【第09話-08】エピソード0 ― 始まりの物語-千紗
今日は――強い人が出てきます。
隙がなくて、頭が良くて、きれいで、
正直ちょっと反則級。
でも。
完璧に見える人ほど、
どこかに“触れられたくない部分”を抱えているものです。
千紗ちゃん、ここから本気モード。
新しい波、来ます。
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【Scene18:報われた瞬間、心が走り出】
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── 高橋 千晴 ──
私、高橋千晴は──恋をしたことがない。
好きになった人はいた。けれど、“恋”には至らなかった。
男性経験が皆無というわけではない。
大学時代、二つ年上の先輩から猛烈なアプローチを受けて──私も、少しだけ、心を開こうとしてみた。
けれど、どうしても“本気”にはなれなかった。
厳格な父に育てられた私たち三姉妹は、よく“高橋家の美人三姉妹”などと呼ばれていたけれど──
その実態は、立派な“箱入り娘”だった。
もちろん、それを恋に不器用な理由として正当化するつもりはない。
けれど──
私は、「恋の意味を知らなかった」。
だからこそ、取り返しのつかない失敗をしてしまった。
それは、誰よりも私自身にとって、苦い記憶だった。
……その代わりに、人からの好感度をコントロールする術は、それなりに身につけてきたと思っている。
相手に嫌われないように、でも踏み込ませないように。恋心ではなく、計算で、男の人との距離を調整する。
それが私の、“これまでのやり方”だった。
──そんな私に、今日、出会いがあった。
リノベーションを担当した物件の引き渡し。
学生の入居に合わせて──無茶なスケジュールを押し通された案件だった。正直な話、彼ら……正確にはその母親に対して、私は少なからず苛立ちを抱いていた。
予定を狂わされた2月と3月。実家に戻る余裕もなく、毎晩会社で仮眠するような日々が続いた。
それでも、内見にはきちんと立ち会った。
ただ……その負の感情が、抑えきれずに、内見に来たご家族にぶつけてしまった。
思えば、あのときの私は疲弊していたのだと思う。
なのに──あの母親は、私を抱きしめて泣いてくれた。
「ごめんなさいね。娘たちのために、あなたにこんな苦労をさせて」って。
彼女の涙に、私は動揺して、言葉を失った。
その傍らで、あのスレンダー美人の女の子──優香ちゃんが流していた涙も、どうしようもなく美しく見えた。
ロリ巨乳……としか形容のしようがない千紗ちゃんの、満面の笑顔には、心を溶かされそうになった。
……そして。
そのとき、「晴道くん」という名前で呼ばれていた男の子が、私の前に立っていた。
契約書で目にした名義、「晴」という文字が自分と同じだったことを思い出す。
どこか柔らかい表情をしていて、でもその瞳は真っすぐで、私の手をそっと取って、こう言った。
「本当に、ありがとうございました」
……その一言で、私は、恋に落ちた。
心の底から、報われたような気がして、思わず口をついて出た。
「……私の苦労、報われたんですね。こんなに喜んでもらえるなんて……」
けれど、そのとき私の頭の中は、彼のことでいっぱいだった。
ふと、自分の体臭が気になって、反射的に言葉が出てしまった。
「……あの、私、汗臭くないかな……?」
場の空気が一瞬止まったように感じた。
すると──そのお母様が、丁寧に箱を差し出してくださった。
「高橋さん、これ。会社の皆様にどうぞ」
手土産として持参された高級和菓子だった。
そして、もうひとつ。
「こちらは……差し出がましくなければ。高橋さん個人に」
差し出されたのは、私が憧れていた海外ブランドの香水だった。
けれど、普段の私にはあまりに高価で、手が出せない代物。
「こ、こんな高級なもの……いただけません……!」
当然、そう言ってお返ししようとした私に、お母様は優しく微笑んでこう言った。
「大変ご迷惑をかけた私たち家族からの、せめてものお礼ですから──受け取ってください」
それでも迷っていた私の視線が──晴道くんとぶつかった。
その瞬間、自分の体臭がまた気になって、気づいたらその香水を手に取っていた。
「高橋さん、その香水、試されてはいかがですか?」
お母様にそう促されて、私は小さく会釈をして洗面所に向かった。
鏡の中の私は──疲れていて、くたびれたシャツとパンツルック。
下着も、仕事中だからとミニマイザーを選んでいた。実際はDカップだけれど、B〜Cにしか見えない。
ふと、千紗ちゃんの胸元と、お母様の優雅な所作が脳裏に浮かんだ。
比べるものじゃない──そう分かっているのに。
そっと香水を首筋にひと吹き。ふわりと香る、上品な香り。
(……今の私に、釣り合っているのかな)
内見が終わり、社長宅までの送りを申し出る。
その道中、車を運転しながら心の中で何度も反芻していた。
(また、晴道くんに会えることなんて……あるのかな)
でも、こんなに近所なら──偶然を装っても、バレないかもしれない。
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社に戻ると、同期の坂本が声をかけてきた。
「高橋、社長から伝言だ。身なり整えて、今夜の会食に出ろってさ」
「……えっ?」
「今度は俺が車出すから。あの社長御用達の高級寿司だぜ、俺も裏方手伝う分、御相伴に預かれるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の心に火がついた。
……また、会える。
急いで休憩室へと走る。シャワーを浴びて、服を選んで、髪を整える。
下着も、新しいものに変えた。今度はミニマイザーではなく、寄せて上げるタイプ。
2カップ以上は盛れていると思う。さっきまでの控えめな印象との差は……4カップくらい?
