35.想いに応える力
「わ、悪くは、ないと思います」
「うんうん!」
サルマトさんが嬉しそうに手帳を取り出したとき、俺は心の中で悲鳴を上げた。
メモを取られると、後で辻褄が合わなくなる。
「ただ・・・もっと・・・魔力を込めれば、いいんじゃないですか?」
「魔力を?」
本当にやるのか、と思う間もなく、彼は魔法陣へ大量の魔力を流し込んだ。
地面が震え、木へ流れる光が一気に太くなる。
しかし次の瞬間、魔法陣の一部が赤熱し、小さな爆ぜる音を立てた。
「駄目か。魔術回路が先に飽和する。効率も落ちるね」
サルマトさんは冷静に頷き、さらさらと手帳へ書き込む。
「他には?」
まだ聞くつもりらしく、俺は全身から力が抜けそうになる。
「え、えっと・・・・・・」
俺は必死に頭を回転させた。
どう答える。さっきは完全に外した。次も適当なことを言えば、今度こそ取り返しがつかない。
目に入ったのは、幾重にも重なった魔法陣だった。複雑すぎて何一つ読めない。
だから俺は、魔法そのものではなく見た目から思いつきを口にするしかなかった。
「回路を・・・もう少し太くしたらどうでしょう・・・・・・」
「回路を太く?」
サルマトさんは顎に手を当てた。
そして迷いなく魔法陣を書き換え始める。
一本一本の魔術回路が太くなり、光がより力強く流れ始めた。
俺は成功することに期待したが・・・・・・
次の瞬間、巨大な木が一度だけ脈打つと、幹の表面に細かな亀裂が走る。
「・・・あ。」
サルマトさんはすぐ魔法を解除し、光が消えた。亀裂はそれ以上広がらなかった。
「やっぱり駄目か。供給量には耐えられるけど、受け入れ側が耐えられない。木への負荷が一気に増えちゃうね」
さらさらと手帳へ書き込む。俺は心の中で頭を抱えた。また外した。
「他には?」
まだ聞く。まだ期待している。逃げたい。帰りたい。穴があったら入りたかった。
「ま、魔法陣を・・・もっと、大きくするとか」
その時、サルマトさんは顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「もしかして、君、本当は魔法を教えられない?」
「い、いや!そんなこと──」
心臓が跳ねる感覚とともに、否定の言葉を出したが、彼の真っ直ぐな目を前にして、なんとなく誤魔化せる気がしなかった。
俺は肩を落とし、小さく息を吐いた。
「・・・はい。すみません。俺、魔法なんてほとんど使えないんです。あなたに教えるなんて絶対無理だし、なんなら俺が魔法教わりたいくらいだし・・・・・・」
言い終えると、情けなさで顔を上げられなかった。怒られる。呆れられる。そう思っていた。
だから、俺は閻魔としての記憶と力をなくしているという情報をサルマトさんに伝えることにした。
それらを取り戻す手がかりのために、バルムンクへ接触したことも。
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
「いやいや、謝ることじゃないよ。むしろ納得した。さっきから違和感だらけだったんだ。よくここまで頑張ってきたと思う」
サルマトさんは、俺を否定するどころか慰めてくれた。
今日この場でこの人と出会えたのは、俺にとってチャンスなんじゃないのか。
「あの!もしよければなんですけど、俺に魔法で強くなる秘訣を教えてくれませんか!」
仲間と自分自身を守るために、身につけなければならない力。
魔法に長けているこの人なら、教えてくれるのではないか。
「強くなるための秘訣、ねぇ。」
サルマトさんは、木を見上げて言った。
「それは魔法じゃなきゃいけないのか?例えば射撃でもいい。剣術でも、杖術でもいい。その道を極めた者なら、十分すぎるほどの力を手に入れられる」
その言葉には、確かな説得力があった。
アリシアさんが見せる寸分違わぬ射撃も、さっき目の前で振るわれたシャーロットさんの剣も、どちらも直接的な魔法による火力ではない。
それでいて、あれほどの強さを宿している。
だからこそサルマトさんは、俺に別の道を勧めているのだろう。
だが。
「・・・違うんです」
気付けば、俺は小さく首を振っていた。
俺はただ、強くなりたいわけじゃない。
脳裏に、一つの光景が浮かび上がる。
薄暗い洞窟の奥で、誰にも聞こえないはずの祝福の音色が静かに鳴り続けていた。
結婚式を奪われた夫婦が、骨だけの姿になってなお、寄り添って踊り続けていたあの魔法。
悲しみだけで終わらせたくないという願いが、時を越えて形になった奇跡だった。
さらに思い出す。以前、俺達スズランがバルカンとともに巻き込まれた、あの異空間。
プロセフヒの犠牲となった村人達の怨嗟が生み出したものだ。
積み重なった恨みも、嘆きも、叫びも、世界から消え去ることなく、一つの異空間となって残り続けていた。
どちらも、救われない。
見ているだけで胸が苦しくなる光景だった。
それでも。いや、だからこそ、俺は目を奪われてしまった。
前世には、存在しなかったものだ。
暴力でも、権力でもない。知識でも技術でもない。
人の想いそのものが、世界へ刻まれる。
それは、魔法にしか成し得ない表現だった。
誰かを愛した記憶。失った悲しみ。救いたかった後悔。言葉にならなかった祈り。
そんな感情が、炎や雷といった破壊の形ではなく、一つの景色として世界に残る。
あの光景を見た時、胸が締め付けられるほど悲しかった。
なのに心のどこかで、綺麗だと思ってしまった自分がいた。
人の想いが、こんな形で世界に残るのか、と。
だから、俺も。
「誰かの想いに応える力が、欲しいんです」
口にしながら、俺は自分の両手を見つめていた。
転生してからこれまで、何も掴めなかった手。誰一人助けられなかった手。
今度こそ、誰かの願いを受け止められる力が欲しかった。




