【第08話-33】それぞれの“一番”-和也・美由
第8話、最終話です。
クリスマスイブの夜。
甘い余韻の先で、それぞれが“次の一歩”を選びます。
恋だけでは終わらない。
関係は、形になり、現実になっていく。
静かだけれど、大きな転機の回です。
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【Scene10.8:1年前12月】
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ディナーは地元まで戻り、高級フレンチのコース。
シャンパンのグラスを握るそれぞれの手には指輪が光り、
美久の胸元ではティファニーのネックレスが穏やかに輝いていた。
静かで穏やかな時間が流れる。
夜は――いつものホテル、いつもの部屋だった。
「どうしてここに?」
「ここが、私たちの始まりの場所だから」
けれど、和也も美久も、この部屋を“二人で過ごした”ことはまだない。
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「和也、先にシャワーお願い」
「わかった」
ふたりのやり取りは、今までよりも落ち着いていて、大人びていた。
和也がシャワーを終えて出ると、入れ替わりに美久がバスルームへ向かう。
「……覗かないでくださいね」
振り返った美久の顔は赤く染まり、ほんのり笑っていた。
その表情は、どこかいつもよりも艶やかで――
和也の胸の奥に、強烈な既視感を残した。
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やがて美久が浴室から出てくる。
そして――
「……どうして、君がそれを」
美久は、深い青のバニースーツを纏っていた。
それは美由の黒とは違い、夜の海のように静かなブルー。
黒に近いながらも、どこか神秘的な光を放ち、今の美久にとても似合っていた。
彼女はその衣装を特注していた。
美由から聞き出し、同じ仕様で。
ただ、美久の高身長と柔らかな曲線に合わせて仕立て直してある。
今朝までの美久は――
これで、和也の“美由の記憶”を上書きしようとしていた。
けれど今は違う。そんなことに意味はないと、もう分かっている。
だから、穏やかに言った。
「これからは、美由・美久の“ダブルバニー”を可愛がってください。
精一杯、尽くします」
その一言に、和也は息をのむ。
「でも――今日は、私だけを見てほしい。
そして、そのカメラで……私を、残して」
言い終えると、美久は俯いた。
和也はそっと言う。
「そんな顔をしちゃだめだ。……微笑んで、顔を上げて」
美久がゆっくりと顔を上げた瞬間、
フラッシュが静かに光った。
一枚、また一枚。
光の閃きのたびに、美久の体が熱を帯びていく。
――“美由が言っていた、新しい世界ってこれなんだ”
胸の奥でそう思った。
「……キスしてください。お願い」
その声に応えるように、和也は静かに彼女を抱きしめた。
その瞬間、すべての思考が溶けていく。
彼女の中にあった“比較”も、“競い合い”も、もう何もなかった。
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どれほどの時間が過ぎたのか――
気づけば、和也のカメラには百を超える写真が残っていた。
そこには、美久の微笑み、涙、そして何も隠さぬ全てが刻まれている。
それは、ふたりの“新しい関係”の始まりを記録した、
大切な一夜の記憶だった。
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【Scene10.9:1年前12月】
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その夜、中田美由と新倉南は、南の父、一ノ瀬直人、林庄蔵の5人で食事の席を囲んでいた。
南の父の会社と株式会社霞の宿との間で結ばれたパートナーシップを祝う、ささやかな会食だ。
形式ばった相手はおらず、穏やかで打ち解けた雰囲気の中、料理と会話が交わされた。
美由はその持ち前の人懐っこさで、自然と南の父の懐に入り込んでいく。
庄蔵はその様子を横目に、静かにひと息ついた。
(……わたくしの役目も、もう終わるのかもしれません)
そんな思いがふと、胸をかすめた。
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会食の終わり際、南が切り出す。
「お父様、今日はもう少し美由と話していたいの」
「ああ、構わないよ。ゆっくりしておいで」
南の父は、ふたりが新たな会社を共に立ち上げると聞いていた。
すでにそれを理解し、応援する覚悟を持っていたのだろう。
「美由様、それでは、爺やは先に部屋へ戻っておりまする。
明朝は早く里へ向かいます故、朝戻られても、部屋にはおりませぬぞ」
芝居がかった庄蔵の口調に、美由は思わず微笑んだ。
どこかからかいを含んでいるようにも思えた。
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ふたりきりになると、美由が問いかけた。
「どこに行こうか?」
「ホテルで部屋を取りましょう」
南は電話を取り出して数分後、にっこりと笑う。
「希望の部屋は取れなかったけれど、そこそこ良い部屋を抑えられたよ
」
「……わかったわ」
気づけば、美由はすっかり南の流れに乗っていた。
抗おうという気持ちすら、どこか遠くに感じていた。
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着いた先は――あのホテルだった。
「どうしてここに?」
「ふふ、だって……私たちの“新しい関係”が始まった場所だもの。
新しい門出にぴったりじゃない?」
「それは、そうかもね」
「本当は同じ部屋が良かったけど、空いてなかったの。
でも、隣の部屋を取れたから」
ふたりは知らない。
その隣室に、和也と美久が今まさに滞在していることを。
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部屋に着くなり、南が言った。
