名探偵とは名ばかりの
「不思議な事件や、偶然の一致。我々がそれを求めるのなら、我々は現実の中を探しにゆかねばならぬ。現実というのは、どんな想像力をも凌駕するのだから」
昼下がりの侯爵邸。柔らかな日差しが差し込む私室で、主であるヴィクトリアお嬢様は、読み終えたばかりの朝刊をテーブルに置き、目を輝かせて私を見た。
「誰の引用ですか?」
「最近話題の作家さんよ。最も、本業はお医者さんなのだけれど。仕事の合間に書いた本が大ヒットしたんですって」
「それは、随分と多才なお方なのですね」
私は淹れたてのダージリンをティーカップに注ぎながら、淡々と返した。
ヴィクトリア・フォン・アッシュバートン侯爵令嬢。
見目麗しく、莫大な財力と権力を手中に収める彼女の唯一の欠点である長所は、その過剰なまでの好奇心である。
名探偵などと自称する彼女は、特段ずば抜けた推理力や超常的な能力を持っているわけではない。せいぜい足が速いくらいか。
しかし、彼女には「荒事に首を突っ込む行動力」と、邪魔立てする者を黙らせる「絶対的な権力」、そして何より、道理を曲げて無理を通す「圧倒的な財力」と地の底の獄卒の寝言すら聞き届ける「地獄耳」があった。
侍女として使える私は、いづれ冤罪で無実のものを吊るし上げないかと日々眠れない夜を過ごしている。
「昨夜、王都で一番の貿易商であるメリウェザー氏の屋敷で、奇妙な事件が起きたそうなの」
お嬢様は身を乗り出し、新聞の三面記事を指差した。
「メリウェザー氏は、内側から鍵のかかった自室の書斎で倒れていたわ。原因は毒。彼が倒れる直前に口にしたのは、メイドが運んできた紅茶だけ。しかし、ポットにもカップにも、毒物は一切検出されなかったそうよ」
「生きてるんですか?」
「一命は取り留めたそうよ」
「密室での服毒自殺、ですか。未遂で終わったのなら、まぁ。何に思い悩んだんですかね」
「いいえ、意識を取り戻した彼は、決して自殺なんてしないと語ったそうだわ」
「それはまた、難儀な事件、狂言の可能性は?」
「そうね、保険金目当て、という可能性も捨てられないけれど、私ほどではないにしろ巨万の富を持つ彼が、そんなことをする利点がないわ」
「なるほど。それで、なにが不可解なんですか?」
「警察は『原因不明の発作』あるいは『事故』として処理しようとしているらしいわ」
お嬢様は立ち上がり、優雅に扇を広げた。
「氏の吐瀉物から『毒』が見つかっているのよ? それなのに『事故』だなんて。カンニングして0点とるようなものだわ」
しかし警察がそのように判断した以上、事故と判断するに足る要素があったのではないか。だがしかし。
「……それで、どうなさるおつもりで?」
「決まっているでしょう。まだ捜査中のこの事件、私が迅速に動かねば迷宮入り待ったなしよ!」
「……私、『べきすべき』って言葉嫌いなんですよね」
「心配なさい! 既にアポは取っているわ!」
「はや……」
つまり、既に事を終えてからのこれか。
ずいぶんな演技派ですこと。
★
一時間後。私たちは馬車を飛ばし、渦中のメリウェザー邸へと到着していた。
事件は昨日のことだが、どうやらお嬢様の力で再調査となったらしい。
屋敷の周囲には規制線が張られていたが、侯爵家の紋章が刻まれた馬車を見るや否や、警備の者たちは慌てて道を空けた。権力とは、現場保存において何よりも強力なツールである。
「おお、ヴィクトリアお嬢様! わざわざお越しいただけるとは!」
書斎の前で頭を掻いていたのは、王都警察のジョージ警部だった。彼は部下たちに向かって、自慢げに胸を張る。
「お嬢様が来ていただけたのだ。お前たちも大船に乗ったつもりでいなさい。少々変わったお方だが、本職の我々よりも真に迫った推理をなさる。要望には全て応えなさい。彼女の命は私の命だと思え」
ジョージ警部の言葉に、お嬢様は満足げに頷いた。
まぁ、私は多くを語るまい。
ゴマすりの上手い男ではないか。
内心現場を荒らしに来るお嬢様を疎ましく思っているというのに。
「せっかくの労力が無駄にならないとよいのですがな」
青ざめた顔でそう呟いたのは、被害者の秘書である青年のロスだった。彼は主人の回復を祈るように両手を組んでいる。
「心配無用よ。現場を見せてちょうだい」
お嬢様が書斎に足を踏み入れる。私もその背後から静かに続き、部屋全体を観察した。
部屋は事件当日から、しっかりと保存されていたらしい。
無論、氏を助けるために諸々の医療行為を施したから、少し荒れた様子にはなっているが、それ以外は誰も手を触れずに置いていたという。
事件当日、部屋は完全な密室だった。窓は施錠され、煙突は細すぎて人は通れない。物音を聞きつけた秘書のロスが駆けつけ、鍵のかかった扉を蹴破って室内に侵入したらしい。
なるほど、床にはわずかだが木片が散乱している。
机の上には飲みかけの紅茶が入ったカップ、万年筆、そして数通の封筒と切手が乱雑に置かれている。メリウェザー氏は倒れる直前、手紙の処理をしていたようだ。
私はきびすを返して、後ろをついて歩くジョーンズ警部に前提となる質問をした。
「どうして、警察はこの事件を事故として処理するおつもりなのですか?」
ジョージ警部は、どうしてそれをと言った面持ちだった。
どうやらこの事件の処理は内々で話し合っている段階らしい。
