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アイズ・オブ・ソトースー多次元レコードー  作者: 御堂 枢


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5/10

5話

 時空間の歪みの影響で5階フロアの電灯は不規則に明滅している。

 時折、時間が混濁して、誰もいないフロア内にかつての社員たちの会話が響いたり、窓から見える夜景が数日前の夕景へと目まぐるしく変わっていく。

 その歪んだ世界の中心で。

 ナイフを逆手に構えた狗飼と3体のティンダロスの猟犬は、互いに睨み合ったまま微動だにしない。

 ガラスが擦れ合うような澄んだ高音と、喉を鳴らすおぞましい獣の唸り声だけが狂った時間の隙間を埋めていた――。


 不規則に明滅する電灯が何度目かの暗闇を作り出したとき、均衡を保っていた睨み合いに終わりが訪れる。

 3体の猟犬たちは一斉に時空間を移動し、姿を眩ませた。

 ティンダロスの猟犬は、その名の通り集団で獲物を追い込み、狩りをする。何より厄介なのは、時空間の『角』を利用し、それぞれが獲物の死角から飛び出してくるところだ。

 今回は氷海が照射したプルートインクの効果時間も肝心だった。実体化している間にある程度数を減らしておきたい。いつ、更に別の仲間を呼ぶかわからない。

 狗飼は五感を刺激してくる雑音の中から、猟犬たちの気配だけを追うように意識を極限まで集中させた。


 ――ほんの僅か、彼の背後の空間が、波紋のように揺れ動いた。


 姿を現した1体が、勢いよく飛び出す。

 背後からの鋭い牙が迫る瞬間、彼は近くのオフィスチェアを背後に思い切り蹴り飛ばした。

 オフィスチェアをものともせず、容易く粉砕して突っ込んでくる猟犬へ、蹴り出した足を軸に身体ごと鋭く反転、ナイフをその横っ面に叩きつけた。勢いのまま一閃し、頭部にある核を切り裂かれた猟犬はおぞましい音を立てて、その姿をドロリと溶かし、床に消えた。

 息をつく暇もなく、2体目、そして3体目の猟犬が現れた。床に手をつき、ハンドスプリングで避ける。

 着地とともに新たにナイフを取り出す。交互に襲ってくる猟犬に対し、デスクやパーテーションを盾にしつつ、エレベーターのある廊下近くまで移動する。

 実体化していた猟犬たちの体がぼやけ始め、プルートインクの効果時間が切れだしている。悩んでいる暇はない。狗飼はこれ以上は危険と直感し、非常階段の重い鉄扉に体当たりをして開けた。猟犬たちはまたしても姿を眩ませている。狗飼は奴らがドアの『角』から襲ってくると予想した。

 案の定、わずかな時空の歪みが視界の端に生じ、狗飼は迷うことなく、手にしたナイフをその歪みの中心へ力任せに突き立てた。

 湧き出ようとしていた猟犬の鼻先が、『角』が変わり、霧散した。


(これで、わずかでも時間は稼げる――)


 ナイフを突き立てたまま更に力を入れ、自身が滑り込めるだけの隙間を強引に作ると、そこに転がり込んだ。すぐさま突き立てたナイフを引き抜き、今度は全力で体当たりをして重い鉄扉を勢いよく閉め切る。

 直後、向こう側にいる猟犬たちが扉を突破しようと、ガリッ、ガリッ、とひっかくおぞましい音と唸り声がしばらく続いた。


 非常階段はシン…と静まり返り、狗飼は重い鉄扉に背を預け、ようやく一つ、安堵の息を吐いた。

 見渡すと、非常階段のコンクリートの壁のあちこちに、先に離れた黒崎か氷海が貼っていったのであろうエルダーサインの紋様シールがチラホラと残されていた。神聖な魔術のおかげで、非常階段側は比較的安全だろう。

 ふと、左腕にジクジクと痛みが走る。確認すると、スーツと防刃シャツの袖が裂け、血が滴るほどの裂傷を負っていた。どうやら、あの3体との激しい乱戦の中で、牙が掠めていたらしい。