でも、きっと千紗ちゃんにはバレるかもしれない。あの子、ああ見えて鋭そうだから。
……それでも、負けたくない。
ブラウスは胸元が少しだけ開いたもの。
ジャケットの中でも目を引くように、素材も肌なじみのいい淡いベージュ。
タイトスカートはひざ上丈。体のラインがすっきりと見えるように、ヒールも少しだけ高めを選んだ。
髪もほんの少し巻いて、香水も、先ほどと同じものをワ
ンプッシュだけ。
鏡の中の私は──少しだけ、“恋する女”の顔をしていた。
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「……坂本くん、送ってもらえる?」
「お、本気モードじゃん。良い男でもいたかー」
鋭い指摘に少しだけ動揺しながら、私は助手席に乗り込んだ。
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社長宅に着くと、社長夫人が出迎えてくださった。例の件もあって、私への好感度は高い。
「あら、いらっしゃい。夕食一緒にするのね。私は出掛けるから、後をよろしくね」
「はい。ありがとうございます」
夫人が坂本とともに出ていくのを見送ってから、私は扉をノックした。
「社長、戻りました」
「お、千晴君か。入りたまえ」
……名前呼び。今日は、社長の機嫌も悪くなさそう。
私は深呼吸してから、扉を開けた。
さあ──勝負の時間だ。
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【Scene19:チート性能、現る】
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── 如月 千紗 ──
蘭さんが気を取り直したように宣言する。
「今日はこの後、会食を準備しているから。夕食にはまだまだ早いし、それまでしばし歓談していてほしい」
……って、え、ここで?
蘭さんとしては、新しい友人候補として武を加えることで私たちの会話が盛り上がると見込んでたのかもしれない。
でも実際には幼馴染みが4人集まっただけになった。
もちろん、私たちなら話題に事欠かないけれども……
正直、それなら別に今じゃなくていい。空気がちょっと宙ぶらりんで。
千紗ちゃんと少し話したけど、世代も違えば話のテンポも違う。
……私、ちょっとだけ大人になっちゃったかもしれない。
そんなときだった。
「社長、戻りました」
廊下から聞こえた女性の声に、私の耳がぴくりと動いた。
「お、千晴君か。入りたまえ」
……あれ、この声、さっき聞いたような……。
でも“千晴”? いや、たしか名刺には“高橋 千晴”って書かれてた気がする。
姿を見て、確信した。
内見を案内してくれた、あの高橋さん──だった。
高橋さんも、私たちに気づいて、にっこりと笑顔で会釈した。
けれども、その印象はまるで別人。
さっきは地味めなシャツにパンツスタイル。体のラインを隠すようにしてて、バストも控えめに見えてた。
でも今は、胸元がほんのり開いたトップスに、細身のタイトスカート。鎖骨もきれいに見えて、ほんのり色気すら漂ってる。
きちんと整えられたメイクに、凛とした目元……それに、あの香水。
同じ人だとは思えないくらい、洗練されていて、綺麗だった。
そして──明らかに、胸のボリュームも増してる。
ちょ、ちょっと待って。
これ……4カップくらい違わない!?
