【第08話-18】それぞれの“一番”-和也・美由
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【Scene04.5:1年前6月】
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話は、和也が“救われた”直後に戻る。
全てを終えたあとの和也に、美由が静かに尋ねた。
「ねえ……千晴と、梨子ちゃんを呼び出してもいい?」
「えっ?」
和也は驚きに目を瞬かせる。
「決着をつけなきゃ。今ここで」
その瞳に宿る強い決意に、和也は何も言えなかった。
激動の時間は、まだ終わっていなかった。
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「でも、その前にお腹がすいたわ。何か食べましょ」
美由がにこやかに言う。
「そうだな……またステーキがいいな」
「また? いったい“誰との”ことを言ってるのかしら?」
美由の顔が一瞬、怖くなる。
「こ、この口はっ!」
和也の頬がぐいっと引っぱられる。
「ほめんなひゃい……」
和也は心の中で思った。
(俺、もう完全に尻に敷かれてる……これ、たぶん一生だな)
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梨子はその頃、朝から高橋家にいた。
「お姉ちゃん、これからどうするの?」
それは“今日の予定”ではなく、“これからの和也との向き合い方”を指していた。
梨子はあの日ああ言ったものの、本当は和也と向かい合う必要があると感じていた。
だが、千晴は動こうとしない。
「だって、私たちではどうしようもないじゃない」
千晴は、自分の力の及ばない事柄に対しては、つい逃げの姿勢を取る癖があった。
(それは少し先の未来、とても重要な“出会い”の場でも繰り返されることになる――けれど、それはまだ語られない)
その時、千晴のスマートフォンに着信が入った。
「美由?」
「きっと和也お兄ちゃんのことよ」
「はい、千晴です」
「千晴、今日午後、時間ある?」
「……ええ、大丈夫よ」
「分かると思うけど、和也のことよ」
「そう、でしょうね……」
「いつものホテルの前に、14時に来れる?」
「分かった、行くわ」
通話を終えると、梨子が声を掛けた。
「どうなったの?」
「“いつものホテル”に14時だって」
「そっか、きっと和也お兄ちゃんも一緒だね」
「そうね……」
「きっと美由さんが、全部解決したんだよ」
梨子は確信しているように笑った。
「どうして、そう思うの?」
千晴には分からない。
「だって、わざわざ“いつものホテル”ってことは、もう“やる”わけじゃない。
つまり、もう問題は解消してるって証明でしょ。
うーん……先週も同じようなこと言った気がするけど……お姉ちゃん、こういうことに関しては本当に鈍いんだよね」
(あなたが鋭すぎるのよ……)
千晴はそう言いたかったが、自分が鈍いのも事実なので、ただ黙っていた。
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その頃、美由と和也の食欲は底なしだった。
「花音が言ってたよ。“気の力で体力は増しても、実際に動くのは食べ物の栄養だから、ちゃんと食べなさい”って……あっ」
和也はまた、うっかり別の女の名前を出してしまったと焦る。
「それくらい名前に出てもいいわよ。でも、これって太らないのかしらね」
「その分、消費してるから大丈夫じゃない?
それに美由の場合、おっぱいに全部栄養が行ってるんじゃ……」
和也がそんなことを言い出すと、
「こんな所で、そんなこと言わないの! 誰かに聞かれたらどうするの!!」
美由は焦って顔を赤くする。
「大丈夫、周りの席には誰もいないし、店員も引っ込んだままだよ」
そこは少し奥まった、外から見えにくい席だった。
だが逆に、和也たちからも周囲が見えにくい場所でもあった。
「それ、あなたが言ってた“気で周りの様子が見える”ってやつ?」
美由はびっくりして尋ねる。
「ああ、そうだよ。それに、美由が俺の中の“気”を矯正してくれたせいか、見通せる範囲がすごく広がった気がするんだ」
美由はじっと和也を見つめた。
「あなたから薄い“気”が、遠くまで四方八方に放たれているのが分かるわ」
「そうなの? 自分じゃ分からないけど……」
「それに、周りの人の“気”を反応させて、感知しているのね。かっこいい……ヒーローの特殊能力みたい」
思わず惚れ直してしまう美由。
その様子に気付いた和也も、
(俺の“恋域索敵”も役に立つじゃん)
などと心の中でつぶやいていた。
既に、二人の間には“バカップル感”が漂い始めていた。
十分に腹を満たした二人は、ホテルの部屋で待つことにした――。
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【Scene04.6:1年前6月】
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和也と美由は静かな時間を過ごしていたが
ふと和也かまが顔をあげた
「──あっ、千晴と梨子が来た。今、このビルに入ったよ」
