4話
巨大モニターに表示された『神隠し事件』の捜査要請に了承のアイコンを表示させると、狗飼はテキパキと指示をする。
「黒崎と氷海は装備と予備の点検を。筑紫は移動指揮車へデータの同期を。弦巻は―」
「僕はここでビルの内部にある監視カメラでも調べているよ。怪異の発生源の場所が特定出来たら連絡する。現場には筑紫がいれば計測機材の管理はできるだろ」
狗飼の指示を聞くつもりはない、スタンドプレーを貫く弦巻はここに残ることを選択した。
「それはいいが、八澄鏡花を絶対に巻き込むな」
「それを決めるのは君じゃない」
感情の起伏を感じさせない冷淡な弦巻の返答に、狗飼は苦虫を嚙み潰す思いだったが、ここで時間を浪費している場合ではなかった。
「……よし、全員行くぞ」
重厚なコンバットブーツの足音が遠のき、ブリーフィングルームのドアが閉まる。静まり返った室内で、弦巻は巨大なモニターに対象のビルに配置してある複数の監視カメラ映像を映し出した。そこには深夜の残業をしていた一人の男性社員がいる。とある場所で急に驚いたり、腰を抜かし、逃げ惑って複数のカメラを通り過ぎて行く様子が流れていく。
ーだが、ある監視カメラの死角を通り抜けた瞬間。
次の監視カメラの映像では、その男が突然何もなかったように歩き出し、ビルを出て退勤する。
「ああ、編集されているから繋ぎ目が変なんだ」
死角から先の映像は時空間の歪みによる1~数日前の普段の様子だろう。干渉の歪みでそこだけ監視カメラの繋がりが変わってしまった。
残されたのは恐怖によって正気を失った一人の男が、世界の外側の『門』に吸い込まれ、この世界の理から存在を消された哀れな記録。納得のいった答えに辿り着き、さてどうするかと考えつつも、その脳裏には鏡花が思い浮かんだ。
弦巻は個人端末を操作し、怪異特殊対策課のセキュリティをかいくぐって上層部の個人回線へと直接繋いだ。
「あ、神楽坂さん。面白い実験やりたいんだけど――」
都内にあるオフィスビル街。その中の六階建ての一棟、中堅IT企業であるコア・グリッド・テクノロジーが対象だ。
名目上は、警備システム導入前の下見といったところだ。
今日は全社員が定時で退社したようで、夕闇の中、どのフロアも電気はついていない。ビルの入り口に一人の社員が立っているだけだ。ビルの前に黒いバンの移動指揮車が到着して、狗飼達が下車すると、案内役の社員が駆け寄ってきた。
「どうも、お疲れ様です。コア・グリッド・テクノロジーの添島です。今日はよろしくお願いします」
「キーストーン警備保障の狗飼です。よろしくお願いします」
車内から降りてくる武装した警備会社の社員に、添島はギョッとした。海外の映画などで見る軍人に見間違うほどだ。ほかの警備会社は下見だとスーツで来たんだけどな、と首を傾げた。
「えー…っと……ずいぶん物々しいですね」
「わが社はこれが標準装備でして。最近は物騒な事件も多いですから、離れずにいてください」
そんなに危険な依頼だっただろうか。ビルでは変なことがあって、複数人が行方不明になっているとなれば大問題だが、添島はそれほど重要に思っていなかった。
「ご相談内容は警備強化のための警報装置、監視カメラの位置と数の再配置でしたっけ」
「あ、はい。時々社員が行方不明になるんです。監視カメラにはビルから出る姿はあるのですが、直前の様子がおかしくて……社員も気味悪がって、社長が警備を強化するようにって話になったんですよ」
「なるほど。確かに不安ですよね。では異変のあったフロアから見ていきましょう」
狗飼は案内役の社員を必要以上に怖がらせないよう、淡々と話を進めた。
そうしてエレベーターに乗り、5階に移動した。
フロアの電気をつけると、一般的な企業と変わらないデスクとパソコンが並んでいる。ところどころに部署ごとの仕切りらしきパーテーションがあり、意外と死角が多い。
通常業務の流れで監視カメラの位置を確認していく。
フロアの奥に差し掛かったとき、添島に異変が起きた。天地が歪んで見え、自身が一瞬浮いたような感覚に陥る。それはすぐに収まって、気のせいだと思ったが、今度は脳裏に甲高い何かが擦れる音が小さく木霊する。
ー視界の端、パーテーションの向こう側に大きな影が見えた。ついで、獣の唸り声もする。
「ひっ」
先程のパーテーションではない、更に近いデスクの上にその陰の主が姿を現した。
黒い大型の犬だ。口をうっすらと開き、鋭い犬歯が覗いている。
(こんなものがこのフロアにいたのか、どうして誰も気づかなかったんだ――)
脳裏に響く甲高い音は徐々に大きくなり、頭痛がするほどになる。そして、これはガラスの擦れる音だと気づいた。だからと言ってそれが消えてなくなることはない。
「どうしました?」
「あ…い、犬が――ひいいいぃぃ」
添島は叫びながらエレベーターのある方へと、転げるように走って逃げていく。
「添島さん!――氷海、プルートインク照射!」
「はいっ」
氷海は銃を構え、即座にプルートインクの弾を撃った。弾がはじけると、中のプルートインクが散布され、今まで狗飼たちが感知できていなかった怪異の正体が鮮明に顕わになる。それは同じ姿をした合計3体の黒い犬型の怪異だった。
「黒崎、シールド展開」
「展開っ」
黒崎は狗飼たちの前に滑り込み、エルダーサインの盾を最大に展開した。黒い犬型の怪異の剥き出した牙は盾に遮られ、強引に押し返される。怪異は負けじと盾をかみ砕こうと、何度も激しく襲い掛かる。
「食われる!くわっ――来るな、来るな!」
「添島さん、落ち着いてください」
なおも逃げようとする添島。彼には、頭を締め付けるように鳴り響く奇妙なガラスの擦れ続ける音の中に、カウントダウンするように『カチッカチッ』とリズムを刻む音も聞こえ出していた。その音が進むごとに、自身の身体が何者かに浸食されているような圧倒的な恐怖が襲う。
『ーティンダロスの猟犬です。班長達の周囲で数値の変動、時空間の湾曲を感知。現状の武器では対処しきれない可能性が高いため、撤退が最適です』
「―撤退だ!黒崎は添島さんを連れて行け。氷海はプルートインクを前面に照射後、黒崎たちに続け。殿は俺がする」
氷海が照射したプルートインクに飛び込んだティンダロスの猟犬が一瞬硬化し、狗飼の構えたナイフはそれを捉えた。ナイフの刃を猟犬の犬歯から鼻先へと切りつける。敵が怯んだ隙に黒崎と氷海は走り出した。
「後は頼んだよ」
黒崎と氷海はエレベーターの近くにある非常階段から脱出し、その重い鉄扉は閉じられた。
全員が扉の向こうへ行ったことを確認した狗飼は、自身を落ち着けるように一つ、深く息を吐いた。鋭い双眸は、三体の猟犬を捉えたまま、撤退への道をシミュレートする。猟犬たちは彼からつかず離れず、連携をとれる距離を保って、低く威嚇している。
――さて、どうするか。




