カミサマの言う通り
波と風の音しか聞こえなかった丘に、ざわめきが混じった。俺以外にも終末の世界にやってきた人間がいるのが本当だと確信して、安堵のような、不安のような変なため息が出た。
扉の先は先ほどとは違う、暗闇にスポットライトのような光が差す不思議な空間だった。カミサマの後を追って再び扉をくぐると、ライトの下に集められた群衆が各々の想いを吐いていた。
「明日から会社に行かなくて済む……!」
「そっか。もう、貢ぐ必要はないんだ」
「やっと死ねたってこと?」
ざわめきの中からそんな声が聞こえてきた。カミサマへ目を向けると聞き入るように目を閉じて、満足げに頷いていた。
終末を望む歓喜の声がマジョリティを占める中、
「……どうしよう、描けない」
ぽつんと、ライトの灯りが届くギリギリに手をついて座り込む男性の姿があった。
彼の様子が気になって、注視していると、さらにこんなことを呟いていた。
「何も描けない。もう締め切りも、ストレスもないはずなのに。世界で一番嫌いなはずのクソ編集の怒声すらちょっと恋しいなんて」
漫画家なのだろうか、近づいてみると、男性の目の前には一コマだけ描かれた人の顔と、空白の吹き出しのみの原稿用紙が置かれていた。
終末の世界を嘆いているのは、その男性だけではなかった。
「家に帰りたい」「早く会いたい」「今日も配信しないと」
意外な反応だったのか、カミサマは小さく声を漏らして、眉を顰めていた。
「やっぱ、俺受け入れられねぇよ。この三年、いや、もっと昔から続けてたのに、こんな形で終わるとか」
聞き覚えのある声に視線を向けると、制服を着たタツキの姿があった。タツキは両拳を握り締め、わずかに震わせていた。
サッカーが好きだというのは知っていたが、それほど彼が本気で部活に取り組んできたのは知らなかった。万年帰宅部の俺にとっては彼の気持ちを完全に理解することができなかったが、悔しそうに下唇を噛んだタツキの表情を見ると、純粋に報われて欲しいと思った。
「……でも、仕事終わりのビールが一番美味いんだよな」「なんか、満たされない」「私、なんで死にたかったんだっけ」
次いで、そんな声も聞こえた。その空間に集まる人は、いつの間にか、声を大きくし、元の世界を懇願し始めた。群衆の視線は全てカミサマに向けられていた。
「なんで……みんなが望んだから連れてきたのに、見せたのに、なんで、どうして、何が不満なの?」
カミサマはライトの下へ歩み寄ってきた。不満の声に混ざり、特徴的な足音が不規則なリズムで耳に届いたのは、彼女が動揺しているからだろうか。
「頼んでない、元の世界へ返せ!」
どこで拾ったのか、誰かが投げた透明な石がカミサマの顔面に命中した。そのまま仰向けに倒れた彼女に慌てて駆け寄った。上半身を起こした状態で座らせると、カミサマは「なんで、どうして」とひたすら呟いていた。カミサマは突然の出来事に理解が追いついていないようだった。鼻から幾度となく溢れ続ける血を気にすることなく、愕然としたまま群衆を見つめていた。
放心状態の彼女の代わりに鼻を押さえてやっても、指の隙間から滴る真紅がカミサマの白いシャツに歪なまだら模様を描いて染めていく。
「なんで、みんなが嫌った学校も、会社も、全部全部消したのに、みんなが望んだからそうしたのに、なんで今更、そんなこと言うの」
カミサマは碧の右目から静かに涙を流した。涙は頬を伝い、顎の先で鼻血と混ざると、さらに洋服に模様を作った。
「別に本当に無くなって欲しいわけじゃない」
別の誰かが言った。
「みんながみんなそう望んでるわけないでしょ」
不満の声はどんどん大きくなった。今や滅んでよかったと喜ぶ声はかき消え、血を流すいたいけな少女を心配する声もなかった。
あまりにも一方的に責められている様子に胸が締め付けられた。彼らの言い分もわかるが、そこまで彼女を糾弾する必要はないだろう。
肩を支える手に、思わず力が入り、群衆を睨みつけた。
「じゃあ、どうすればよかったの! どうしたらみんなを幸せにできたの? みんなの願いから私は生まれたのに、世界を滅ぼしたのに……!」
カミサマは俺の手を払い除けて反駁した。
涙は憎しみを閉じ込めたような左目からは流れず、絶えず右目からのみ流れた。
大きくなる声と比例するように、彼女へ降りかかる石礫の数も増えた。
彼女を庇うように抱きしめると、一際大きな石がこめかみを掠めていった。波打つ痛みを抱えたまま、俺は真後ろにあった扉まで駆けて、転がり込むように潜った。
攻め入られないよう、閉めた扉にもたれかかったが、扉を叩く音どころか、喧騒さえも聞こえてこなかった。
少し経って、側頭部が熱く痛み出した。触ってみると、ぬるっとした不快感が指先に付着した。
赤く染まった指を制服に擦り付けながら少女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
カミサマは眉をひそめて、小さくため息を吐いた。
「……私には、人間がわからない」
諦めるような、上手くいかなかったことを悔いるような、そんな切ない表情を向けられた。
それもそうだ。良かれと思って、彼女なりの救済の方法を取ったにもかかわらず、実際には全人類の敵のように指を指され、文字通り石を投げつけられた。
なんとか彼女を救う方法はないかと頭を捻ってみても、俺はその様子を、ただ呆然と見つめることしかできず、自分の無能さに喉の奥が圧迫されるような感覚に陥った。




