38話 別れと予期せぬ再会①
夕日が沈み切りそうになってきたなか、俺たちは宿に帰り各々で休み始める。アフィラードでの平穏(?)が嘘のように、街には活気があふれていた。
時々、隣の部屋からキュラゴクスの生活音が聞こえてくる。なにか、用意しているようだった。
俺は湿り気を帯びたベッドに深く体を沈め、ゆっくりと天井を見つめる。ふと、今までのことを思い返してみた。今日は、というか最近は、色々と想定外のことしか起こっていないな…
刺されて死んだと思ったら生きていて、なんだか知らない男と動物の群れが街を襲ってきて、休もうとしたらなぜだかかめと一緒に海底都市へ行って…
窓から差し込むオレンジ色の光が、並べられた道具達に当たり長い影を落としている。夕日が水平線の向こう側へと沈み切る、ほんの数分前の、世界が一番赤く染まる時間帯だ。
アフィラードで口にしたあの不思議な果実のせいで、体はまだ微かに火照っている。窓を細く開けると、入り込んできた11月の冷ややかな夜風が、火照った頬をなでるように通り過ぎていった。
隣の部屋からは、キュラゴクスとスフィウスの話し声が聞こえる。
「結局、俺も食い過ぎていたかもしれない…」
「なにしてるんだか…キュラゴクス、バーザールのこと支えていたでしょ?その時に移ったとか?」
「そんなことで移るならもう気絶してるぞ…?」
「あはは!まあ、どちらにしろ私のせいじゃないからね、さっきみたいな目はいやだよ」
スフィウスも、何か用意しながら答えているようだ。何気ない仲間の気配が、今は妙に心地よく、同時にどこか遠い世界の出来事のようにも感じられる。
ふと、今の「外」がどうなっているのかが気になった。神さまは「戦争は起こる。変わらない事実だ」ことを言っていたけど、見間違えていたりしないか?そう思い、俺は静かに部屋を出た。
少し歩いて、街の小さな売店で、先ほど売り始めたであろう夕刊の新聞を一部買い求める。硬い紙の手触りが、これまた前世を思い出させる。
「……やっぱり、こうなるのか…」
新聞の一面には、ホガ=ドルナとの緊張感が煽られた文が書いてある。人物とかはよくわからないが、少なくとも戦争になりそうであることは伝わる。
(神さまの言う通りになりはじめてるな…)
思えば、「海は幻想的なところ」と言うのも当たっていると言えればど真ん中に命中しているとも言える。
紙面に躍る活字を眺めながら歩いていると、広場の噴水近く、街灯が灯り始めた石畳の上に、闇に溶け込むように佇む人影があった。
「……バーザール様…?バーザール様も外の空気を吸いたくなったのですか?」
彼女は静かにこちらを振り返った。長い、長すぎる髪が夜風に揺れ、その瞳には沈みゆく残光が反射している。
「ああ。酔い覚ましと、唐突に新聞を買いたくなって……ラナリリスも?」
「はい。海底の都があまりに綺麗でうつくしかったので…地上のこの空気が、少し喧しく感じてしまいまして」
俺は黙って、手にした新聞を彼女にも見えるように広げて見せた。そこには、決裂した外交交渉の様子が描かれている。
「やっぱり、戦争は起こってしまうんだな……だれも、怯えて引き金を引けないだけで」
俺の言葉に、ラナリリスは小さく息を吐き、視線を足元の石畳に落とした。
「……あのアフィラードでの時間が、すでに恋しいです。何も起こらず、何も心配しなくていい…この年、1931年は世界が私たちが知っていた穏やかな形を捨てて、淘汰へと向かって走り出そうとする年かもしれないのですね」
俺はしばらく無言で、完全に太陽が消え、深い群青色に染まっていく空を見つめていた。
かつてトミナガケイイチとして満員電車に揺られていた頃…戦争は確かに悪であり起こってはならないが、どこか起こらない、起こり得ないことだと思っていた。