「ねえ、先にシャワーを浴びてきていい?」
「ええ、どうぞ」
美由は、南の雰囲気がどこか妖しく揺れていることに気づいていた。
けれどその熱に、むしろ惹かれてしまっている自分がいた。
会食のあと、和也と美久に合流することを考えて小さなキャリーバッグを持っていた。
着替えも用意してあった。偶然が、すべてを導いていた。
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南が先に浴室から戻ると、バスタオルを巻いただけの姿だった。
その一瞬で、美由の中に熱がこみ上げる。
あの夜の記憶――忘れがたい感覚が、身体に蘇ってくる。
「早く……シャワーを浴びなきゃ」
美由はそう自分に言い聞かせて、バスルームに入った。
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湯気に包まれた静かな空間で、美由はふと思い返す。
――南とは、何度も夜を過ごしてきた。
けれど、あの“深い交わり”を果たしたのは、前回が初めてだった。
しかも、今夜は――男性もいない。
これまでとは違う、まったく別の意味を持つ夜になる。
「どうなっちゃうのかな……私」
それは不安ではなかった。
どこか、甘やかで淫らな期待に似ていた。
そして彼女は気づかなかった。
隣室から、ある“気配”が漏れ出していたことに。
和也と美久の、深く重なる想いが発する“気”が、
空気を伝い、彼女たちの肌にまで届いていたことに――。
和也の気をかつて梨子が分析した
『和也お兄ちゃん……これはもう、女性にとって災害級だよ』
効果範囲:約半径5メートル──女性限定。耐性なし。
普段は抑え込まれていたその力。
だが今夜の和也は、美久への想いを全開にしていた。
バニースーツに身を包んだ彼女への恋慕が、無意識にその気を解き放っていた。
効果範囲は、倍にも達していただろう。
美由の体が疼く。
タオルで胸をなぞれば、擦れた乳首から鋭い快感が走る。
指で秘所を洗えば、うっかり敏感な核を刺激して軽く達してしまい、
女芯の奥をくすぐるように撫でる手が止められない。
「和也といるわけでもないのに私・・・」
――抗えない。
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バスルームから出ると、南はベッドに横たわっていた
バスタオルすら身に纏わず、荒い息をついていた
一人待つ間、”何”をしていたのか一目瞭然だった
「ふふ、かわいい」
美由はそっと彼女の隣に寄り添う。
ふたりの肌が触れ合い、熱が混じり合う。
そこに言葉はいらなかった。
夜の帳が、ふたりを包んでゆく。
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そして――
和也と美久、美由と南。
隣り合わせのふたつの部屋で、ふたりずつの想いが交差していた。
知らず知らずのうちに、同じ気配に当てられ、
同じ瞬間に、深く満ちていた。
まるで見えない糸で結ばれたように――
その夜は、確かに4人にとって、新たな扉が開かれた夜だった。
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【Scene10.10:1年前12月】
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翌朝、二組のカップルは部屋を出たところで鉢合わせた。
「えっ……」
微妙な空気がその場に流れる。
美由はただ一人、心の中で思い至る。
(ああ、昨晩のあの熱は――和也の“気”に当てられたんだ)
そして美久の様子に気づく。
(指輪……それに、あのペンダント!?)
見るからに高級そうなダイヤのペンダントは、美久によく似合っていた。
思わず、美由は嫉妬混じりの溜息をつく。
(美貌もスタイルも負けてるのに、そんなに差をつけられちゃったら……)
だが次の瞬間、気を取り直して口に出す。
「それでも、負けない」
その言葉に、美久が柔らかく応えた。
「勝ちとか負けとか、そんなものはもう必要ないんです。
みんながそれぞれ、和也さんとの関係を深めていけばいい。
みんなで、一緒に幸せになりましょう」
美由は思わず目を見張った。
昨日までの美久は、明らかに“遅れを取っている”ことに焦っていた。
だが今は――まるで別人のようだ。
「ふぅ……勝ち負けなんて言ってたら、私の方が遅れを取っちゃいそうね」
美由は自嘲気味に笑った。
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南もまた、美久の指輪とペンダントに気づく。
「指輪、受け取ったんですね!
それにそのペンダント、とっても素敵です。よくお似合いですよ」
南の声には、まったく嫉妬の色がなかった。
(勝ち負けじゃないって言っても……こうも勝てないって思い知らされるとね……)
美由の表情は、ますます曇っていく。
「どうした、美由?暗い顔して」
和也が優しく声をかけてくれる。
(……そうだ。自分には、この温かい声があれば、それだけで頑張れる)
美由は静かに、思いを立て直した。
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「美久さん、このあとお時間ありますか? 少し、お話ししたいことがあるんです」
南が声をかける。
「大丈夫。今日は有給を取っているから」
美久がそう答えると、和也が口を挟んだ。
「俺には聞いてくれないのか?」
「和也さんはもう冬休みでしょ?」
――彼の意思は、今回も聞かれなかった。いつものことだ。
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近くのいつものカフェに移動し、南が切り出す。
「美久さん、例の件、美由さんから了承を得られましたよ」
「うん、わかった。私も会社に退職願いを出すわね」
「えっ、美久、会社辞めちゃうの?」
驚く美由に、美久は微笑んで答える。
「だって、私の会社は副業禁止だもの。“み組”の取締役になるんだから、当然でしょ?