何でもないことのように和也が呟く。まだ、約束の時間まで20分はある。
「あなた、ここ12階よ? それで、地上のことが感じ取れるの?」
「……あの二人は、よく知ってるから」
「体の隅々まで、ってこと? だから気を感じやすいのね」
「たぶん、な」
美由は小さくため息をついて、少し拗ねたように言う。
「はぁ……花音から聞いてたけど、ほんとにスーパーマンみたいね」
「いやいや、そんな大層なもんじゃないよ」
和也は、苦笑を浮かべた。
「ううん、超能力的なことだけじゃなくてさ……たとえば、体を動かすのも。短距離なら普通でも、気の循環で力を出し続けたら、長距離とか、すごくなりそうじゃない?」
「……さあ、髪はもう乾いたかな」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、迎えに行ってくるよ」
「お願いね」
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1階ロビーでは、梨子が千晴に語りかけていた。
「お姉ちゃん……和也お兄ちゃんに、どんなふうに話しかけるか、決めた?」
「……まだ。決められない。わからないよ……」
そして、ぽつりとこぼす。
「だって、私は無力だもの……。和也を救えなかった……」
そのとき、エレベーターが開いて──和也が現れた。
「えっ……和也……?」
「和也お兄ちゃん、まだ約束の時間まで15分あるよ?」
「うん。千晴と花音の“気”を感じたからさ」
「……いつもの部屋でしょ? 最上階なんだから、12階……」
「なんだか、力がみなぎっててさ。美由のおかげかな」
その言葉に、千晴は黙り込む。
だが、調子に乗っている和也は気づかない。
「──和也お兄ちゃんのバカッ!」
梨子が鋭く叫んだ。
「千晴お姉ちゃんが、今どんな気持ちか、わかってるの!?」
「超能力とかなんとか知らないけど、どんなに遠くの人の“気”を感じられても……」
梨子は一歩踏み出し、和也を睨む。
「目の前の人の“心”がわからないなら、意味ないじゃん!」
「……えっ……」
「千晴お姉ちゃんが、どんな思いでここに来てるか、わかってないの?」
「そんな……」
「最低だよ、和也お兄ちゃん」
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部屋に戻ると、ドアが閉まると同時に美由が切り出した。
「ねぇ、千晴。あなた──和也と別れて」
「美由さん!? いきなり何言い出すの!」
梨子が割って入るが、美由は構わず続ける。
「あなた、和也を愛してるんでしょ? なら、なんで逃げたの?」
「……いや、美由。さっきも言ったけど、あれは俺が……」
「和也、黙ってて。今は千晴に話してるの」
千晴は、涙を浮かべたまま訴える。
「だって……私に、何ができたっていうの……? 私には、花音や和也みたいな特別な力なんてない……」
「私は……嫌われたくないの。傷つきたくないの……。みんなに、好かれていたいの……」
「──だから、傷ついた和也を捨てたの?」
「自分が傷つくのが怖くて? 救えなかったら嫌われるかもしれないから?」
「たった5日間、距離を置いただけじゃない」
千晴は、自分の言葉が言い訳に過ぎないことを理解していた。
「なら……その5日間、和也がどんな気持ちでいたか、想像した?」
美由の声に力がこもる。
「私が和也の彼女だったら──絶対に一人にはしない。
休みの日は全部、和也に捧げる。毎日、電話して愛を伝える。
あなたは、私と違って“すぐ隣にいた”のに、肩を抱いてあげることだってできたのに……何してたの?」
その問いに、千晴ははっと顔を上げ、和也をまっすぐ見つめて口を開く。
「……さっきね、ロビーで私は、“和也に何て話しかければいいか”決められずにいたの」
「お姉ちゃん……」
梨子は口を開きかけたが、その表情を見て言葉を飲み込む。千晴は、何かを決意していた。
「だから、和也が笑顔で現れた時──ほっとしたの。
“もう悩まなくていい”。
“きっと和也が『千晴、俺はもう大丈夫。全て元通りだよ』って言ってくれる”──そんな都合のいいことを考えてた」
部屋には沈黙が落ちた。
「でも……和也の口から出たのは、美由の名前だった」
「私は……嫉妬した。“何もしなかった私”が、“必死で和也を救った美由”に嫉妬したの……。そんな資格、ないのに」
梨子がそっと千晴の肩に手を置く。
和也は、ただ黙っていた。
「──それで、どうするの?」
美由の声は、もう優しくなっていた。
「ありがとう、美由。和也を救ってくれて……
そうだよね。私には、和也の隣にいる資格なんてないよね……」
千晴は梨子に微笑みかける。
「梨子、いつもありがとう」
そして、和也に向き直った。
「和也。……別れてください」
「私には、あなたの隣にいる資格……いえ、“力”がありません。私は弱い人間です」
「このまま一緒にいても、私はあなたに“守られるだけの関係”になる。
さっき話したロビーでの期待が、その証拠……
私はきっと、あなたに守られ、許されるだけの存在になる」
「──それじゃ、だめなの。
あなたには、“隣に立てる”美由が似合ってる」
「だから──さようなら」
千晴は、心の中で問いかける。
(最後は……笑えていたかな?)
