【第08話-24】それぞれの“一番”-和也・美由
想いの強さは、時に人をすれ違わせ、
時に思いがけない対話を生みます。
今回は――
和也を巡る“もうひとつの対面”。
静かな湯けむりの中で、
それぞれの覚悟が、少しずつ輪郭を帯びていきます。
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【Scene07.4:1年前10月】
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── 同日 霞の宿 新別館 プレオープンイベントの一室
「……ねぇ、なんで私と貴女が同部屋なの?」
頬をふくらませ、ぷんすか怒っているのは阪本梨子だった。
その相手は、ベッドの上で悠然とくつろいでいる新倉南である。
「仕方ないでしょ。私も貴女も、ちゃんと招待されて来たわけじゃないんだから」
南の口ぶりはどこまでも飄々としていた。
── 1通は、元々は達也に送られた招待状だった。
だが達也の都合がつかず、代理として南がやって来た。
もう1通は、和也に届いたものだった。
こちらも本人の都合がつかず、千晴に回されたが
千晴も都合がつかず、梨子へと回された。
「貴女たち、シェアハウス組は全員卒論が終わらなかったんでしょ?」
同じ経済学部の阪上梨紗は、「もう終わるよ」と得意げに宣言していたが──
6月頭に卒論を提出した梨子、そして7月頭に提出した南。
その出来栄えが良すぎたせいで、審査のハードルが上がり、結果として梨紗の提出は間に合わなくなった。
そうして別々に霞の宿へやってきた二人は、偶然受付で鉢合わせた。
女将の葉月に事情を説明したところ、「一部屋でも良いかしら?」という申し出があった。
どちらも本来の招待者ではなかったため、強くは言えず、そのまま相部屋となったのである。
……実は、これは一ノ瀬の血族であることが判明した南を、密かに監視するための措置だった。
隣室を空けるための苦肉の策。そこには、冬美が待機している。
「せっかく個室露天なんですもの。一緒に入りましょ」
南がタオルを手に立ち上がる。
「まあ、温泉は入りたいし……構わないわよ」
湯気に包まれた部屋付き露天風呂に身を沈めると、さすがに二人とも肩の力が抜け、ピリピリした空気も次第に和らいでいった。
「ねぇ、梨子ちゃん。私のこと、嫌い?」
南が可愛らしく首をかしげて問う。
「嫌いよ」
梨子は即答だった。目を逸らすこともせず、まっすぐに言い切る。
「貴女って、自分の幸せだけの人じゃない。
自分が幸せになるためなら、なんでも使う。
必要な人は一緒に幸せにするかもしれないけど、そうじゃない人は切り捨てる。
……私はそれが許せない。“みんな”が幸せじゃなきゃ、嫌なの」
「ふぅん、私は“自分の手の届く範囲”を大事にしてるだけよ」
南は湯の表面をそっとなぞるようにして、遠い目をした。
「貴女の“みんな”って、どれだけの範囲なの?」
「……“みんな”は、“みんな”よ。私の目が届く範囲は、みんな幸せでいてほしいの!」
思わず声が大きくなった。梨子の表情は険しさを増していた。
「……でも、そこに私は入ってないの?
貴女の目にも入らない範囲なの?」
痛いところを突かれた。
“みんな”と口にしながらも、実際は「自分の視界の範囲だけ」に過ぎない──梨子自身もそれを認めざるを得なかった。
「私はね、自分の手の届く人たちを、最高に幸せにする。
……どんな手を使ってでも」
「だから、千晴お姉ちゃんから達也さんも和也さんも奪ったの?」
梨子の言葉は、まるで刃だった。
「違うわ。あの人は、達也さんも和也も……本気では愛してなかった。
あの人は、ただ……弱かっただけ」
南は静かにそう言った。
そして──梨子も、否定できなかった。
「花音がいなくなったら和也と付き合い、
和也が身を引けば、達也さんに依存して、
達也さんの心が離れかけると、また和也に……
あの人は、強くなれなかっただけよ」
「お姉ちゃんを悪く言わないで!」
「悪く? いいえ、これは事実よ」
「南、そこまでにしてあげて。……事実って、時に残酷だから」
突然、声が割って入った。
「花音……?」
「花音さん……?」
振り返ると、そこにいたのは、全裸の一之瀬花音だった。
二人は思わず目を丸くするが、花音は自然体のまま湯へと入る。
「……失礼するわね」
湯に身を沈めると、花音は静かに口を開いた。
「千晴姉さんが“弱い”っていうのは、事実よ」
その言葉に、梨子は反論しかけたが──花音は続ける。
「でもね、それを“認める強さ”も、姉さんにはある。
だからきっと、本当に恋をすれば……ものすごく強くなれるわ」
「……じゃあ、達也さんとも、和也お兄ちゃんとも、恋をしてなかったってこと?」
「ええ。それは、千晴姉さんが一番よくわかってるわ」
花音の瞳には、一片の迷いもなかった。
「……梨子ちゃん、貴女はどうなの?」
「え……?」
問いの意図がわからず、梨子は目を瞬かせる。
「貴女は、和也に恋してるの?