南や美由と違って、私はただの会社員。肩書きなんて何もないのよ」
「そっか……」
「だから、責任重大よ? 美由社長!」
南がからかうように笑う。
美久は続けた。
「でも辞めるのは4月からかな。さすがに明日退職ってわけにはいかないし、
3月いっぱいまでは例外として副業を認めてもらうつもり。
4月には新居に住まわせてくれるんでしょ?
“み組”の役員報酬があれば、生活には困らないわ」
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一人だけ話の流れに取り残されていた和也が言う。
「そろそろ、説明してもらえるかな?」
その問いに、南が答える。
「美由は今、“美由由美Web”を運用してるでしょ?
ものすごい利益が見込めるって聞いたの。
だったらもう、ちゃんとした会社にしようってことで――
美由が代表取締役、私と美久が取締役になって、
“株式会社み組”を立ち上げるの。来年の1月1日付でね」
「そっ……そうなんだ」
「本当は和也に代表取締役をお願いしたかったんだけど、公務員は副業禁止でしょ?」
――美由には、南が”でも、影の支配者は和也”と思っているのがありありと見えた。
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「それでね、みんなに見てほしいものがあるの」
南がウキウキと差し出したのは――不動産の図面だった。
「私たちの新居よ!」
「……広いな」
和也が思わず声を漏らす。
それは二世帯住宅。
1階も2階も3LDKで、広々としたバスルームも備えていた。
3部屋のうち1部屋は特に広く、リビングが2つあるような感覚になる。
1階は二世帯分の玄関を備えているため、やや面積が削られていたが、
それでも広い部屋にはダブルベッドを入れても余裕があり、
2階の同じく広い部屋にはクイーンサイズを置いても、まだスペースが残る。
残る2部屋は1階・2階ともに同じレイアウト。
1部屋はシングルベッド、もう1部屋は事務室仕様だったが、ベッドを置けば居室としても使えた。
――つまり、各階に最大4人ずつ、合計8人が住める構造だった。
「いったい、どれくらいかかってるの?」
思わず声を上げた美久に、南がさらりと答える。
「土地だけで、評価額1億を超えちゃったの。
お父様から譲渡を受けるために、譲渡税を支払う現金も一緒にもらって、
その現金にもまた税金がかかって……もう、大変だったわ」
庶民感覚の美久や和也には、もはや実感のわかない世界だった。
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画像合計3万ダウンロードで3千万円を稼ぎ、冷や汗をかいた美由も、
(……自分なんて、まだまだ)と痛感する。
ただし――たった3日で3千万円。
もしあのままサイトを公開し続けていたら、とんでもない金額になっていたはず。
だが和也は、その事実をあえて美由には伝えていない。
美由自身も、それに気づいていなかった。
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やがて、会社設立のため銀行へと向かう3人と別れ、和也は一人で帰路についた。
「……俺、4月から大学の准教授になってなかったら、
勝手にいつの間にか“代表取締役”にさせられてたんじゃないか……?」
そんなことを、苦笑しながら思い浮かべる。
その後、会社設立に奔走する彼女たちを横目に、和也は穏やかな日々を過ごす。
――(俺は一般人)
そんなのんきなことを考えながら。
来年が、自分にとっても激動の年になるとも知らずに――。
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第8話、ここまでお付き合いありがとうございました。
恋の高揚だけでなく、
会社設立、新居、役割の整理――
4人はついに「未来を共有する覚悟」を決めました。
“勝ち負け”を超えた美久。
揺れながらも前を向く美由。
最初から腹を括っている南。
そして、自分だけ一般人だと思い込んでいる和也。
けれど本当に一番“自覚がない”のは、誰なのか。
第8話はこれで完結です。
次章では、甘さの裏にあった現実が、もう少し牙を剥きます。
ここまで読んでくださった皆さまへ、心からの感謝を。
次回、
第9話、開幕。
物語は少しだけ時間を遡ります。
クリスマスイブの甘い夜の、そのずっと前。
すべての始まり――“シェアハウス計画”が動き出した瞬間へ。
母・如月美優。
策士で、合理的で、そして少しだけ残酷なほど聡明な女。
彼女は娘の未来のために動く。
感情ではなく、論理で。
誘惑ではなく、合理で。
けれどその裏には、
30年越しの想いと、言葉にしなかった可能性があった。
「もし、あのとき勇気があれば――」
千紗の物語は、実は母の一手から始まっていた。
第9話はエピソード0。
“始まりの物語 ― 千紗”。
甘さの前にあった、静かな戦いを。