 狗飼は紐で上腕を縛り止血処理をすると、状況を確認する為、移動指揮車に残っている筑紫に通話を繋げた。


『――班長!よかった、歪みが酷くて通信もカメラも通じなくてっ。黒崎さん、氷海さん、それと添島さんはこちらに戻ってきています。添島さんの容態は……精神の錯乱が酷いですが、今、簡易精神安定プログラムを行っています。それで、添島さんの話から、かなり重要な情報を手に入れました』


 インカムから響く筑紫の張り詰めた声。

 それは、黒崎と氷海が移動指揮車に撤退した後の出来事だった。


「お二人とも、大丈夫ですか?!」

「私たちより、こっち」


 氷海が指した添島は恐怖からか、呼吸もままならず、言葉をうまく話せないようで、視線も定まっていない。一度、怪異による精神汚染を受けてしまうと、正常値に戻らないこともある。まずは車内の座席に座らせ、簡易精神安定プログラムで、その場しのぎでも対処することにした。

 遮音性の高いヘッドホンを装着し、【ヨグ=ソトース】と同期しかけている脳波にプログラムされた音波で相殺させていく。出力を徐々に上げていくと、添島の呼吸は落ち着き、脳波の波形も正常値に戻ってきた。彼が意識を手放そうとして閉じかけていた瞼が、唐突に大きく見開かれた。


「ひっ…ハァ……ハァッ……」


 再び錯乱状態に入った添島は虚空を見つめ、全身がガタガタと震え、息遣いが荒くなる。


「た、助けてくれっ、次は俺かもしれないぃ……やめてくれ、見てただけ、だから……」

「添島さん?添島さん、こっち見えますか?」

「――あ。は、はっ、はぁぁぁ……」


 筑紫はプログラムされた音波の出力を下げ、添島に装着していたヘッドホンを外す。


「すみません、急に昔のことを思い出して…うちの貸会議室でヤバいことが起きて、本当にどうして今思い出したんだか」

「ヤバいこと、ですか?」

「ええ。5年位前なんですが、有栖川って人が定期的に夜の時間に1時間ほど借りていたんです。大学生12人くらい呼んで、サロンを開くとか言ってました。それで、あの日、見ちゃったんです」


 添島は掠れ声で思いだした記憶を早口で話す。それも恐怖から冷や汗をかき、目は泳いでいる。


「いつも通りの時間に、部屋を閉めるために行ったんです。この日はまだ電気がついているのが見えて、長引いてるのか、珍しいなって。そ、それで中を確認したら、怒り狂ってる有栖川さんがいて、机も椅子もぐちゃぐちゃになって、床には靴とか血飛沫とか…あ、あの……ヒッ…めだ…目玉が、転がって―――」


 恐怖がピークに達した添島は、糸が切れたように気を失った。

 心拍も呼吸も安定しているため、このまま寝かせておくことにし、筑紫は、添島がなぜ今のタイミングでこの話をしたのかを考える。

 添島が語った過去の惨劇は、今回の神隠しの件に近いのではないか。


「有栖川…有栖川…」


 まず、コア・グリッド・テクノロジー社の社内クラウドデータにハッキングし、5年前の記録を調べた。削除されたデータの中から有栖川に関するログが数件検索にヒットし、すぐに復元する。貸会議室の借主の本名は有栖川宗一郎(ありすがわそういちろう)。都内のメンタルクリニックで院長をしているそうだ。メンタルクリニックのサイトを調べると、そこには穏やかな表情を浮かべた有栖川の写真があり、大学病院に勤務していたなど、経歴に特に怪しいところは見えない。

 復元した削除データに戻ると、その中には、当時、有栖川が使っていた時間帯の監視カメラの映像データがある。最終日のデータを見た筑紫は息をのんだ。そこには凄惨な映像が残されていた。

 部屋の中央の椅子に座らされた1人を11人が椅子に座って囲み、有栖川が中央の人物に何かしている。しばらく藻掻き苦しんだ後、その人はぐったりしてしまった。有栖川の手には何かが入った瓶。周りの人間はガタガタと震え始め、錯乱状態になり、椅子から転げまわったり、部屋の隅で泣き叫ぶ様子も見られる。その中心でも有栖川は冷静に虚空を見つめている。