たぶんさっきはミニマイザーでDカップをBくらいに抑えてた。
今は寄せて上げるタイプでF相当に盛ってる。
つまり、実体はDカップ。
……って、なに真顔で分析してんの私。
でも、見た目だけなら、私と同じくらい胸があるように見える。
くっ、演出で盛ってるくせに……!
背は晴道と同じくらいで、スラッとしててスタイル抜群。
元から美人だったけど、今の彼女はまさに「仕上がってる」。
しかも、きりっとした印象から、人懐っこい笑顔への切り替えが自然で……あざとくない、ギリギリのライン。
年齢的にも24歳って、大人の余裕と女の子らしさが両立してて──
……うん、要するに、めっちゃ強い。
「彼女は君たちと同じ大学を卒業している」
ああ、こう来たか蘭さん。
確かに、同じ大学の先輩っていう肩書きは強い。
私たちの“幼なじみ”というアドバンテージ、今この場ではあんまり意味ないかも。
しかも、さっきの態度から見て──高橋さん、絶対晴道のこと気にしてる。
……っていうか、かなり本気じゃない!?
これは強力なライバル、いや、伏兵……!
でも、私たちからすれば話題は尽きないし、蘭さんからすれば、高橋さんとのわだかまりを解いておきたかったんだろう。
でもね、蘭さん。
高橋さんならもう、うちの美優お母様がしっかり攻略済みですよ。
「高橋さん、なんださっき教えてくれても良いのに」
「言い出すきっかけがなくて。それより、また会えて嬉しいわ」
きりっとした表情から、ふわっと笑顔に変わる。
この一瞬で、わかった。
この人、自分の印象を意図的に操作してる。
それって、私が目指してきたスキルじゃん……!
悔しいけど、その笑顔は可愛かった。
私の“千紗ちゃん”キャラとは違うタイプだけど──
可愛いの“質”が近い。
しかも、美人モードから笑顔へのギャップがある分、私以上に可愛く見えるかもしれない……。
え、ええええ!? ちょっと待って!?
この人、優香の凛とした美人さと、私のあざと可愛さを両方持ってる……
チート性能すぎるでしょ、それ!
「なんだ、もう終わっているじゃないか」
蘭さんの呟きに、ふと目をやる。
その顔は、どこか爽やかな笑顔で──たぶん、察したんだと思う。
美優お母様の仕込みを。
「結局、自分の土俵ですら彼女に勝てないのか、俺は」
ぽつりと呟く声が、ちょっと切なくて、でもなんだか微笑ましくて。
そして、ついに──
「先輩後輩なんだから、高橋さんって他人行儀にしないで。千紗ちゃんの“千”と晴道君の“晴”で、“千晴”よ。千晴って呼んで」
「分かりました、千晴さん」
──あっ。
……ちょ、待って、晴道!?
攻略されかかってるじゃん!!
え、大丈夫なの? 私たち……!?
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【Scene20:Intermission(関係)】
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なんか……最近、登場人物の関係がどんどん複雑になってきてる気がする。
頭の中がこんがらがる前に、一度整理しておこう。
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今、この場にいるのは――
1.如月 美優
2.如月 千紗
3.氷室 優香
4.小泉 晴道
5.高村 蘭
6.高村 知紗
7.高村 理紗
8.高村 武
で、今はいないけど、この話に深〜く関わってくるのが以下の3人。
•如月 誠一
•氷室 剛志
•高橋 千晴
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まずは【血縁関係】から整理。
•誠一 ↔ 美優(夫婦)→ 千紗(娘)
•蘭 → 知紗・理紗(双子の実娘)
•蘭 ↔ 武(甥と叔父)→ 武と知紗・理紗は従兄妹
•剛志 → 優香(父娘)
……うん、ここまでは分かる。たぶん。
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次に【交友関係】。
•美優 ↔ 蘭(中高の同級生)
•誠一 → 美優・蘭(高校の先輩)
•誠一 ↔ 美優(大学バイト仲間)
•晴道・千紗・優香・武(幼小高大ずっと同級生)
•蘭 ↔ 剛志(会社同僚 → 仕事関係へ)
•蘭 → 剛志(シェアハウスと蘭自宅を設計してもらった)
•蘭 → 千晴(社長と社員)
•千紗 → 知紗(名前の由来)
……さすがに繋がりすぎでは?
