第十一話「暗殺者との邂逅」
第一章の終わりから数日後、零は新しい依頼を受けるため、ギルドの掲示板の前に立っていた。
「あら」
聞き覚えのある声に振り返ると、黒羽夜が、いつものように黒い装束に身を包んで立っていた。フードは外され、素顔が見えている。あの疑いに満ちた初対面から、少しずつ言葉を交わす機会が増えていた。
「夜。お前もここに依頼を探しに?」
「……別に。ただ通りかかっただけ」
夜はそう言いながらも、なぜか零の隣に立ち止まったままだった。
「そういえば、聞いたわよ。隣町での騒動」
零は一瞬、言葉に詰まった。あの日の出来事は、街の噂として既に広まっているらしい。
「……ああ。ろくに何もできなかったけどな」
「生きて帰ってきただけ、上出来」
夜の言葉は素っ気なかったが、そこにわずかな気遣いが滲んでいるのを、零は感じ取った。
そのとき、ギルドの受付から、慌ただしい声が上がった。
「緊急依頼です! 街道沿いの隊商が、盗賊団に襲われているとの報告が!」
受付嬢の声に、周囲の冒険者たちがざわめいた。
「盗賊団? この辺りじゃ珍しいな」
「隊商には、確か大口の商会の荷が積まれてたはずだ」
零も掲示板から視線を外し、受付の方を見た。
「Dランク以上の方は、至急対応をお願いします! 現場は、街道の分岐点近く!」
その声に、何人かの冒険者たちが即座に動き出す。だが、零はF-ランクだ。この依頼を受ける資格すらない。
「行かないの?」
夜が横から尋ねてきた。
「俺のランクじゃ、受けられる依頼じゃない」
「……そう」
夜はそう言うと、何かを考えるように黙り込んだ。そして、ふいに口を開いた。
「私は、受ける。個人的な理由で」
「個人的な理由?」
「その隊商、知り合いが乗ってる」
零は驚いた。夜が、誰かとの繋がりを口にするのを、初めて聞いた気がした。
「……俺も行く」
「あんたのランクじゃ――」
「ランクは関係ない。俺は、依頼として行くわけじゃない。ただ、力になりたいだけだ」
夜はしばらく零を見つめていたが、やがて小さくため息をついた。
「勝手にすれば。でも、足手まといにはならないで」
「善処する」
こうして二人は、街道の分岐点へと急ぐことになった。
⸻
現場に到着すると、そこには既に凄惨な光景が広がっていた。横転した荷馬車、地面に倒れる護衛たち、そして周囲を取り囲む十数人の盗賊団。
「くそ、間に合わなかったか……!」
夜が舌打ちする。零も、現場の惨状に息を呑んだ。
盗賊団の中心には、隊商の御者らしき初老の男が、盗賊の一人に剣を突きつけられていた。
「おい爺さん、荷物と金、全部出しな。でなきゃ、その首、飛ばすぞ」
「たっ、頼む、それだけは……!」
夜の表情が、僅かに強張った。
「……あの爺さん、私が子供の頃、世話になった人」
零はそれ以上、多くを聞かなかった。ただ、夜の横顔に浮かぶ緊張だけが、彼女にとってその人物がどれほど大切なのかを物語っていた。
「助けに行くぞ」
零がそう言うと、夜は短剣を抜きながら頷いた。
「私が先に仕掛ける。敵の数を減らす。あんたは、爺さんの救出を」
「わかった」
夜の動きは、驚くほど速く、そして静かだった。物陰から物陰へと移動し、盗賊の一人に気づかれる前に、その喉元に短剣を突きつける。声を上げる間もなく、盗賊はその場に崩れ落ちた。
零はその隙に、御者の男の元へと駆け寄った。
「おい、大丈夫か!」
「なっ、なんだお前は……!」
盗賊の一人が驚いて振り返る。零は反射的に、地面に落ちていた木の棒を拾い上げ、盗賊の手首を打った。武器を弾き飛ばされた盗賊が怯んだ隙に、零は御者の男を引っ張って盗賊の輪から引き離す。
「早く、こっちへ!」
「あ、ああ、助かる……!」
だが、周囲の盗賊たちが異変に気づき、一斉にこちらへと向かってくる。
「囲まれた……!」
零は御者を庇うように立ち塞がった。夜も、いつのまにか零の傍に戻ってきていた。
「数が多すぎる。あんた、下がって」
「無理言うな。お前一人にやらせるつもりはない」
盗賊たちが一斉に襲いかかってきた瞬間、零の胸の奥で、あの馴染みのある感覚が疼いた。
視界の輪郭が、僅かに鮮明になる。次にどの盗賊が、どの角度から斬りかかってくるか――理由はわからないが、なぜかわかった。
「――っ!」
零は最小限の動きで、盗賊の斬撃を躱した。反撃までは至らないが、致命傷を避けることだけは、なんとかできている。
夜はその隙に、次々と盗賊たちを無力化していく。短剣の動きに、一切の無駄がなかった。
「零、そっち行った!」
「わかってる!」
連携とも呼べないような、それでも息の合った動きで、二人は盗賊団を相手に持ち堪えていた。
そして、遠くから、ようやく応援の冒険者たちの姿が見えてきた。
「増援だ! ギルドの応援が来たぞ!」
盗賊たちの間に、動揺が走る。数で押し切れないと悟ったのか、彼らは次々と撤退を始めた。
戦いが終わった後、零は肩で息をしながら、地面に座り込んだ。夜も、少し離れた場所で、短剣を鞘に収めている。
御者の男は、涙ながらに夜の手を握った。
「夜ちゃん……! こんなに立派になって……! 本当に、ありがとう……!」
「……別に、大したことはしてない」
夜はそう言いながらも、どこか照れくさそうに顔を背けていた。
零は、その様子を静かに見つめていた。
普段の冷たい態度からは想像もつかない、夜の別の一面。誰かを守りたいという想いは、零にも痛いほど理解できるものだった。
戦いが落ち着いた後、応援に駆けつけた冒険者たちが、状況を確認しに来た。
「お前ら、F-ランクだろう。よくこの状況で持ち堪えたな」
「……偶然です」
零がそう答えると、冒険者の一人は苦笑した。
「偶然にしちゃ、上出来だ。今度、ギルドでちゃんと報告しとくよ」
その言葉を背に、零と夜は、御者の男を安全な場所まで送り届けた後、共にレイヴンクロフトへの帰路についた。
「……今日は、助かった」
夜が、ぽつりと呟いた。
「気にするな。俺も、力になりたかっただけだ」
「なんで」
「なんで、って?」
「なんで、私なんかのために、そこまでする」
夜の問いには、どこか本心からの戸惑いが滲んでいた。
零は少し考えてから、素直に答えた。
「理由なんて、大したものはない。ただ、困ってる人を放っておけない性分なんだと思う」
夜はしばらく沈黙していたが、やがて、小さく口を開いた。
「……変な奴」
「よく言われる」
「二回目、聞いた」
そのやり取りに、零は思わず笑ってしまった。夜も、初めて見せるような、微かな笑みを口元に浮かべていた。
夕暮れの街道を、二人は並んで歩いていく。
まだお互いのことを、全て知っているわけではない。だが、確かな信頼のようなものが、二人の間に芽生え始めていた。




