終末世界
* * *
重い瞼を開けるのが億劫で、覚醒しても体は横にしたまま起きあがろうとはしなかった。
長い眠りについていたような気がする。そんなだるさが体を襲った。
——なんだ、滅んでないのかよ。
心の中で舌打ちをしてみても、実際に溢れたのは失望に満ちたため息だった。
いつまでそうしていたか、硬い床が痛くて、ようやく目を開けた。
「あれ、俺確か部屋にいたはず……」
状況が飲みこめず、身体を起こすと、辺りには見たことのない景色が広がっていた。ただただ白く、それでも柔らかな光が包むような、暖かい場所だった。例えるならウユニ塩湖のような、そんな幻想的な世界に見惚れていると、
「どう、終末の世界は」
そんな声が耳に届いた。淡々とした抑揚のない話し方は、先ほど百秒を数えていた声と同じものだった。
声のした方に視線を移すと、少女が一人、膝を抱え込むようにしゃがんでいた。歳は十二、三歳くらいだろうか。
彼女は絹糸のような真っ白な髪の毛に、碧眼と赤眼を片方ずつ携えている。まるで作り物のようで、けれども魅惑的で目が離せなかった。
少女が髪を耳にかけると、顕になった歯車の耳飾りが金属の重なる音を立てて揺れた。
「どうって……思ったより普通、というか。いやでも綺麗だな」
訊きたいことは山ほどあるのに、ここが滅んだ世界だというのを不思議と受け入れている自分がいた。
夢の線を疑うこともできたが、ここまで意識がはっきりある夢を今までに見たことはなかった。頬をつねらなくても分かる感覚に自然とその線は消えていた。
「嬉しい?」
少女はどこか楽しそうに口角を上げて問いかけてきた。
「そうなんだろうけど、どうだろうな……実感はまだ湧かないな」
「そう」
少女はゆっくりと立ち上がると、俺に背を向けた。
焦茶色のサスペンダーがついたスカートは少し重そうで、腰につけられた大きめのベルトにはポーチや懐中時計や大小様々な歯車がぶら下がっている。
こういうのをたしかスチームパンクと呼んだような気がする。ソシャゲのイベントでキャラクターが纏っていた衣装に似ていた。
俺は少女の後を追うように、重い身体を起こして立ち上がった。
「君は一体、誰なんだ?」
「カミサマ」
立ち止まって振り向いた少女に答えられた。
白髪から覗く左眼の瞳は緋色に輝いている。
「カミサマ?」
ありえない、そんな超常的な存在、いるはずがない。数十分前の自分なら、そう答えていただろう。神なんて何かに縋りたくなった人間が作り出した虚像に過ぎないと、彼女の存在を否定していたはずだ。
それでも、終末の世界同様、どこか受け入れている自分がいた。
「私はね、人間の願いから生まれたの。あなたたちが世界の終わりを望んだから、私はここにいて、あなたもここにいるの」
屈託のない笑顔で、少女は両手を差し出した。彼女の手にはスカートと同じ素材の指抜きグローブがはめられていた。
カミサマを自称する彼女に魅入られて、その手を取った。手のひらは小さく、指先は冷たく、けれどもなぜか安心感を覚えた。
「そうか、本当に滅亡したんだな。予言通り」
「うん。これが、みんなが待ち望んだ終末だよ」
カミサマに手を引かれるまま、鏡のような床を歩いた。カツカツと、一定のリズムで聞こえる金属の擦れる音が気になって、その音の正体を探った。見ると、少女の右足がガラクタを集めたような金属でできていた。
絹のような白髪、左右色の違う瞳、冷たい手、機械でできた片足。カミサマと呼ぶには全体的に作り物のようで、羽衣を纏った日本の神秘的なイメージとは異なった。
「こっち」
連れて行かれた先にはぽつんと佇む白い扉。よく見ると木製特有のささくれやヒビが入っている。そのアンティークなどこでもドアを開けると、先に広がるのは一面の真っ白な雲海だった。
「ここは痛みも苦しみもない世界。怒られることも傷つけられることもない、みんなが幸せになれる世界なんだよ」
扉をくぐると、優しい風が吹いた。まるで身体を包み込むような心地よさにふと目を閉じた。
しばらくそうしていると、また少女の声がした。
「ほら、このあざも私が全部治してあげる」
カミサマはグローブを外して腰のポーチにしまうと、俺の二の腕をすうっと撫でた。すると、みるみるうちに紫色のあざが薄くなり、やがて消えていった。
目を疑う現象に言葉が出ず、代わりに少女を見つめると、得意げな笑顔を向けられた。
「あり、がとう」
カミサマには敬語をつけるべきか悩んだが、見た目が幼いせいか、つい対等な口調で返してしまった。しかし彼女は特に気にした様子もなく「どういたしまして」と返すばかりだった。
「……他にも誰かいるのか? この世界に」
俺と彼女以外に人気はなかったが、「みんな連れてきた」というのであれば、他に誰かいてもおかしくなかった。
「うん。ひとりぼっちは寂しいから」
彼女の海を閉じ込めたような右目が少し淀んだ気がした。
「これでやっとみんな幸せになれるね」
「みんな?」
彼女が指す「みんな」の中に、元凶がいるかまでは聞かなかった。聞けなかった。
遠足が楽しみで仕方がない子どものような、無邪気な笑顔で答える年端もいかない彼女の表情を見ていると、全てがどうでも良いように思えた。
「うん。ケンジみたいに悩む子はいなくなるから」
名乗った覚えはないが、さっきの怪我を治したことといい、カミサマはなんでもできるし、知っているのだろう。もう驚きはしなかった。
「私がみんなの願いを叶えてあげたの」
「……願い、か」
クソみたいな世界を恨んで、なくなればいいと願ったのは事実だ。カミサマの口ぶりからして、俺みたいな人間は他にもたくさんいたんだろう。
家庭環境に問題がある以外にも、学校に居場所がなかったり、愛する人を亡くしたり、世界がなくなってほしいと願う理由なんて様々だろう。
テストが嫌で滅んでほしいと願う人だっているはずだ。
それなのに、頭に浮かんだのは、下校中にやり残したことを語ったタツキの顔だった。
他にも、祭りを楽しみにしていたクラスメイトのことや、関係ない人のことを想像すると、どこか胸の奥が締め付けられるような煮え切らなさが芽生えた。
「嬉しくないの?」
俺にとってはこの世界が好都合でしかないのに、カミサマの言うことを心の底から称賛できなかった。
彼女の問いかけに答えられず、ただ空を仰いだ。そんなことをしても答えなんか降りてこないのに、うまく言葉を紡ごうとして、さらにあたりを見回した。丘と、海と、空が遠くまで続いているだけのこの場所では、少なくとも、やり残したことを実現できるような環境にないことは確かだった。
「……俺にとっちゃ願ったりの世界だが、他のやつはどうだろうな。夢や目標に向かって頑張っていたやつがいたのは確かだから、俺だけじゃなくて、他の人の意見も聞くべきだとは思う」
そんなふうに言葉を選んで、カミサマの顔色を窺った。
「そっか、そうだね。うん、わかった」
納得するように頷いたカミサマは、踵を返して入って来た扉を開けた。




