7話
夜明けが近づき、少し明るくなってきた夜空のもと、キーストーン警備保障の最上階のテラスにある喫煙所で氷海は、街並みを眺めながら煙草をくゆらせていた。最近は屋内でも街中でも禁煙が敢行され、まったく吸える機会がない。普段は無口な黒崎は氷海の喫煙にうるさい。
禁煙ブームと値上がりが続く煙草に喫煙者はどんどん減り、喫煙所を利用する社員はわずかだ。
漂う紫煙の向こう、氷海の視界の端に、だいぶ疲れた様子の班長が通りがかった。普段は上司としてビシッと決めているが、今回の件弦巻雹の行き過ぎたスタンドプレーや八澄鏡花の扱いで相当堪えているようだ。遠目からでも疲れが見える。
「珍しく落ち込んでんの?」
「――そう見えるなら、よっぽどだな」
テラスの鉄柵に肘をついて夜空を眺める狗飼に、氷海は努めて軽く声をかけた。もちろん、喫煙所を離れるときに煙草は消してきた。
「……今回は弦巻の結果オーライじゃない」
「本気で言っているのか?」
「まあ、あいつは変人で何考えてるか、私にはさっぱりわからないけど。有栖川の写真を見た鏡花ちゃんは、ちょっと危ない感じがした」
あの時の鏡花は瞬きも身動ぎも一切しない、異常さを感じた。
「今の中途半端に情報を持っている状態で街に戻したら、きっとあんたが後悔する事態になってる」
「弦巻は彼女がここに来た初めから、わかっていたんだろうな。神楽坂にも彼女の性質は伝わっていた。上層部からの要請もある。いずれにせよ、彼女が入ることは決まっていた」
「それなら猶更。愛であれ復讐であれ、執着しているなら、ここに置いて守ってあげるのが一番よ」
狗飼は気持ちを切り替えるために、深く息を吐きだした。しかし、まだ呑み込めない部分もあり、しかめっ面は変わらずだった。
「頼りにしてるよ、班長!」
バシンっと一発、氷海は気合を入れるように狗飼の背中を叩いて屋上のドアに向かった。
「ハッ、最後まで付き合ってやるか」
――翌日。
キーストーン警備保障の地下2階には、一般社員が立ち入ることのできない厳重に管理されている研究フロアが存在している。主に科学者、技術者しかいないこのエリアは、少し薄暗く、静かだ。その一角にある弦巻専用ラボで鏡花は魔術義眼デバイスの検査を受けることになった。
時間通りにその部屋へと足を踏み入れた彼女は、思わず入り口で呆然と立ち尽くした。
そこは、足の踏み場もないほどに雑多な精密機械や魔術書が散乱した室内で、様々な物に埋もれながらパソコンに向き合う弦巻と筑紫の姿を見た。どうやら、扉が開いた音にも、室内に人が入ったことにも気づいていないようだ。
鏡花が控えめに声をかけてみたものの、その声が彼らに届くはずもない。いつまでも空間を埋めるように、パソコンを弾く音が2台分流れている。鏡花がどうすればいいかわからず気まずさを感じていると、「創、コーヒー」と気だるげな弦巻の声が上がった。その声におもむろに立ち上がった筑紫が、ようやく入り口にいる鏡花と目が合った。
「あ……八澄さん。すみません、気づかなくて」
筑紫は恐縮したように、作業用の魔術ノイズやブルーライトをカットするレンズの眼鏡を外し、散らかったコードを器用に避けながら、鏡花に歩み寄った。弦巻は未だにパソコンのモニターをニヤニヤと眺めている。
コーヒーを淹れた筑紫に促されて、弦巻は鏡花にやっと気づいたようだ。それでも申し訳なさそうでもなく、のんびりと支度を始めた。
「えーっと…じゃあ、デバイスのチェックだ。解散後から今の時間まで何か異常は無かった?」
「無いです」
「じゃあ、デバイス本体の物理数値を検査しよう。創はコードを繋いで」
「はい」
筑紫は手際よく検査用の光ファイバーのケーブルを取り出すと、鏡花のこめかみに指を当てた。肌の下に隠れている魔術義眼デバイスの端子へ、カチリとマグネットで接続した。
「……ふーん」
「どれも安定した数値で問題なさそうですね。あ、八澄さん、デバイスのフィルターの切り替えやってみてください」
「はい」
「こっちも大丈夫ですね」
「うん。じゃあ、今日は終わりだ。お疲れ」
