこへ、体勢を立て直した熊谷が、渾身の力で盾を叩きつけた。
ボスの魔物は、そのまま地面に沈み込むように崩れ落ちた。
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戦闘が終わった後も、零はしばらく荒い息を繰り返していた。聖の治癒魔法のおかげで、外傷こそないものの、体の奥に居座るこの重さは、簡単には消えてくれない。
「零、大丈夫か」
熊谷が心配そうに顔を覗き込んでくる。零はなんとか笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
「……悪い、心配かけた」
「無茶しすぎだべ。庇うにしても、限度があるべさ」
熊谷の言葉には、責めるような響きはなく、ただ純粋な心配だけが滲んでいた。
「零、その咳……前にもあったの?」
聖が、不安げに尋ねる。零は少し躊躇ったが、隠しても仕方がないと思い直した。
「……昔は、しょっちゅうだった。今は、大分ましになってたはずなんだけど」
「大分まし、ってことは、完全には治ってないってこと?」
聖の問いに、零は自分の胸に手を当てた。普段は何も感じない場所に、まだ微かな熱が燻っている。
「……わからない。ただ、無理をすると、こうなるのかもしれない」
夜が、少し離れた場所から、じっとこちらを見つめていた。何かを考えているような、探るような視線だった。
「……零、あんた」
「なんだ?」
「無理はするな。次からは、私が前に出る」
夜の言葉には、いつになく強い響きがあった。
「悪いな、心配かけて」
「別に、心配なんてしてない。ただ、パーティーの足手まといは困る、それだけ」
素っ気ない口調だったが、零にはその裏にある本心が、なんとなく感じ取れた。
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その夜、聖教会に戻った零は、院長ヨハネスに、戦闘中に起きたことを報告した。
院長は険しい表情で、零の話を聞いていた。
「……なるほど。大きな負荷がかかったとき、以前の不調が、一時的に顔を出す、というわけか」
「はい。俺の中にある何かは、まだ完全に安定していないのかもしれません」
院長は顎に手を当て、しばらく考え込んだ。
「坊やの中にあるものが、苦しみを糧にするものだとすれば――過度な負荷は、逆にその糧を、一時的に呼び戻してしまうのかもしれん。あくまで、私の推測に過ぎんが」
「無理をするな、ということですね」
「その通りだ。坊やの力は、まだ制御しきれていない、諸刃の剣のようなものかもしれん。仲間を守りたい気持ちは尊いが、自分の体を犠牲にしてしまっては、本末転倒だ」
零は静かに頷いた。だが、心の中では、複雑な思いが渦巻いていた。
(せっかく、あの苦しみから解放されたと思ったのに)
異世界に来て、初めて味わった健康な体。だが今日、久しぶりに感じたあの息苦しさと血の味は、決して過去のものではなく、今もなお、自分の中に確かに眠っているのだと、思い知らされた。
窓の外には、静かに二つの月が浮かんでいる。
零はベッドに横になりながら、そっと自分の胸に手を当てた。
(俺の中にあるこの何かは、いったい、どこまでが力で、どこまでが病なんだろうな)
答えの出ない問いを抱えながら、零は静かに目を閉じた。
まだ、わからないことばかりだった。だが一つだけ、確かなことがあった。
――この体は、完全に癒えたわけではない。無理をすれば、いつでもあの苦しみが、舞い戻ってくる。
その事実を胸に刻みながら、零は、これからの旅に、より一層の慎重さを持って臨む必要があると、静かに心に誓った。




