カウントダウン
* * *
こんな時間に制服を着たまま学校を背にして歩くのは初めてだった。
梅雨が明け、茹だる暑さが顔を覗かせつつある七月初旬。
通学路をタツキと並んで歩いた。
「滅亡、かぁ」
独り言とも取れる大きさでタツキが呟いた。
俺はどう反応していいかわからず、ただ俯いて次の言葉を待った。
「ケンジどうすんの」
沈黙に耐えきれなかったのか、察したのか、右から声が聞こえてきた。
「どうって、別に何も。どうせ何かの偶然にしかすぎないんだから」
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと返した。
「そっか。あーあ、俺やり残したこといっぱいあったのになー」
頭の後ろで腕を組みながらタツキは気の抜けたラッパのような声を出した。
先ほどの真剣な表情ではなく、拭いきれない不安と哀愁が漂う困り眉をしていた。
お目当てのパンが買えなかったときの顔と大差なく、それがおかしくて吹き出すのを堪えるために、思わず目を逸らした。
一つ咳払いをして表情を整えた。深呼吸して心を落ち着かせると、改めてみんながみんな当たり前のようにこの現状を信じて、受け入れている光景は異様に映った。
「やり残したことって、たとえば?」
「今月末のインハイと、文化祭と、修学旅行と……」
「イベントばっかだな」
「ケンジは? そういうのないの」
「——俺は」
やり残したことなんかない。むしろこんな世界が一斉に終わるなら本望だ。あとグサれも何もない。
ブレザーの上から二の腕をさすって、そのまま制服を強く握った。シワがつくことも気には留めなかった。
「こんな世界、滅べばいいと思うよ」
タツキに目を向けることなく、相手に聴こえないくらい小さな声でそう呟いた。
首を伝った汗が、毒の溢れるように地面に落ちて、小さなシミを作った。
* * *
二丁目に住むケンジと別れて閑静な住宅街の一角、駅からもコンビニからも少し歩く場所にある家に向けて歩みを進めた。
この時期になると、辺りをクマゼミがけたたましく鳴き、より一層暑さが増すように感じて嫌だった。
滝のような汗をかきながら太陽に熱された玄関のドアをそっと開けて、中を覗いた。
廊下の奥から生温い不快な風が頬を撫でた。エアコンはつけていないらしい。
中に入ると、極力音を立てないよう靴を脱いで、上り框を上った。
そのまま息を殺して二階へ進むと、自室のドアをひき、素早く中へ飛び込んだ。
暗く狭い四畳半の子供部屋は、高校生男子には窮屈で仕方ないはずなのに、家の中で一番息がしやすかった。
「ふう」
カバンを下ろすと、制服のままベッドに上がり込んで背中を丸めた。
エアコンのない密室状態の部屋で長袖のブレザーを着込んだままだと、病気になりそうな暑さに頭がクラッとした。
まとわりつく汗が気持ち悪く、急いでブレザーをベッドの外に投げ捨てた。
部屋には、荒い自分の息遣いだけが響いた。
再び膝を抱えると、半袖シャツの袖から伸びる両腕に、青黒く変色したあざが不規則な模様を作っている。
「見えるとこにつけんなやクソ親父」
毒を吐いても、あざが消えることも、痛みが引くことも、元凶がいなくなることも無かった。
諦めるようにため息を吐くと、カーテンに締め切られた窓を見た。
ベッドの上を四つん這いで進むと、日焼けしたカーテンを右にスライドさせた。
窓の向こうには高い空と、大きな入道雲がのうのうと浮かんでいた。
「ふん、何が滅亡だ」
青々とした空を睨みながら終末感の全くない空に悪態をついても、当たり前だが返事が返ってくることはない。そもそも、人類滅亡なんて微塵も信じちゃいない。
世間が変に騒いでいるだけで、どうせ数日経てばみんな忘れる。何事もないように、平気なふりをして生きていく。
俺もそう、タツキだってそう。あの変なオカルト団体だって、ほとぼりが覚めたら歩道橋からいなくなる。そういうものだ。
そのはずなのに、なぜか心の奥がざわめいている。
——もし世界が滅んだら? もし一斉にこの環境が終わったら?
願ったりだ。こんなクソみたいな世界、滅んだほうがいい。
同じ条件で全部なくなるなら、もう惰性で続けていたソシャゲのログインもしなくていいし、毎日ある課題も小テストも受けなくていいし、何より殴られなくて済む。
ぼうっとする頭で空を眺めていると、だんだん瞼が重くなってきた。汗をかいたからなのだろうか、襲う睡魔に耐えられず、そのままベッドに体を横たえた。
寝て起きたら全てなくなっていたらいい。何度も願ったことだった。けれども、世界はそんな都合がいいはずもなく、ただ一分一秒が無駄に過ぎていくだけだった。カチカチと掛け時計の秒針を刻む音を聴きながら、片手でシャツのボタンを一つ外して、胸元に風を送り込む。
「百、九十九、九十八、九十七……」
遠くからそんな声が聞こえる気がした。女の子の声だった。
「九十六、九十五、九十四……」
抑揚のない、淡々とした喋り方で数字を数えている。
夢か現かわからない微睡の中、俺はその声に耳を傾けた。
なんのカウントダウンか、気に留めることもなく、刻々と減っていく数字に身を任せた。
「四十五、四十四、四十三……」
異常に気がついたのはカウントが減っても減ってもなかなか寝付けず、部屋の中が目を閉じていても眩しいくらいに輝き出した頃だった。
「なん、だ……?」
頭もだんだん冴えてきて、どこから流れてきたかわからない少女の声は、耳を塞いでも脳内に直接届くようで気味が悪かった。
とうとう暑さにやられたかと覚悟しても、その異常事態に陥っているのはどうやら自分だけではないらしかった。
カバンから取り出したスマホのSNSをチェックすると、「謎のカウントダウン」がトレンド入りしていた。
「やばいやばいやばい‼︎」「待って、あの予言ガチなんか?」「やだ死にたくない‼︎」
タイムラインはユーザーの阿鼻叫喚で溢れかえっていた。
「これって、」
呟いて、目が痛くなるほど、一層眩しさを増す窓の外に、細めた目を向けた。
「まさか、本当に終わるのか……?」
そうつぶやく頃には、脳内に届くカウントダウンは十秒を切っていた。
「あはは、はは」
掠れた笑い声を漏らすことしかできず、俺は窓の外を見たまま、滅亡の瞬間を待った。
——これでやっと解放される。
そんな場違いな、それでも心に抱いた本音に、どこか安心するように目を閉じた。