美由や南みたいに──すべてを投げ出してでも一緒にいたいと思える?」
「……だって、私は来年の春には、父の会社を手伝う予定で……和也お兄ちゃんのそばを離れるのは決まってて……」
「それでも、美由はね──あんなに好きだった仲居を辞めるの。
やりがいのある広報の仕事も全部捨てて、和也のそばにいるために」
「……え?」
梨子が声を漏らす。
「南もね、大学を出たら親の会社を継ぐわ」
「……よく調べてるわね」
初めて南が口を挟む。
「ちょっとね、後で“話す”わ」
花音の横顔には、明確な“覚悟”が刻まれていた。
「わかる? 梨子ちゃん。
大学を卒業したらすぐに親の会社を手伝うっていう、貴女の選択も偉いわよ。
でも、南の父親って、多くの会社を抱える大企業の社長なの。
そんな会社を“継ぐ”ってことは──もう、自由なんてなくなるわ」
「……それと今の話に何の関係が?」
「南はね、最初は継ぐ気なんてなかったのよ。
南の両親だって、それを望んでなかった。
でも──彼女は、和也のために“継ぐ”ことを選んだ」
「……!」
「和也と結婚するなら、相続や経営の問題もある。
南が経営に関われば、和也は大学に残ったまま、南と暮らす未来を手にできる。
だから南は、自分の自由を捨てた。
──違うかしら?」
花音の問いは、南に向けられていた。
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時は、わずかに遡る。
花音は冬美とともに、隣室に身を潜めていた。
「……あまり良い雰囲気とは言えないわね」
冬美は“気”の流れからそう感じ取っていた。
この新別館は、外観こそ趣のある木造建築に見えるが、実際は最新の鉄筋コンクリート構造で、防音性は完璧だった。隣部屋の会話など、一切聞こえない。
「外湯に向かったようね」
花音には分からなかったが、冬美はそう断言した。
花音はその察知能力に感心しつつも、ふと自嘲気味に呟いた。
「……はぁ。私は“草の頭”として、それなりに自負があったのだけれど」
「姫さまは十分すごいですよ。
私には未だ信じられませんが
美由、和也、南の3人の力が美由の報告通りなら
あの三人が“人外”なだけです」
冬美は柔らかく返した。
美由──気を“見る”ことができる。そしてそれを”操る”事もできる。
和也──気を冬美より高い精度で“感じ取る”だけでなく“操り”そして"放出”することさえできる。
南──花音の“房中術”を超える技を、独自に操っているという。
「私は……人の範囲ね」
苦笑しながらも、花音の瞳には決意の色が宿っていた。
──話がそれた。
花音は隣室へと忍び入り、二人の会話を盗み聞きしていた。
険悪だった。
和也を愛した者同士の、相容れぬ空気。
花音は胸を痛めた。
(同じ人を愛してるなら、分かり合えるはず……)
そう思い至った瞬間、彼女は決意する。
「私がひと肌脱ぐしかないようね」
そして、すべてを脱ぎ捨て、露天風呂へと足を踏み入れた。
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時は戻る。
南が静かに、しかし確かに答える。
「その通りよ。それが一番、和也が幸せになれる形だもの。
そして、”大切に育ててくれた”お父様にも“跡取り”ができて幸せ。
お母様だって、孫を抱けたら、きっと……」
その顔は、晴れやかだった。自信に満ち、未来を確かに見据えていた。
「それに──美由だって」
「美由さんも?」
梨子は思わず問い返す。
「私が“妻”として、和也の社会的地位と経済面を支える。
美由は“女”として、和也の心と身体を愛で支えてくれる。
──ね、みんな幸せでしょ?」
南はまっすぐに梨子を見つめた。
「じゃあ……南の幸せは?」
その問いに、南は一瞬、言葉を止める。
だが、すぐに穏やかに微笑んだ。
「私は、和也が幸せならそれでいい」
その瞳には、壮絶な決意が宿っていた。