その答えは、そこにいた三人だけが、心の奥にしまった。
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【Scene04.7:1年前6月】
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「ねえ、千晴、梨子ちゃん」
美由が、ふいに切り出した。
「最後に──和也とセックスしていかない?」
「へぇ……」
千晴は、思わず変な声を出した。
「本当!? やったーっ!」
梨子は、反射的に歓声を上げる。
だが──
「駄目よ。帰るわよ」
千晴は、はっきりと言い切った。
「えーー、そんな殺生なぁ〜」
「これは、私が逃げないための線引きなの」
その声は、驚くほど強かった。
「じゃあ千晴お姉ちゃんだけ帰りなよ〜〜〜」
「ここで甘えたら、私はまた“許される側”に戻る」
そう言い捨てると、千晴は梨子の腕をつかみ、そのまま引きずるようにしてドアへ向かう。
そして──振り返ることなく、部屋を出て行った。
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取り残された和也と美由は、顔を見合わせた。
「……千晴、少し強くなれたのかな」
そう呟く美由に、和也は黙って、しかし確かにうなずいた。
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【Scene04.8:1年前7月】
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時は、再び七月へと戻る。
和也の部屋で、和也と美由は、まだ身なりも整えぬまま、事後の余韻に身を委ねていた。
──そのとき。
ピンポーン。
玄関チャイムが鳴る。
美由が、小さく息をのんだ。
ピンポーン。
順調に見えた二人の交際における、唯一の“やっかいな存在”が現れた。
「……っ!」
美由は慌てて洗面所へ身を隠す。
和也がこの部屋を選ぶ際にこだわった、トイレとは独立した広い空間だ。大人ひとりが、難なく身を潜められる。
ピンポーン。
「おーにーいーちゃーん、いーれーてー♪」
その子供じみた声に、和也は顔をしかめた。
「……梨子」
バタバタと最低限の身支度を整え、扉を開ける。
「だから言ったろ。来る前には連絡入れろって──」
「え〜、別にいいじゃん。そのくらい」
涼しげなワンピース姿の梨子が、悪びれもせず唇を尖らせる。
やけに胸元の開いたデザイン。かがめば、控えめなバストの奥まで見えそうで──いや、完全に見えている。
……絶対、狙ってる。
「千晴お姉ちゃんと付き合ってた頃は、いつも一緒にいたじゃん」
「その千晴のことだけどな。お前、最近よく来てるけど、放ったらかしにしてないだろうな」
「え〜? 今は火曜と水曜がお休みだよ?
千晴お姉ちゃん、またデスクワークに戻ってるもん」
ケロリと答えながら、梨子は部屋の中を覗き込む。
「そういえば……美由お姉ちゃんは?」
「いつから“お姉ちゃん”になったんだよ、美由が」
「だって、お兄ちゃんを共有するんだよ?
“竿姉妹”って言葉もあるじゃん♪」
「その言葉、どこで覚えたっ!!」
「花音さんに教わった〜♡」
悪びれる様子もなく、首をかしげて微笑む梨子。
「えーとね、『ツッコミ入れるんじゃなくて、突っ込んで欲しいの』──ってやつ!」
「花音さん……俺の可愛い従姉妹に変なこと教えないでくれ……」
和也は、本気で泣きそうだった。
美由はもう慣れたものだ。聞こえていても気に留めず、シャワーへと向かった。
(……あの子には、勝てる気がしない)
ため息が、ひとつ。
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「お兄ちゃん、そんなに梨子の胸が気になるの〜?」
ちらちらと視線が泳ぐ和也を、梨子はからかう。
彼の膝の上に、ちょこんと腰を下ろす。
大胆に開いた胸元から、柔らかな素肌がのぞいていた。
しかも、意図的に大きめのブラを選んでいるのだろう。浮かせて、“見せている”。
「なあ、梨子。お前、あれ以来、千晴は身を引いてくれたんだぞ」
それが何度目の問いだったか。
だが、梨子の答えは変わらない。
「千晴お姉ちゃんはお姉ちゃん。私は、私だよ」
梨子は、和也の膝から降りようとしなかった。
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しばらくして、シャワーを終えた美由がリビングへ戻ってくる。
目に映ったのは、ソファで相変わらず和也の膝の上にいる梨子の姿だった。
──まだ、それ以上のことはしていないようだった。
美由のいないところでは、越えない。
それくらいの遠慮は、覚えたらしい。
だが、きっと今晩も梨子は帰らないだろう。
そうなれば、必然的に──。
梨子は、無敵だった。
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そしてこの関係は──
「新倉南との復縁まで」という、期限付きで続けられる。
その決着が訪れるのは──来月のことだった。
これでひとつ、終わりました。
和也は“救われ”、
千晴は“逃げない選択”をし、
美由は“隣に立つ覚悟”を示した。
誰かが勝って、誰かが負けた物語ではありません。
それぞれが、自分の弱さと向き合い、
自分の立ち位置を選び取った──その結果です。
恋は、力の有無では続きません。
けれど「隣に立つ覚悟」がなければ、続かないこともある。
三人の関係は、ここで一度、きちんと決着しました。
だからこそ、この先に進めるのです。
次回、
二つの想いが、同じ夏に動き出す。
誕生日までに決着をつけようと決めた千紗。
限られた時間の中で、美由との関係を見つめ直す和也。
それぞれの「一番」を胸に、
運命は静かに交差していく――。
夏はまだ、終わらない。




