2話
都内某所にある民間企業キ―スト―ン警備保障の本社ビル――その地下に怪異対策組織の施設がある。
表向きは普通の警備会社、裏では日本各地で起きる怪異に対処している。打ちっぱなしのコンクリ―トが四方を囲む室内に八澄鏡花はベッドに寝かされている。体にはたくさんの医療器具のコ―ドが繋がれ、彼女を囲むように3人の男達が立っている。一人は皺だらけの白衣を羽織った弦巻雹、その隣には大きな白いパ―カ―を着た筑紫創、そして大柄な体躯の黒崎陣。
「バイオ数値は安定している。後は目覚めた後の日常と覚醒時の数値を計りながら調整をしよう。創はしばらくコレの調整よろしく。壊れないようにね」
「はい」
「この子の視力は戻ったってことか?」
「それはこれから。まずは起きてくれないとこっち側じゃどうにもならないから。心電図とかは問題ないから生きてるでしょ。じゃあ起きたら教えてね」
黒崎への返事もおざなりに弦巻はあくびをしながら部屋の奥にあるモニタ―を食い入る様に見始めた。モニタ―に映し出されていたのは、どこかの街頭監視カメラに映る急いで走っていく八澄鏡花の姿だった。
静まり返った室内にダ―クレッドの長い髪をポニ―テ―ルに結った女性―氷海冴が煙草をくわえながら入室してくる。
当たり前のように鏡花の傍に椅子を持ってきて座った。
「氷海、ここは禁煙だぞ」
「はぁい」
鼻腔をくすぐる微かな甘い煙草の香りと誰かが話している声が聞こえ、ぼんやりとした鏡花の意識に痛みが走り覚醒した。
(あれ、私…生きてる)
「あ、おはよう鏡花ちゃん」
驚いて声がする方に顔を向けると赤髪の美人が鏡花を見ていた。そして、自身も彼女を『見て』いる。そう認識すると同時に視界にノイズが走り始め、右側こめかみの辺りもジリジリと痛い。痛みの場所を手で押さえて我慢しているとフッとノイズと痛みが無くなった。赤髪の女性の奥にいるパ―カ―を着た男性が心配そうに声をかけてきた。
「調整したけど、どうかな?しっかり見えてる?」
「ええ。……あれ」
どうして見えているんだろう。恐る恐る触れた瞼の奥には失われたはずの眼球の丸みがあった。だったら目が無くなって病院にいたあの絶望の時間も、白杖を使ってリハビリをしていたあの時間は悪夢だったのか。――でも、だったらあの美しい景色と温かい感覚にはもう触れられないのか、鏡花は何故だかそれをとても残念に感じた。
「君の眼球は『魔術義眼デバイス』というものだ。僕が作った魔術と科学の傑作だよ。それで君があそこにいた理由を知りたい。僕達より先にあそこにいた理由をね」
突然話し始めたのは、あまり清潔には見えない白衣の男。いつの間にか椅子に座っていた女性と入れ替わっている。彼が持つノ―トパソコンには暗闇の室内で藻掻き苦しむ鏡花と彼女を抱き起す大柄な男の動画が流れている。昨夜の突入時の映像だ。それをぐっと近づけ矢継ぎ早に話してきた。
――ああ、あれは夢じゃなかったんだな。と分かると、鏡花は小さく口の端を持ち上げた。そしてあの時のことをたどたどしく答えた。
「……呼ぶ声が聞こえて、光を辿って行ったらたくさんの虹色の泡があってすごく綺麗だったんです」
「虹色の泡。君を呼ぶ声はどんなものだった?」
「なんて言えばいいのか…普段聞いたことのない音でした」
「なるほど…」
鏡花の答えを聞いて弦巻は顎に手を当てて少し思案した後、手早くパソコンをいじり片方のイヤホンを彼女に渡した。
「この音はどう?」
イヤホンから流れてきた音は幾重にも重なるガラスが擦れ合っているような、ひどく澄んだ高音。
似ているけれど、こんな物ではなくもっと高潔な静謐な空間を与えてくれる心が落ち着く音だった。それに呼びかける声も聞こえない。そう答えると弦巻は勢いよく立ち上がった。
「やっぱり!君は素晴らしいよ!」
「待て、弦巻」
興奮した白衣の男―弦巻がさらに鏡花に詰め寄ろうとした時、がっしりとした手が彼を引き留めた。鏡花が初めて見たその手の人物印象は狼みたいだった。シルバ―の髪に透き通った青い瞳は鋭く弦巻を睨んでいる。
「弦巻が迷惑をかけてすまない。見ての通り興味のあることには止まることを知らなくてな」
弦巻を後ろに下がらせると今度は狼のような男が目の前の椅子に座る。
「まずは我々の組織の話からしよう。俺は狗飼漣。ここはキ―スト―ン警備保障の本社ビルの中にある怪異対策課のフロアだ。君は先刻、特殊な怪異との接触が見られた為、対策としてこの弦巻雹が開発した『魔術義眼デバイス』を装着し、それとの精神的接続を遮断している。詳しいことは弦巻と筑紫に聞いてくれ」
銀髪の男、狗飼漣は淡々と組織と鏡花の境遇も交えて話した。彼女が取り乱すことも考えたが、じっくりと話を聞いているようで一安心した。
「そこで君の身柄を怪異から保護しなければならない。申し訳ないが、公安と協力して君の身辺調査を行った結果、今回の件が起こる前にとある人物と良く会っていたようだ。『先生』と君は呼んでいたらしいが、どんな人物か聞かせてもらえるか?」