「──でもね。子どもだけは譲れない。和也の子どもだけは、私のものよ」
その言葉に、静かに続ける声があった。
「ねえ、梨子ちゃん」
花音だった。
「南はこれだけの覚悟で、和也と向き合っているのよ。
未来を見据えて、全てを決めて、動いてる。
──それでも、まだ南を嫌いって思うの?」
梨子の目に、じわりと涙が浮かぶ。
「……ごめんなさい。私、南のこと、ずっと誤解してた」
小さな声で、湯の中に沈み込むようにして呟いた。
(私……“和也お兄ちゃん”のこと、小さな頃からずっと好きだった。
……でも、それって“和也”という男の人じゃなくて、“お兄ちゃん”が好きだったんだ)
そして、はっと気づく。
「そうか……私、恋をしてたんじゃなかったんだ」
梨子はいつの間にか流れていた涙をぬぐった
「それじゃあ……勝てるわけないよね」
「気付けたのね」
花音の声は優しく、包むようだった。
「私ね、千晴お姉ちゃんに負けたとき、
“こんな美人でスタイル抜群の人に勝てるわけない”って思ったの」
「美由さんには?」
「“こんな巨乳美人に勝てるわけない”って……」
「私は?」
「──え? 残念おっぱいには負けてないよ?」
「ひどい……」
三人は、ほんの少し笑った。
心がほどける音が、湯けむりの向こうに溶けていく。
「私ね、初めから“勝負”にも行ってなかったんだね。
それに、好きだったのは“和也お兄ちゃん”であって、“和也”じゃなかった。
──これじゃ、勝てるはずないよ」
梨子はもう一度、南を見つめた。
その顔は、優しかった。
「……和也お兄ちゃんのこと、お願いね。
私、もう“お兄ちゃん”のところには行かないよ」
「私が、和也を任されるのは、まだ先だと思うけれど。
──でも、約束する。和也を幸せにするわ。美由と一緒に」
「花音さん、南と話したいこと、あるんでしょ?
──私たち、少し散歩にでも行ってくるから」
そう言って、梨子はふわりと湯を出た。
その背中には、ほんの少し、大人びた余韻が残っていた。
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花音は、少し声音を低くして問いかけた。
「ねえ、南。あなた、和也とのセックスで“特別な力”を使ったんですって?」
「それね──」
南はすっと微笑み、まるで懐かしむように話し始めた。
「去年の沖縄旅行のとき、南さんが和也を”洗脳”しているのを見て”もったいない”って思ったのよ」
「もったいない?」
花音は眉をひそめる。意外な言葉だった。
「だって、あの力を応用すれば──洗脳なんかしなくても、もっと深く、強く、和也の心を射止められる気がしたのよ。快楽の、そのもっと奥へ──」
南は静かに、しかし確かな熱をこめて言った。
「だから、ずっとイメージしてたの。そしたら……できちゃったのよ」
「……はあ。やっぱり、血は侮れないわね」
「血?」
「あとで話すわ。じゃあ、他に何ができそうなの?」
花音が促すと、南は首を傾げた。
「美由から聞いたの。和也って、無意識に“気”を使って人の好意を引き寄せてるって。……たぶん、私もやってるんだと思う」
それは、花音も予想していたことだった。
南の“人に入り込む力”は、生まれつきのものではない。梨子のような天性ではなく、意図的で、計算された“接近”。
──その場を支配する術に、彼女は長けていた。
「それから……これ、驚かないでね?」
南は軽く深呼吸してから、声を張った。
「──“顔を見せて、冬美さん!”」
その瞬間。
まるで何かに操られるように、静かだった浴室の扉がゆっくりと開いた。
そこには、冬美がいた。
驚愕に見開いた瞳。
それは、自分の意志ではなかったと、明確に物語っていた。
花音は困惑した。
──冬美がそこに控えていたのは知っていた。
だが、気配はまったく感じなかった。
草としての技──それも、花音を凌ぐほどの“気配遮断”。
それを、南が感じ取ったとでもいうのか?
