36.弟子入り
その場に、静寂が落ちた。
サルマトさんはすぐには答えなかった。
俺の言葉を否定も肯定もせず、しばらく顎に手を添えて、黙って考え込むと、小さく息を吐いた。
「・・・なるほど」
その声は、先ほどまでより少しだけ柔らかかった。
「それでも魔法を学びたいなら、まずは知ることから始めよう」
「えっ・・・はいっ!」
俺は思わず姿勢を正した。
「魔法は、魔力を魔術回路へ流すことで発動する。だから最初に必要なのは、自分だけの魔術回路を作ることなんだ」
「回路を・・・作る・・・・・・」
その言葉には、聞き覚えがあった。
俺の視線は、自然と右腕へと落ちる。
袖の下には、身体強化の魔術回路が刻まれている。
もっとも、これはこの世界に普遍的に普及している魔法の一部だ。
火を灯し、水を生み、風を起こす。
そうした誰もが知る普遍魔法ではなく。
「それって・・・特異魔法のことですよね」
ここで話にしているのは、俺だけが持つ特殊な術式の開発だ。
サルマトさんは、静かに頷いた。
「そう。特異魔法を作ること自体は、それほど難しいことじゃない」
「え?」
もっと、とてつもなく高度な技術だと思っていたため、俺は聞き返した。
「問題は、その先だ」
サルマトさんは、指を三本立てた。
「威力」
一本目を折る。
「必要魔力量」
続けて、二本目。
「そして、発動時間」
三本目を折りながら、彼は俺を見据えた。
「この三つをどこまで詰められるか。そこが、魔法使いの実力を決める」
サルマトさんは静かに笑う。
「魔術回路を作っただけじゃ、子供の落書きと変わらない。本当に難しいのは、それを何度も書き換え、削り、組み直して、実戦で使える一つの技へと磨き上げることなんだ」
その口ぶりは、まるで職人の話のようだった。
一拍置いて、彼は穏やかに言った。
「魔法使いの本当の修行は、魔術回路を生み出すことじゃない。完成させないまま一生を終える魔法の方が、ずっと多いんだよ」
サルマトさんは軽く息を吐くと、右手をゆっくりと持ち上げた。
「まずは、魔法の系統について知ろうか」
そう言って手のひらを上へ向けると、何もない空間に七つの小さな光球がふわりと浮かび上がった。
球は淡く輝きながら円陣を描くように宙へ並び、虹のような色彩が木漏れ日の中で揺れていた。
「綺麗・・・・・・」
サルマトさんは七つの光球を指先で示しながら話し始める。
「人には、生まれつき得意な系統がある。身体能力を底上げする者。遠隔攻撃を得意とする者。回復や補助に長ける者。幻覚や精神干渉のような呪いの魔法を扱う者。他にも色々あるけれど、大きくはこの七系統に分類されるんだ」
光球が一つずつ脈打つように明滅する様子は、まるで学校の授業のようだった。
「例えば僕は『自然系統』だ」
緑色の光球が少しだけ前へ出た。
「植物や地形、魔素の流れみたいな"環境"への干渉が得意なんだ。同じ魔法でも、人によって燃費も威力も精度も全然違う。だから魔法を使うなら、まず自分の得意分野を知ることから始まる」
俺は七つの光を見つめながら、知らないことばかりだと静かに頷くしかなかった。
「じゃあ、試してみようか」
サルマトさんは腰の杖を一本抜くと、そのまま俺へ差し出した。
「何でもいい。軽い攻撃魔法を撃ってみて」
「はい」
杖を受け取り、体の奥から湧き上がる感覚をそこへ集めると、そのまま地面へ向けて解き放つ。
次の瞬間、杖先から赤い閃光が弾け、一直線に飛んだ光は地面へ突き刺さって小さく土を抉った。
サルマトさんはその赤い残光をじっと見つめながら呟いた。
「赤、か。君は『戦士系統』だね」
「戦士、ですか?」
俺が聞き返すと、サルマトさんは頷いたものの、すぐに困ったように苦笑した。
「ただ・・・正直に言うと、今の君に回路構築や魔素制御の話をしても、多分ほとんど理解できないと思う。それに、今日はもう日が暮れそうだし」
「はい・・・・・・」
情けない返事しか出てこない自分に、内心で肩を落とす。
自分は本来、教える側としてここへ来たはずだった。
それなのに、教わる以前の段階だと言われているのだから無理もなかった。
落ち込む俺を見て、サルマトさんは穏やかに笑う。
「あそこに小さな図書館があるんだ。魔法の基礎理論から、魔力回路、系統ごとの特性まで、一通り揃っている。明日から、まずはそこで勉強して土台を作ろう」
その時、遠くから俺の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ヒイラギ〜!」
振り向くと、こちらに向かって大きく手を振るアリシアさんの姿が小さく見えた。
どうやら、もう宿に帰るべき時間らしい。
「・・・すみません。本当なら俺が教える立場だったのに」
「気にしなくていいよ。僕は教えるのも好きなんだ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
「・・・ありがとうございます」
俺がやるべきことはまず魔法とは何なのかを知ることだ。
この世界で、人はどうやって"想い"を力へ変えているのか。
俺は杖を返すと、アリシアさんへ向かって歩き始めた。