弦巻はもう用はないとそっけない態度で、パソコンに視線を戻した。手には鈍色に光るボールのようなものを持って弄っている。筑紫は鏡花に繋いだケーブルを外し、次の予定を示した。
「えっと、次は基本の備品の配給ですね。ブリーフィングルームまで案内するので一緒に行きましょう。班長に連絡を入れておきますね」
筑紫に先導され、鏡花は地下2階のラボを後にした。エレベーターで1つ上の地下1階に上がり、狗飼班専用のブリーフィングルームに向かう。ここは生活エリアでもあるので人の行き交いもあり、明るい雰囲気で緊張せずにいられる。いつの間にか鏡花もこの環境に慣れてしまったようだ。
「班長、八澄さんをお連れしました」
奥のデスクで支給品を準備をしていた狗飼は、ビシッと黒いスーツに身を包んでいる。彼の前にまで来た鏡花に、支給品を差し出した。
「八澄鏡花、今日付で我々怪異対策課の狗飼班に配属が決定した。これが君専用の制服、インカム、タブレットだ」
「ありがとうございます」
手渡されたのは、皆が着用している黒いジャケットとスラックス。これは戦闘などの激しい動きにも耐えられるように、高性能の繊維が編み込まれたプロ仕様の怪異対策課専用のスーツだ。
タブレットとインカムも合わせて手に取ると、気持ちが引き締まる。
「昨日、お前は自分の意志で戦うことを決めた。もう一般人ではないことを肝に銘じるように。自分の身が守れるように鍛錬も怠るなよ」
「はいっ」
はっきりと応えた鏡花に、狗飼が一つ頷きを返した時、インカムに黒崎から通話が入った。
『班長!無事に会場を押さえられました!』
『黒崎、また肉にした?』
『おう、いつもの「鉄平」にした。時間は今から、至急現場に集合だ』
ブツリと切れた通話。どこか高揚した声の黒崎は、待ちきれないようだ。
真面目な話はここまでだと、狗飼は目元を緩めて筑紫と鏡花に目配せした。
「――ということだ。八澄の準備が終わり次第、『鉄平』に行くぞ」
キーストーン警備保障ビルの近所にある年季の入った外観の大衆炭火焼・鉄平。
店内は平日でもほぼ満席で、脂の焼ける香ばしい匂いと、白い煙がモクモクと店内に充満している。活気のある店員の声に迎えられ、狗飼班は全員予約席に着いた。
「では、八澄鏡花の入社と作戦の成功を祝って、乾杯!」
狗飼の号令の下、高く掲げたジョッキを打ち合わせ、その後すぐに黒崎のテーブルには続々とホルモンの盛り合わせが運ばれてくる。ダメ押しに大盛りの白米も置かれた。
黒崎と同じ網を使う狗飼と筑紫は露骨に嫌な顔をしたが、綺麗にホルモンを並べ、網の上を埋め尽くす。黒崎は真剣に肉と向き合っている。
ジュウジュウ、パチパチと焼ける音が上がる中、狗飼は気を取り直した。
「改めて、俺はこの班のリーダー狗飼漣だ。よろしくな」
狗飼が簡潔に挨拶すると、弦巻がサッと手を挙げた。
「じゃあ次は僕ね。技術チーフの弦巻雹。君のかわいい魔術義眼デバイスとか、班の特殊武器の作成とメンテナンスをしているよ。あ、氷海君、それは僕のお肉だから」
弦巻が頼んだ特選上カルビは、氷海の手によって網の上に並べられていく。
「俺は黒崎陣。エルダーサインの盾で全員を守るのが俺の使命だ。今日は体力をつけるためにもたくさん食べるといい」
ちょうどいい焼き加減を見極めた黒崎は、焼きあがったレバーを取分け、鏡花に渡した。
「私はスナイパーの氷海冴。後方にいることがメインだけど、人数的に前に出ることもあるわ。むさ苦しい班だけど、困ったことがあってもなくても私に話してね」
「オペレーターの筑紫創です。弦巻さんの助手が主な仕事ですけど、移動指揮車で皆さんのバックアップをしています。僕のおススメは、このタン塩です」
次々と挨拶をする中でのやりとりは、班内の仲の良さが窺い知れる。
「八澄鏡花です!皆さんのご迷惑にならないように頑張りますので、よろしくお願いします!」
気合を入れて挨拶をした鏡花。そんな彼女に応えるように、焼きあがった肉が皿に山盛りに載せられていく。久しぶりに気を遣わずに、人の輪の中での胸の奥が温かくなる楽しさを味わった。