だが今、このドラゴンの体で感じる空気は、冷たく、喉元を刺してくると錯覚するほどの緊張に満ちている。いくら市場が活性化していても、いくら仲間と楽しく語り合えても、これは変わらなかった。
俺とラナリリスが沈みゆく夕闇の中を歩いていると、向こうから見覚えのある姿がこっちへ来るのが見えた。
「あ、バーザール君とラナリリス! ちょうど良かった、探していたんです」
巡雩は笑顔で、俺たちの前で足を止めた。しかしその表情はいつになく真面目で、何か真剣な話があることを物語っている。
「宿に戻る前に、少しだけお時間いいですか? ……いえ、やっぱりみんながいるところで話すべきですね。宿へ戻ったらこれからのことについて、一度きちんと話し合いたいんです。キュラゴクスさん達2人にはもう言ってあります」
彼女の提案に、俺とラナリリスは顔を見合わせた。俺たちは頷き、共に宿に戻る。この場の誰もが、今の平穏が長くは続かないことを肌で感じていた。
宿にお願いし、部屋を一つ用意してもらう。俺たちはそこにつく頃には、すでに湯気の出る茶を前に雑談をしながら待っているキュラゴクスとスフィウスがいた。窓の外は完全に陽が落ち、ランプの灯りが俺たちの影を壁に長く映し出している。
「……で、話っていうのは?」
「まあ、みんなが集まってるんだ。あれしかないだろう」
キュラゴクスが促すと、巡雩は地図を広げるようにして切り出した。
「私は、これからどこへ行くかを話したいです。個人的には、ホガ=ドルナ公国へ行ってみたいです。今、もうすぐで戦争が起こります。……本格的に国を渡り歩くのができなくなる前に、一度はこの国を見ておくべきだと思うのです」
その言葉にキュラゴクスが真っ先に頷く。
「俺も同感だ。正直、ホガ=ドルナには興味がある。戦争が起こるって言うのなら、今のうちに装備も整えておきたいしな」
ラナリリスも静かに同意し、話はホガ=ドルナ行きでまとまりかけた。
だが、その時。スフィウスが少し伏し目がちに、消え入りそうな声で口を開いた。
「………ごめん。僕は、そろそろ一度故郷に帰省したいんだ。なんだか急に家族の顔が見たくなっちゃって………皆が旅を続ける時期に、自分勝手なのは分かってるんだけど」
三人は今まで見たことのない驚いた顔をしている。
スフィウスの言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏には前世の記憶ではなく、この世界でドラゴンとして目覚めたあの荒涼とした地の光景が鮮明に浮かび上がった。
「……だったら、俺も少し別行動をさせてくれ」
さらなる驚きに目を見開く仲間に、俺は静かに続けた。
「スフィウスの話を聞いていて、思い出したんだ。俺が生まれた場所のことを。あそこには、俺がまだ何も持っていなかった頃の仲間が……ずっと眠ってる。戦争が本格的になる前に、一度だけ会いに行っておきたいんだ」
かつてトミナガケイイチとして死に、バーザールとして産声を上げたあの場所。そこへ一度区切りをつけに行かなければ、この先の激動に立ち向かえない気がした。
「……そうですか。それぞれの根幹に関わることなら、無理に止めることはできませんね」
ラナリリスが、寂しげながらも納得したように頷く。
「決まりだな。スフィウスとバーザールは、各々で満足がいくまで行ってくれ。……俺と巡雩、それからラナリリスの三人でホガ=ドルナへ向かう」
キュラゴクスがそう締め括る。
バラバラになる目的地。それが何を意味するのか。
明日には、この旅路で初めての別れが訪れる。
「……じゃあ、明後日には出発だ。みんな、また必ず合流しよう」
俺の言葉に、スフィウスがほんの少し泣きそうになりながらも、申し訳なさそうに力強く頷いた。