「え―っと…」
その人物を思い出そうとするとモザイクがかかったように脳が痛んで拒絶している。
「大学の先生とかではないですよね。う―ん……全然思い出せないです。」
「無駄だよ班長。ソレの脳は【ヨグ=ソト―ス】の干渉で『先生』に関する記憶情報が消去されているんだろうね。記憶を取り戻すなら、コレをさっきよりも深く干渉させて『魔術義眼デバイス』を使って復元を試すしかない。それをした場合壊れるだろうけど、やってみる価値はある」
雹はそう言うと、無造作に鏡花の顎を掴み様々な角度から顔をチェックし、仕舞には彼女のこめかみに埋め込んだ金属デバイスを指先でトントンと叩いた。
「今のところはリミッタ―が効いているね。ああ、それと君に接触した怪異の事を話そう。【ヨグ=ソト―ス】っていう今僕たちがいる三次元世界の外側に座している最高峰の神様のことさ。ある方法で失った目が【ヨグ=ソト―ス】に捧げられたのだとしたら共鳴できる君は特殊な存在だ。謁見する為に『シルバ―・キ―』が必要だと言われているけれど、僕は見たことがないんだよね」
鏡花は弦巻の説明に興味津々だ。特に【ヨグ=ソト―ス】という名称には親しみを感じる。彼ならまだ色々と知っていそうだ。
「【ヨグ=ソト―ス】と繋がっていると仮定して、君には『魔術義眼デバイス』を付けて無意識に向こうの狂気と繋がらないようにフィルターをかけたんだ。このデバイスは起動のオン・オフが切り替え可能だから、【ヨグ=ソトース】の狂気に引き込まれて脳が融解させられないようにうまく使いこなしてくれ」
「ちょっと、あんた達!うだうだ話が長いわよっ」
まだまだ続きそうだった不気味な会話に、赤髪の女性―氷海冴が鏡花の顎を掴み続けていた弦巻の手を弾き落として割って入った。
「この子は病人なんだから、今日はもうおしまい。ほら、出てった出てった!」
氷海は動物を追い払うように自分と鏡花以外の全員を追い出す。むさ苦しさが無くなった室内はスッキリして気持ちがいい。
「ごめんね、気の利かない男どもで。私、氷海冴よ。よろしくね、鏡花ちゃん」
狗飼は弦巻の研究室に足を運んだ。暗がりの中、彼は光るモニタ―の前で待ってましたと言わんばかりに嬉しそうに狗飼を出迎えた。
「弦巻雹。彼女は生きている人間で保護されるべき民間人だ。履き違えるなよ」
「現実を見たまえ、狗飼君。あれはもう人間じゃないよ。【ヨグ=ソト―ス】の扉を開く為の鍵に仕立て上げられたんだ。さっきの会話と仕草でも判るだろう、すでに【ヨグ=ソト―ス】による浸食と精神崩壊は始まっている」
「……ここは怪異対策課だ」
「知る為には犠牲も必要だ」
「…………頼むから理性だけは持ってくれ」
「まあ、努力はします」
変わらぬ弦巻の態度にこのままでは苛立ちが爆発しそうだと狗飼は荒々しく研究室を後にした。再び静まった室内に乾いた笑いが響く。
(君も同じなのに…どうしてかな)
『狗飼課長、神楽坂本部長がお呼びです』
休憩室で一息ついていた狗飼のもとに筑紫の通信が入った。弦巻との対話で疲弊していたが、上司である彼の呼び出しであれば無視することなどできない。急ぎブリ―フィングル―ムに向かい、巨大モニタ―の前につく。狗飼が声をかけると、高級ブランドス―ツを着こなす神楽坂統が冷徹な視線をこちらへ向けた。
『首尾はどうだい?』
「八澄鏡花の状態は落ち着いています。【ヨグ=ソト―ス】の存在、『魔術義眼デバイス』の話も取り乱す様子はありませんでした」
『うん、問題はなさそうだね』
「--ですが、弦巻が彼女に執着していまして危険な兆候が見えます。このままだと彼女を唆して【ヨグ=ソト―ス】をこちら側に呼びかねません」
『それは困ったなぁ。彼女が道を外さないように手綱を握ってくれ』
「勿論です」
怪異現象の危険から人々を守るのが自分達の使命だ。その為に恐怖心を捨て、立ち向かうことにしたのだから。
『今後の彼女の処遇はどうするつもりかな』
「このまま此処で保護し、日常生活に戻る為の改善プログラムを進めていくことになると思います」
『あ、そうなんだ。……あの力が使えると良いと思ったんだけど――いやだな、冗談だよ』
神楽坂までそんな事を言い出すのか。
狗飼がひと睨みすると、神楽坂は肩をすくめて誤魔化した。だが、どうもこれは上層部の本心であろう。『魔術義眼デバイス』を彼女に移植する際に、弦巻と上層部の間でそういう話になったのかもしれない。
『氷海君から外出申請が出てるね』
神楽坂の言葉に狗飼が手元のタブレットを確認すると、確かに数分前に氷海冴の端末から申請が出されていた。そして事由欄には、普段のつんけんした態度からは想像できない、いかにもフランクな文字が躍っていた。
――『鏡花ちゃんとお買い物♪』
狗飼は小さく眉間を揉み、一拍置くと承認ボタンを押した。




