魔道士セオは変えられない
魔導士のセオが解決しようとしているのは、たった一つのことだ。 幼馴染であり、今や反乱軍のリーダーとなった騎士・ルカの「復讐心」を消し去り、彼を確実な破滅から救うこと。 そのためにセオは、ルカを魔法で深く眠らせ、彼の精神世界へと潜り込んだ。
セオの魔法は、人の記憶や感情に干渉し、認識を書き換えることができる。 ルカの精神世界は、冷たい吹雪に覆われた荒野だった。そこには、ルカが国に家族を理不尽に奪われたあの日の光景が、氷の彫像のように生々しく立ち並んでいる。
「……こんな冷たい世界に、ずっと一人でいたんだな」
セオは杖を振りかざし、温かな光の魔法を放った。 憎しみの記憶を、穏やかな日常の幻で上書きしていく。家族と笑い合った日の記憶だけを残し、彼を狂わせた絶望をすべて白く塗り潰す。ルカの心が平和になれば、反乱は止まり、彼は生き延びることができる。
光が荒野を包み、氷が溶けかけた。
だが、次の瞬間だった。
パリッ、と甲高い音が鳴り響き、光の幻がガラスのように砕け散った。 砕けた幻の下から、再び猛烈な吹雪が吹き荒れ、以前よりも強固な氷の壁がセオを弾き飛ばす。
「な……っ」
『俺の痛みに、触れるな』
吹雪の中から響いたのは、ルカの魂の叫びだった。 セオは息を呑んだ。何度、光の魔法で記憶を上書きしようとしても、ルカの心の奥底にある深い悲しみと怒りが、魔法をいとも容易く打ち砕いてしまう。
「なぜだ、ルカ! このままじゃお前は死ぬんだぞ!」
セオは叫びながら、さらに魔力を込め、まばゆい光で再び荒野を覆い尽くして無理やりに平和な日常の幻を形作ろうとした。
しかし、その光景はあまりにも不自然で、残酷だった。
作り物の家族が笑いかけるたび、ルカの足元から血のように黒赤く濁った氷柱が突き出し、美しい幻を次々と串刺しにしていく。
『俺から、あの日の痛みを奪うな……っ!』
吹雪の奥から響いたのは、単なる怒りではなく、血を吐くような悲痛な慟哭だった。彼にとってこの凍てつくような絶望は、理不尽に奪われた家族への愛を証明する、この世に残された唯一の繋がりだったのだ。痛みを消すことは、家族の死をなかったことにするのと同じだという彼の執念が、猛吹雪となって荒れ狂う。
圧倒的な拒絶の嵐に、セオの杖にピキリと亀裂が走った。
次の瞬間、光の魔法は脆い飴細工のように完全に粉砕され、セオ自身も強烈な衝撃で後方へと吹き飛ばされた。
冷たい氷の床に叩きつけられ、ひどく痺れる手を見つめながら、セオはようやく己の傲慢さを思い知った。
心は、決して手品のような魔法で書き換えられるものではない。
どれほど強力な魔法を使おうと、彼が流した血の涙も、夜を徹して抱え込んだ絶望も、無かったことになどできない。心を変えるということは、手軽な魔法で表面を塗り替えることではなく、その傷の深さと重さを丸ごと受け入れるということなのだ。
セオは、ひび割れた杖を静かに下ろした。
「……俺が間違っていた」
小手先の魔法で彼を救おうなど、ただの傲慢だった。
セオは自ら魔法を解き、現実世界へと帰還した。 薄暗い部屋の中で、目を覚ましたルカが跳ね起き、即座に枕元の短剣をセオの首筋に突きつける。
「……俺に何をした、セオ」
「お前の復讐心を消して、平和な記憶を植え付けようとした」
セオは隠さずに言った。ルカの瞳に、鋭い殺気が走る。
「だが、無理だったよ。お前の心は、そんな簡単に書き換えられるほど軽くはなかった。当然だよな」
「……」
「ルカ。俺はお前を止めたい。お前が死ぬのを見たくない。でも、お前の過去を奪う権利は俺にはない」
セオは首筋の刃を恐れることなく、一歩前へ踏み出した。
「お前の心は変わらない。だったら、俺が変わる。お前の憎しみも、悲しみも、これからは俺が半分背負う。だから、一人で死に急ぐな」
ルカは目を見開いた。
刃を持つ手が、わずかに震えている。
「お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか……。俺の隣に立てば、お前も反逆者だぞ」
「分かっている。魔法で綺麗に解決するつもりだったが……こうなったら、泥臭くいくしかない」
セオがまっすぐにルカの目を見つめ返すと、やがてルカは深くため息をつき、短剣をゆっくりと下ろした。
「……お前は、昔から本当に呆れるほど不器用だな」
「お互い様だろ」
ルカの心から復讐の炎が完全に消えたわけではない。 だが、彼の張り詰めていた表情には、かつて二人で過ごした頃のような、ほんのわずかな温もりが戻っていた。
心は簡単には変わらない。
けれど、小手先の技術ではなく、誰かと真正面から向き合い痛みを分かち合う覚悟を決めた時、分厚い氷は少しずつ溶け始めるのだ。




