16.崩壊する洞窟
内側に、何か文字が彫られている。
覗き込んでももう読めないが、2人だけにしかわからない言葉が刻まれていることだけは、わかった。
これを、渡すはずだったのか。
俺は箱の中から、指輪を慎重につまみ上げた。
踊りが、また、終わりに近づいていた。
新郎が新婦の前に膝をつき、新婦が手を差し出して、そこで止まるその寸前。
俺は、新婦の差し出した指の骨に、銀の指輪をそっとはめた。
それから新郎の手を取って、もう一つをはめた。
骨は軽かった。乾いていて、思っていたよりもずっと軽くて、指輪は曇った銀の輪のまま、骨の節にぴたりと収まった。
それから、俺は、2人の前に立った。
何を言えばいいのか、本当はわからなかった。それでも、いつか聞いた言葉の断片が、頭の奥から、ゆっくりと浮かび上がってきた。
「──汝ら、夫婦の誓いを、立てんとす」
頬を熱いものが流れ、声が震えた。
一度詰まって、息を吸い直した。
「健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り──」
涙が顎の先から落ちて、絨毯に小さな染みを作るのが、視界の端に見えた。
俺は、何をしているんだろう。
俺なんかが言ったところで、神父の代わりになるわけがない。
でも、2人はずっと欲しかったんだ。この言葉を。
求めて、求めて、ずっと海の底で踊り続けていたんだ。
「真心を尽くすことを、誓いますか」
返事はない。
返事は、ないとわかっていた。
それでも、俺は、2人の答えがそこにあるかのように、少し、間を置いた。
彼らが言いたくて言えなかった言葉を、ようやく口にできる、その時間を。
「──では、ここに、2人が、夫婦であることを、宣言します」
俺が言い切った途端、踊りのループが、止まった。
旋律が、ふっと消えた。
2体の骸骨はもう動かず、ただ向かい合って、手を繋いでいた。
魔素が薄れていくのが肌でわかった。
空気の重さがゆるやかに抜けていって、肺に注がれていた見えない水が、引いていく。
俺は涙が止まるまで、しばらくそこに立っていた。
誰にも見られない場所で、誰にも知られないまま、2人だけの最後の儀式を、終わらせた。
***
洞窟が崩壊する。
正確に言えば、崩れたのは岩盤そのものではなく、洞窟全体に張り巡らされていた古い魔法だった。
本来であれば自重に耐えられないはずの空洞が姿を保ってきた支えが、たった今解けたのだ。
「海水が入ってきてやがる!このままじゃ、洞窟が水没するぞ!」
フランクさんの怒鳴り声が聞こえてきた。
入口の方向、どこか少し離れた場所から響いてくる。
「フランクさん!アリシアさん!ミアさん!」
俺は声の聞こえてきた方へ走りながら、仲間の名前を呼んだ。
「その声、ヒイラギか!?」
「ヒイラギ!!こっちだ!!」
返ってきた声に、足の力が戻ってきた。
どうやら元のルートに戻ってこられたらしい。
足元に冷たい水が流れ込み、くるぶしまで一気に水位が上がる。
頭の上で、何かが裂ける音がした。岩が外れる音だ。
フランクさんが反射的に盾を高く構えた。鋼鉄でカバーされた盾が、俺達を覆うように差し出される。
「下がれ!」
岩塊が盾に当たる鈍い音が連続して響いた。
フランクさんの膝が一瞬沈み、それでも踏ん張る。
盾の縁から、黄色い火花のような魔素の散光が漏れた。
その時、地面が割れた。
俺たちの足元から、何かが突き上げてきたのだ。
まだ崩れていない床面が、内側から押し上げられ、その下から怒鳴り声が飛び出してきた。
「どけえええッ!」
声の主はヤリスさんだった。
地下層に置いてきてしまっていたが、今、岩盤を貫いて下から戻ってきた。
地面を突き破って現れたヤリスさんは、そのまま勢いを止めず、頭上の崩落しかけていた岩盤へ向かって跳ねた。
空中で身を捻りながら、左拳を思い切り突き上げる。
「バラクーダァ!」
赤い魔法が炸裂し、岩盤が外側へ向けて吹き飛ばされる。
穿たれた天井から海水が蛇口を捻ったように溢れてきた。
けれど落ちてくるのは水だけで、岩はもう降ってこなかった。
「ヤリスさん!よかった!」
着地したヤリスさんに駆け寄ると、向こうも俺と軽く抱き合ってくれた。
「お前も無事そうで何よりだ!!」
「二人とも!」
ミアさんが水を蹴って駆け寄ってきた。腕に抱えていた潜水装備を、俺とヤリスさんにそれぞれ押しつける。
「サンキュー、ミア」
ヤリスさんは受け取った装備を素早く手元で確認し、袖を通した。