しかし、真相は違っていた。
南は気配を感じ取ったわけではなかった。
花音の口ぶりから、自分が監視されていたと直感し──
そして、その監視役が“冬美”という仲居頭である可能性に辿り着いた。
あとは名前を呼び、強く言い切るだけ。
──それは気の術ではない。ただの心理的駆け引き。
しかし、それが“達人”にすら届いた。
仮に美由がこの場にいたとすれば、理解しただろう。
南の声には、微弱ではあるが、確かに常人を超える“気”が込められていたことを。
それが支配力を後押しした。
花音は息を飲んだ。
「……はあ。貴女にはもう、全部話すしかなさそうね」
そして静かに、敗北を認めるように語り出した。
「貴女たち──一ノ瀬の一族の歴史は知っているわ」
「「──え?」」
花音と冬美の声が、ぴたりと重なった。
「私ね、もうお父様から“後継者の資料”は全部受け取ってるの」
それは──
南が、あの“二世帯住宅計画”を最速で進めるために、父親の資産とコネを動かす“交換条件”として引き継いだものだった。
「その資料の中に、“裏社会”に関するデータもあったの。
一ノ瀬一族って、表では知られてないけど……そっちでは有名なんでしょ? 今は活動休止してるみたいだけど」
「本当に……恐ろしい子ね、あなたは」
花音がぽつりと漏らす。
「褒め言葉として、受け取っておくわ」
くすっと笑ってから、南が視線を動かした。
「あっ、冬美さん。もういいわよ」
花音と目を合わせて合図すると、冬美は一礼し──気配すら残さず、消えた。
南はじっと扉を見つめていたが──
「……すごいわね、本当に。まるで“忍者”みたい。どこで消えたのか、まったく分からなかった……」
実のところ、冬美が消えたのは、南が花音に視線を向けたほんの一瞬だった。
それを見逃さないあたり──やはり冬美は、花音すら上回る“草の達人”だった。
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花音は、まっすぐ南に向き直った。
「私たちの一族は、“草の術”だけじゃない。“気”を操り、感じ取る力──それも受け継いでいるのよ。
そしてそれは……あなたにも、流れている」
「──そう。
だから、あんな力が使えたんだね。
……南姉さんも、私も」
「……えっ。貴女、自分の出生まで知っていたの?」
花音は驚愕した。
「ええ。お父様に『後を継ぎたい』って言った時に、教えてもらったわ」
南の声は、まっすぐだった。
「『だから無理して継がなくてもいい』って言われた。──でもね、血なんて関係ないの。
お父様とお母様は、私を本当に心から愛してくれた。
……だから、今度は私が恩返しする番なの。私が“幸せにする”の」
「強いのね、あなたは……。
でも、その力──どう付き合っていくつもり?
使い方次第で、人の心を簡単に操れてしまうのよ」
花音は、核心を突く。
南は静かにうなずいた。
「──使うわ。
私のまわりの人が幸せになるなら。
会社のためにも、必要なら。
そのために、私自身を差し出すことも、怖くない」
花音は思った。
(ああ、この子は私と同じ……。
でも──)
「……自分のためには、使わないの?」
「うん。だって、私は──私のまわりの人が幸せなら、それで十分。
私は……その幸せに包まれていたいの」
花音は、目を伏せた。
(私はアメリカで、自分の“私欲”だけで、どれだけの人を巻き込んできたんだろう。
この子は、それすら必要ないって言う。)
──完敗だった。
花音は知らない。
一年前、南は“南さん”に振られたあの日──
胸の奥で、こう誓っていた。
(私は……南さんを愛してる。
でも、愛されない。
だったら……私は和也を、愛するしかないじゃない──)
それでも彼女は、全てをなげうって和也に尽くす覚悟を持っている。
どこまでも──強い女だった。
「……ねえ、私と親友になってよ」
花音は、心の底から言った。
「えー、私はとっくに親友だと思ってたのに」
南の言葉には、少しだけ悪戯めいた響きがあった。
こうして、新倉南は──
一ノ瀬花音という、心強い味方を得た。
霞の里は南に敵対せず、むしろ“連携”すら望める、唯一無二の存在になった。
その笑顔が、どこまで本音なのか。
どこまでが計算なのか。
それは誰にも分からない。
ただ、その結果は──
彼女にとっても、
そして彼女のまわりの人々にとっても、
きっと、最善のものだった。
──新倉南。
やはり、恐ろしい女である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、新倉南という人物の“覚悟”と“本質”が、少しずつ見えてきた回になりました。
彼女の在り方を、皆さまはどう感じたでしょうか。
ぜひ、新倉南をどう思いましたか?
印象は変わりましたか?
感想欄やリアクションで教えていただけると嬉しいです。
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次回、
舞台は東京へ戻り、
和也と美久、二人きりの時間が静かに動き出す。
試すための関係ではなく、
想いを確かめ合う夜の先に、二人が見た“答え”とは――。
そして、美由の胸に芽生える、
小さくも確かな変化。
三人の関係が新たな段階へ進む。