残念ながらお嬢様は、耳だけは恐ろしくよいのです。
「そりゃあ、まぁ、密室で、誰も手を出せませんからね」
「しかし、毒が見つかったんですよね?」
「一応、氏の口内からね。だが微量だし、仮に飲ませたとしても、死に至るほどじゃあない。なんらかの手違いで口に入ってしまったと考えるのが妥当だろう」
「さようですか。不躾な質問、お許しください」
「いやなに、かまわんよ」
なるほど。
まぁ被害者が亡くなっていないのだ。
大事にしたくないという判断なのだろう。
しかし事によっては、より綿密な調査が必要だろう。
氏が本当に亡くなってしまう前に。
お嬢様はルーペを取り出し、カップの底や絨毯の染みを熱心に覗き込んでいるが、見当違いの場所を探しているのは明白だった。
私は静かに机に近づき、証拠品に目を落とす。紅茶に毒がないのであれば、毒の侵入経路は別の場所にある。
――切手だ。
束になった切手の一番上の一枚だけが、ほんの僅かに湿気を帯び、色が変わっている。手紙の封をする際、裏面の糊を舐める習慣を利用した古典的な罠。メリウェザー氏が自ら切手を舐めることを知っており、かつ事前に細工を施せる人物は限られている。
私はそっとお嬢様の背後に近づき、誰にも聞こえない声で耳打ちした。
「……お嬢様。毒は口内から見つかったそうですよ」
「あら、なに? そんなこと知っているわよ」
「口の中、ということは、どのようにしたら毒が入るのでしょうか?」
「そんなの、何かを食べるとか、飲むとか、あ、あくびして大口を空けたときに、パチンコで遠くから放り込むとか!」
えいっ、とお嬢様が弓を引くような動作をする。そんなわけないでしょう。
「……お嬢様はなさいませんからお気づきにならないのも無理はありませんが、飲食以外に口にするものが、この部屋にあるのです」
私がちらりと、視線を切手の束におくる。お嬢様も私の目線を追いかけ、切手に気がつく。その瞬間、お嬢様はパァッと顔を輝かせ、扇を勢いよく閉じた。
「謎はすべて解けたわ!」
お嬢様の凛とした声に、ジョージ警部と秘書のロスがビクッと肩を震わせる。
「メリウェザー氏が紅茶に毒を盛られたというのは、警察の完全な見当違いよ。彼が毒を口にしたのは、手紙に貼るための『切手の糊』を舐めたからよ!」
よかった。
今回はちゃんと意図が伝わったらしい。
私はほっと胸をなで下ろした。
「なっ……切手の糊、ですと!?」
「ええ。おそらく犯人は、メリウェザー氏の習慣を熟知していたのでしょう。机の上をご覧なさい。さて、ジョージ警部、貴方が手紙に切手を貼るとき、どのようになさいますか?」
「どうって……そうだな、手濡らし機も海綿もないか……」
切手を手に持ち、裏面を舐める動作をする警部。どうやら彼も気がついたらしい。
「メリウェザー氏は、どうやらマナーや衛生面にはあまり関心がなかったようですね。そうです、犯人は、そうした氏の癖を知っており、切手の裏に毒を塗ったのです。そして、そうした準備を行えるとしたら、それは普段から彼の事務仕事を手伝っていた人物……」
お嬢様は扇の先を、真っ直ぐに秘書のロスへと突きつけた。
「ロス。貴方が犯人ですわね? 我が侯爵家の名において、ただちに彼を拘束し、私室を捜索しなさい!」
そんな権限、ないというのに。
しかしジョージ警部がお墨付きを与えた、侯爵令嬢の命令である。
警察は一瞬の躊躇もなく動いた。
ロスは逃げようとしたがすぐに取り押さえられ、ほどなくして彼の懐から切手に塗られていたものと同じ毒の小瓶が発見された。横領の罪を主人に告発されそうになり、口封じのために密室殺人を企てたというありふれた動機だった。
★
事件は無事に解決し、私たちは屋敷への帰途についた。
簡単な事件でよかったと、私は帰りの場所で安堵した。
ヴィクトリアお嬢様も我ながら鮮やかな手腕だったと上機嫌なご様子で、優雅に香水の香りを楽しんでいる。
「これでまた、お嬢様の名前が世間に知られますかね」
私が冗談めかして言うと、お嬢様は肩をすくめた。
「別に、名声が欲しくてやっているわけではないわ。ただただ、事件が私を呼んでいるのよ」
やれやれ。
その割には自慢げである。
後日談。
どうやらロス氏には誤算がったあらしい。
彼の用いた毒は、ツチハンミョウという虫から分泌されるカンタリジンという成分が含まれていた。
かつては媚薬としても用いられたらしいが、わずか1gで致死量にいたる劇薬だ。
ロス氏は少量ずつ数日に分けて投与し、腎不全に見せかけて殺す予定だったらしい。
しかし彼の不手際で量を間違え、その結果メリウェザー氏は一命を取り留めた。
今回の事件で、謎があるとすればやはりその毒の仕入れ先であろうか。
世界に広く分布する虫とはいえ、平民上がりのうら若い青年にそんな毒の知識があるとは思えないし、仮にあったとしても虫を捕まえて毒を抽出する方法など知りようがない。
そして、被害者のメリウェザー氏。
よい噂も悪い噂も聞かないが、なんと言っても、被害者が王都一番の貿易商だ。
恨みを買っていようがいまいが、その利権を狙うものなどいくらでも現れるだろう。
ロス氏が横領したという金銭も見つかっていない。
その使途に関しても、ロス氏は口を塞いでいる。
やれやれ。
今後、何か、良くないことに巻き込まれなければよいのだが。




