3話 視線
その日、ホストになってから初めての指名が入った。相手はエルフっぽいけど、違和感がある。
「初めまして。ご指名ありがとうございます、ソラと申します」
教わった通りの自己紹介。腰を折り、指名の感謝を伝える。
その男性客は、ニコニコとした人当たりの良さそうな表情を浮かべていた。
「君が、新人のソラくんか」
ちらりと彼のそばを見ると、連れらしき獣人が立っている。
エルフは(外見の見目から)他種族を見下しがちだと聞いていたので、獣人を連れているのは珍しい。
「お飲み物はどうされますか?」
「そうだな。君はまだ飲めないと聞く。ノンアルコールのシャンパンでも貰おうか」
「えっいいんですか?」
「構わないさ。私は飲むためだけに来ているわけではないからね」
なんだか含みのある言い方にも聞こえたが、まあ言われた通りノンアルコールシャンパンを注文票へ追加。
「あの、お連れ様は」
「ああ…」
彼は、さも当たり前のように言った。
「こいつには、ただの水で結構。私の所有物だ、客ではないよ」
ガン、と頭を鈍器で殴られたような感覚がした。
所有物?客ではない?
「床で待たせてもいいが…通路の邪魔なら外に繋いでも構わない。好きにしてくれ」
あまりにも、あまりにもぞんざいな扱いに俺は対処に迷い、「しょ、少々お待ちください」とバックルームに逃げ込んだ。先輩ホストの助言がほしかったのだ。
そこにはヒューロさんを始め、フロアに出ていない先輩達が集まっていた。
「あの、あの…!」
「どうした、ソラ。オーダーは取ったのか?」
「はい、あの、あちらのお客様が…」
「うん、落ち着いて話せ」
まだ心臓がどくどくと鳴っている。伝わるように、事実だけ説明する。
「おつ、お連れの方への飲み物を聞こうとしたら、“水でいい”と…」
「……ああ、」
バックルームのカーテン越しに、先輩ホストが俺の言わんとすることを理解してくれて、ここで初めて種族差別の現実を突き付けられた。
「雑種か」
まるで“そういう客”と言わんばかりに。
「ざ、…しゅ…」
て、なんだ。
「下位種族って言ってな。主に愛玩動物に分類されるのがそれなんだが……特に犬、それも血統書なしの雑種は、見世物としても扱われる」
「みせもの…」
その説明もまるで事務的で、他人事のように感じられた。
つまり、彼は“客扱い”もされなければ種族としての尊厳もないのか…?
「お前、出身はスラムだから同情するんだろうが、下手に関わるなよ。客の“所有物”に口を出すのはルール違反だ」
「……っ」
釘を刺されてしまった。
彼をどうにかして助けたいという思いが見透かされたのだ。
「……分かり、ました」
ぽん、と頭を撫でた先輩は、作ったドリンクを持ってホールに出て行ってしまう。
どうしよう。元犬としては、雑種であろうが彼もれっきとした犬なのに。
せっかく店に来て、席に着くことも許されず、対等に扱われることもない。
そんなの…。
考えた末、トレーにノンアルコールシャンパンと水、空のグラスを三つ乗せ席へと向かった。
「…お待たせいたしました」
「大丈夫だよ。ゆっくりで」
俺に対しては怖いくらいに優しい。獣人との対応の比が恐ろしいほど残酷で。
“同情するんだろうが”
…これは、同情なのか?
いや、これは俺の信念、だと思う。
「ノンアルコールシャンパンです」
「ん、ついでくれるかな」
グラスを渡し、シャンパンを注ぐ。満足そうに微笑み一口飲むのを確認して、俺は獣人の彼にも水を注いだ。そして。
「…おい、君」
「はい」
「それは水だろう。なぜ君も飲むんだ」
「お酒がまだ飲めないので、俺も水でいいかと」
気のせいか、獣人の耳がピクリと反応した。
「こいつは客じゃないから、水でいいと言ったんだ。君はホストなんだからちゃんとしたものを飲みなさい」
「水もちゃんとした飲み物ですよ」
にこやかにそう答える。
そう、元わんこである俺にとって、水は前世を懐かしむ飲み物でもある。
なんら抵抗もない。
くい、と飲み干して次を注いだ。それをポカンと見つめるお客様。うん、中身がただの水だと分かればぐいぐい飲める。
周りが騒ついている気もしないでもないけど。
すると俺にだけ聞こえる声で獣人が話しかけてくる。
「ご主人様のご機嫌だけ伺ってください」
それは、明らかに種族差別を示唆する言葉。
この獣人は己の立場を理解してここへ来ている、そう感じた。
「ホストとしてはまだまだ未熟なので、何事も“練習”と思ってやってます。それで何か失敗するようなら、単純に俺の力不足なので」
背中に突き刺すような視線。
周囲の焦るような、冷めたような声も感じる。
“調子に乗るな”という空気。
今、俺の味方をしてくれる者はいない。
「それに、飲む以外の楽しみ方もあるのかなって」
ここへ座った際、彼は“飲むためだけに来ているわけではない”と言っていた。この店は言わば交流の場。情報収集を目的とするなら、飲み物は何でもいい。それこそ、水でも。
「ははっ。若いのに面白い考えの子もいたものだ」
そう言ってグラスを持ち上げる。一口含み、満足そうに頷いた。
「いいだろう。おい、お前もこちらへ座れ」
お前、と呼ばれたのは獣人で、「座れ」の指示に周囲が一段と騒めいた。
同じテーブルを囲むなど有り得ないとされた下位種族の異例の扱い。
獣人は、ぺこりと頭を下げて端に座る。当たり障りのない位置。
「君は非常に興味深い価値観を持っているな」
席は、そのまま穏やかに進んだ。
雑談。
他愛のない会話。
まるで、最初の違和感などなかったかのように。
ただ一つだけ。
獣人は、最後まで一言も発さなかった。
水の入ったグラスを手に持ち。
誰かに促されることもなく。
静かに、飲み干していた。
退店間際。
彼は独り言のように呟いた。
「君の考えは時に人を助け、時に価値観をも変えてしまう。それは美学であり厄介なものだ」
こてん、と首をかしげると楽しそうに続けた。
「けれども、君は君の思うがままに進むべきだと、私は感じた」
言葉の意味は分からないが。
それでも、何か大事なことを言われた気がして、俺は深く頭を下げた。
「本日はありがとうございました」
二人が店を出ていくのを見送る。
その背中が、妙に印象に残って。
――後になって思えば。
あの獣人が、あの時、たった一度だけ反応し、そして、一切俺を見なかったこと。
あれが、試験だったのだと気づくのは、もう少し先の話だ。