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で、最後に問題の【恋愛関係】。
•(中高)美優 ↔ 蘭(親友以上恋人未満)
•(高校)誠一 → 美優(ただの後輩 → 片思い)
•(高校)蘭 → 誠一(直接の面識なし → 一方的に恋のライバル視)
•(大学)誠一 ↔ 美優(交際→結婚)
•晴道 ↔ 千紗(両想い)
•晴道 ← 優香(好意&アタック中)
•優香 ← 武(好意&アタック中)
•武 → 理紗(妹分扱い)← 理紗(熱烈アタック)
•千紗 ← 知紗(名前由来のシンパシー?)
そして……
•晴道 ← 千晴(……惚れてる?かも?)
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いやちょっと待って。
知紗ちゃんが「恋愛関係者」に加わると──
それ、めっちゃややこしいんですけど!!
……まあ、ここまではあくまで“もしも”の話。
──盛大なフラグになってたことを、私が知るのは……もっとずっと後のことだった。
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【Scene21:なんで毎回、爆弾がでかいの!?】
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大学って、ホントいろんな人と出会える場所なんだなって思う。
高村家で開かれる予定の会食までのひと時、ちょっと空気が停滞ぎみだった中
圧倒的なオーラと美貌をまとって登場したのが、蘭さんの部下である千晴さんだった。
「恋のライバルの予感しかしない」──そう感じたのは、たぶん私だけじゃないと思う。
でも、彼女が話す大学のことは本当に興味深くて。
キャンパスの様子、食堂の人気メニュー、近くの古本屋やカフェのこと。
千晴さんから出てくるのは、私たちが“これから”を想像するのにぴったりの話題ばかりだった。
あっという間に、その場の空気をさらっていく。
知紗ちゃんがちょっと浮いてしまっているように見えたから、さりげなくフォローを入れたりもして。
……いや、私だって余裕ないのよ。
そして、理紗ちゃんは……ぴったりと武に貼り付いてる。物理的に。
腕にしがみついて、まるで私物ですって顔してるけど……それで妹分扱いとか、無理があるよ、武。
しかも、優香が武に話しかけるたび、理紗ちゃんの目がね。
……射殺す気ですかってくらいに鋭い。
武あんた、ほんとに鈍感ラノベ主人公かっつーの。
それに優香も気づいてないの? いや、気付いててスルーしてるなら逆にすごいけど……いや無いな、うん。
本当に気付いてない、ポンコツ美人
そんな空気の中、穏やかに微笑みながら見守っていたのが、蘭さんと美優お母様。
ふたりで時折、昔話に花を咲かせてるみたいだった。
そのとき、不意に知紗ちゃんが切り込んだ。
「千晴さん、彼氏とかいないんですか?」
わあ、聞くか、それ。
「今はいないわ」
千晴さんは、少し恥ずかしそうに笑った。
「今ってことは……以前はいたんですか?」
「うん。大学時代に、一度だけ──先輩から猛烈なアタックを受けて、ね。付き合ってみたことがあるの」
「へぇ、どんな人だったんですか?」
「押しの強い人だった、としか……でも私が本気になれなくて、自然消滅しちゃったの」
そう言いながら──一瞬。
千晴さんが、とても辛そうな表情をした。
“付き合ってみたことがある”──ただそれだけの話にしては、不釣り合いな表情。
……私が、その表情の本当の意味を知るのは、もう少し先の話だった。
「え、それだけですか? 千晴さん、絶対モテるのに」
「うふふ。自分で言うのもなんだけれど、近所では“高橋家の美人三姉妹”なんて呼ばれてたのよ」
……えっ。聞き捨てならないんだけど。
このレベルがあと二人? 警戒態勢、最大まで引き上げますね私。
「でもね、厳格な父のもとで“箱入り娘”として育てられただけなの」
「えっ……」
知紗ちゃんが困ったように目を泳がせる。
「ごめんなさい、話が逸れちゃったわね。簡単に言えば──私は今まで一度も、”恋をしたことがなかった”って話」
はい、“今まで”はね。
“今は”しっかり恋する乙女の目をしてますよ、千晴さん。
そんな空気を変えるように、彼女は場を仕切った。
「そういえば、皆はどこの学部なの?」
武がまず答えた。