 ――数瞬後、映像にノイズが走ると突然、有栖川以外の12人が煙のように消えた。

 1人残された男は、苛立ち、瓶を投げ飛ばした。

 そして、それは先程の添島の話に繋がるようだ。


『――この5年前の件が今回の神隠しに関連していると思います。これは引き続き調査を――』

『――班長!まずいことになった!』


 筑紫の報告の最中に、移動指揮車の外で待機していた黒崎の声が割って入った。


『弦巻が八澄鏡花を連れてビルに入っていった。エレベーターで上階に上がっている……5階に止まった』

『――チッ、わかった。黒崎と氷海は装備を整えろ、5階に急行する!あのバカ野郎を叩き出すぞ!』




 静かに5階に上がるエレベーターの中、鏡花はキーストーン警備保障の地下で弦巻に言われた言葉を反芻していた。


『君は今、自分のことが気になっている。”身体”がじゃなくて、もっと奥の”本質”』

『一緒に行けば真実がわかるって言ったら――もちろん行くよね』


 鏡花の隣に立つ弦巻のことは、正直に言うと、怖い。話をしているとき、鏡花のことなど見ておらず、もっと別の、常人には理解できない領域に興味があって、そのために鏡花と話している。そう感じるからだ。居心地の悪さと不信感から、鏡花は、新しく買ったピンクのカーディガンに皺が寄るほど片腕を強く抱きしめた。


 さっきも外にいた黒崎と氷海はかなり怒っていた。弦巻はどこ吹く風とあしらって、鏡花の背中を押してビルの中に入った。氷海は自身に優しくしてくれたから、申し訳ない気持ちでいっぱいでもあるが、やっぱり本当のことが知りたい気持ちが勝ってしまった。


 エレベーターの到着を知らせる軽い音が鳴る。

 ゆっくりと開いた扉から見える景色は暗闇の中、シンと静まり返っていた。だが、机や椅子が散乱し、荒らされた後の雑然としたフロアがある。

 怖気づく鏡花を無視して、弦巻は颯爽とエレベーターを降り、フロア内を物色する。恐る恐る付いていく鏡花の視界にノイズが走る。次いで、あの幾重にも重なるガラスの擦れる音が遠くから聞こえ始める。

 こめかみに埋めてあるデバイスがバチバチと警告のように音を立てている。デバイスのせいか、頭が割れるように痛い。


「デバイスをオフにするといい。奥歯に強く力を入れるんだ」


 弦巻の言うとおりに奥歯をグッと噛み締める。すると、ノイズの走ったカラーの視界はモノクロになる。頭痛も治まり、クリアになった景色の中で、1ヶ所だけ歪んだ亀裂から幾何学模様の靄と虹色の泡が漂う場所がある。

 鏡花の脳裏にある記憶が鮮烈にフラッシュバックした。


 『八澄君、今までよく頑張ったね』


             『さあ、一緒に新しい世界の扉を開くんだ』


    『君は僕にとって何よりも特別で大切な人だよ』



              『ありがとう、鏡花』



 それは『先生』―有栖川宗一郎との大事な記憶。優しい手と言葉をたくさんくれた、幸せな時間。


(――あれは、私が求めているもの)


 ふらりと吸い込まれるように鏡花がその亀裂に歩み寄ろうとした、まさにその時―――。


「ふたりとも、止まれ!!」


 バンッ!と激しい音を立てて、非常階段の重い鉄扉が蹴り開けられた。銃を構えた狗飼と後ろから黒崎と氷海も装備を構えてフロアに突入してきた。銃口は弦巻に向けられている。連れてこられた無防備な鏡花に声をかけようとした。


 その狗飼たちを目にした鏡花の魔術義眼デバイスのレンズに、狗飼たちの背後、廊下の奥に乱雑にまとめて置いてあったパーテーションの死角から襲い掛かる2体のティンダロスの猟犬が、氷海と黒崎を蹴散らし、背中を切り裂かれ、大怪我を負う狗飼の凄惨な映像が流れた。


(――これってもしかして、さっきの氷海さんのときと同じ?)


「氷海さん、後ろ!後ろから犬が来るよ!!」


 鏡花は咄嗟に氷海に呼びかけていた。

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