「俺は教育学部、保健体育専修。中学の頃から体育教師になるって決めてたんだ」
……でも、私は知ってる。
武はスポーツ推薦の声がかかってた。もっと近くて条件のいい大学にも行けたのに──
それでもこの大学を選んだのは、優香と一緒にいたいから。
「武くんなら、きっと生徒に信頼される先生になれるわ。でもコーチって選択肢もあるんじゃない?」
「コーチか……考えたことなかったな」
「うん、きっと選手に寄り添えるコーチになれると思うの
千晴さんの言葉に、武はまっすぐうなずいた。
「私は、教育学部の人間発達教育学科。子どもたちと関わる仕事がしたくて、先生を目指してるの」
優香もまた、晴道と一緒にいたいからここを選んだ。
自宅から通える他の大学なんて、いくらでもあったのに。
「いいわね、きっと人気の先生になるわ。小中高、どこを目指してるの?」
「……それが、まだイメージが湧かなくて」
「ちゃんと決めるのはまだ先でも大丈夫だけれど、イメージは持っておいた方がいいわ」
「ほんとは……晴道のお嫁さんになりたいから……」
小声のつぶやきは、千晴さんにスルーされた。意図的かどうかは不明。
「厳しく聞こえるかもだけれど、授業の選択で後悔するわよ」
「はい……考えてみます……」
千晴さん、頼りになる。大人すぎて、ちょっとズルい。
「千紗ちゃんは?」
いきなり振られたけど、準備はしてある。
「経済学部・現代経済学科です。母が株や資産運用の仕事をしていて、母のしてることをもっと理解したくて──
私も、将来は母のように独立した女性になれたらって思ってます」
「そうなんだ、私も同じ学部・学科よ。教授の話とか、テストの傾向とか、いっぱい話せると思う!」
……うぅ、有能すぎて、もう崇拝するしかないのでは。
そんな空気の中で、晴道がぽつりと語り出した。
「俺は文学部・人文情報学科なんだけれど……高1の時、ある論文に出会ったんだ」
……きた、晴道の進路の原点。
「『Genealogical Variants in Literary Manuscripts: A Bioinformatic Approach to Scribal Lineage Reconstruction』──って論文で」
長い英語タイトルなのに、すらすら。
どれだけ読み込んでるのか、わかる。
「日本語訳だと『写本に刻まれた、誤字という名の進化』──って紹介されてた」
「素敵なタイトルね。どんな論文だったの?」
──うまい。千晴さん、そうやって相手の“夢”に寄り添うの、うますぎる。
「古典の写本をDNAみたいに見立てて、分岐関係を推定するっていう内容で……AIを使って、筆写ミスの傾向から、どの写本が古いかを調べるんだ」
「……ロマンチックね」
──え、そこロマンチックで返せるの??
「写本の“誤字”を、DNAの“変異”として扱う……って、AIと人間が一緒に進化の系譜を読み解くような論文で……」
「素晴らしいわね」
「で、その研究に資料提供して共同研究していたのが、この大学の高橋教授なんです」
「……高橋教授が」
……あ、察した。でも晴道は、気づいてない。
「高橋教授、ご存知なんですか!どんな授業される方なんですか!?」
晴道、千晴さんの手、握っちゃってるし前のめり。
「授業は受けたことないけど──紹介くらいなら、できるわよ」
「え?」
「だって、高橋教授は──私の実の父だから」
満面の笑み。圧倒的優位を手にした、勝者の笑み。
……はいはい。千紗ちゃん、ここはお約束ね。
──すっっごい爆弾、ぶっ込んできた。
もう一人の主人公――千晴の登場。
予想できていましたでしょうか?
ここで出すのは分かっていた、という方もいるかもしれません。
でも「このタイミングで来るか」と思っていただけたなら嬉しいです。
そして、ついに――
二人の主人公が出会いました。
物語の軸が、静かにもう一本立った瞬間です。
ここからどう転ぶのか。
三人の関係はどうなるのか。
リアクションでも構いません。
どう思われたか、ぜひ教えてください。
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次回、
千紗は、負けヒロインかもしれません。
幼なじみポジション。
積み重ねのある関係。
覚悟もある。
でも――
強すぎる“後発ヒロイン”が現れた時、
物語のセオリーはどう動くのか。
お楽しみにしてください。




